生活を支える道と行っても良かったこの道でした。
思い出すと、この山道を使って畑に通うのは女性が多かった。
きっと、何か別の仕事をしていたのでしょう。我が家の場合は年中無休のプロドライバーでしたが。
そして、忙しく働く女性たちの唯一の社交場とも言えたかな。
午前午後の仕事帰りには「上がりにしょーぜー」なんて声を掛け合っていました。
普通に歩くと下から上までは30分くらいはかかったのかな。
そして、あの上の休み場を過ぎると雑木林が少し続いていました。
昔は赤土が踏み固められてツルツルカチカチの道でした。
その後、この山一帯が栗の栽培団地を目指した事業が始まった際に砂利を敷かれてしまった。
藪を抜けると我が家の畑に出ます。でも、昔はもう少し奥まで雑木林でした。
しかも、昔の我が家の畑は数百メートル先の傾斜、標高差20メートルほどを登ったところ。
栗の栽培団地化は国のパイロット事業とか言っていたから補助金による事業だったのでしょう。
しかし、栗の栽培は降雪と、何かのウイルス菌の蔓延で立ち枯れが続出して挫折した。
でも、その際に周りの雑木林を機械力で切り広げた広い農地はその後の花卉栽培へと続いた。
夢のかなたのような話です。50数年前のことですからこの道を覚えている人も居なくなったことでしょう。
(山道、廃道の話は終わり)