やがて中越地震から18年目の日になる。
震度6強と思われる揺れに襲われた我が地域も山まで崩れ、今でも痕跡が残る。
我が家と畑の中間地点は大きく崩れ、別ルートを作らざるを得なかった。
ここは山頂に近い地点だが、地層がずれて大きな段差ができた。ここも丁寧に階段が作られていた。
可笑しかったのは、最初の通行者の足跡。
人間ではなくて、カモシカがこれは歩きやすいとばかりに通ったらしい。
かなりの手練れ、プロの仕事を感じさせます。
さすが森林組合の仕事で、下草刈りばかりではなくて木の伐採、道の開削も日常の仕事なのでしょう。
懐かしいですねー。坂道を登りきったところの休憩場所の痕跡。
土を削って椅子状に仕上げ腰を下ろして休みました。登り切って休憩。そして降りる前に休憩でした。
背負っているのはカマスに詰めたサツマイモでしょう。
母を含めて写真の何人もが鬼籍に入っています。還暦を越えた姪もまだ幼い。
60年近く昔の写真でしょう。カメラを始めて買って嬉しくて撮ったのかな。
近くに住んでいた鉄道員の子供も連れて行ったようで、おそ松くんのシェーをやってますよ。
色々な光景が目に浮かぶ、今は廃道になっている山の道です。
肥料を背負って登り、収穫物を背負って降りた山道。食糧難時代も乗り越えた道でもあります。