満開に近いオニユリ。 見事な芸術作品
濃いオレンジ色の花弁に黒紫の斑点がくっきり。
花開くと同時に丸まってしまう大きな花弁。オニユリのそんな姿は大作りな芸術作品そのものである。そんな主役を引き立たせる背景は、どちらかというと暮れる前のジリジリした灼けつく西日が似合っている気がしてならない。燃えるような夏の朝日も悪くはないが、この色この形から思うに、雨よりも、曇り空よりも、何よりも西日がお似合い。
いつどうして、我が敷地内に咲き始めたのか定かな記憶がない。なのに、年々その数は増えて行き、限られた個所ではあるが、群生という名にふさわしいほど咲き誇っている。
オニユリが咲き始める頃が、一年の中で最も暑さを感じる季節である。梅雨明けを挟むこともあって、湿度が高く、いわゆる蒸し暑さに圧倒される時季でもある。
一日も早く、この本格的な暑さに身体を慣らして、暑さに耐える体力を養わなければ、長い夏を無事に越せそうにない。
こうして本格的な夏が訪れたというのに、何か物足りなさを感じている。
窓の向こうにアオサギのいない夏を迎えている。
朝起きがけにカーテンを開けると、そこには、間もなく巣立ちを迎える、大きく成長した今年のヒナが、未だに親から餌をもらいながら、羽ばたき練習を繰り返す姿が見られるはずであった。そんな活気あふれる光景が今年はない。
3月~4月初めの産卵を狙って大量のカラスがやってきた。あの図体の大きなサギなのに、カラスの集団には勝てず巣を乗っ取られ卵は奪われ、挙げ句はどこかへねぐらを移した。子育てに励む命の営みをこの目にすることなく夏がやってきた。
どこか新たなねぐらで、今年のヒナを育てていればいいのだが。
そして、来年は再びアオサギ集団が戻ってくることを待つとしよう。その時には、誰か強いリーダーが出現して、カラスの集団を追い返すくらいの気概を見せて欲しいものだ。
さびしい(寂しい・淋しい)とは「本来あった活気や生気が失われて荒涼としている感じ、物足りなく感じる意」である。まさに今年の夏を言い表している。