ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

腹をホッチキスで縫合?

2006-10-29 10:55:39 | Weblog
友が胃ガンで胃を半分切除した。掛かり付けの病院では全摘手術を宣告された。忘れずに定期検診を受けていたので担当医が二年ぐらい前に発症していたらしいと言ったことには合点がいかなかった。何のための検診なのか。そういった事がないようにする事が大前提の診断ではなかったのか。本当に腹が立った、と話していた。医者は、まだ初期だから全摘をすれば再発はないと思うから大丈夫、と云って開腹の形状をメルセデスベンツカットでします、と意味不明なことを云ったそうです。手術にどうして車の名前が出て来るのか一瞬戸惑ってから尋ねると、真一文字に切るのではなくて、ベンツのマークのように三方向に大きく切り開く事だった。不信感を持ったので、その場でセカンドオピニオンをしたいと云ってガンセンターを紹介してもらった。そしてガンセンターで診断を受けると、結果はほぼ同じで胃の全摘だったけれど開腹の仕方はベンツ形ではなく縦一文字だった。ガンセンターを手術の病院に選んで手術を受けた。腹を開いて胃を直に診断するとガンの浸透?度合いは深かったけれど安全範囲内だったので全摘は免れ半分ですんだ。良かった。三日目から歩き始めて、六日目に会った時は全く元気で、これ手術をした人?という感じで喋りまくっていた。命の逞しさと医療の進歩には脱帽です。

大きなビール腹の様子を見せてくれた。縫合は糸でなくステンのホッチキスの針で切り目が開かないように留めてあった。以前に見た友のは××の縫合だった。太っちょはホッチキスで痩せは縫合らしい。もう見たくない。

ただただ健康を祈るばかりです。運命の手は情け容赦ないのだから。

カモメは何羽いるのかな?

2006-10-28 10:32:50 | Weblog
数えて下さいカモメの数を。
瀬戸内海の海砂を採取していた船が接岸していた港も海砂の採取禁止の県条例がが施行されて寂しくなった。しかし見えない海底に強力なポンプを入れて有無をいわさず海の環境を壊し続けていたのだから禁止されても仕方がありません。遅きに失したとの思いの方が強くあります。海底だから大きく抉られても直ぐに砂が流れてきてもとのようになると思いますが、現実はそうではなくてヘドロなどが堆積して綺麗な砂の海の底には帰らないそうです。魚の生息環境も変わってしまっているのです。今自分に都合がいいからといって自然をないがしろにしていると孫達の時代になると大変な事になってしまう。生活の程度やスピードを落として豊かな自然と共生しよう。
船が沢山接岸して荷役作業をしているのも活気があて良いけれど、カモメが群れている方が長閑でいい。年寄りの理屈だといわれそうだけれど。

幾らこの車は、電化製品・・はエコで御座居ますといっても競争に勝つために制限なしに作り続けていれば、きっと地球は壊れてしまうでしょう。幾ら大きなものでも限界はあるはずです。
偉い人は云うでしょう。「とまれば負けてしまう」と。

行き着くところまで行くだけなのかもしれません。悲しいけれど・・・・

ああ公務員になりたいよ

2006-10-19 09:12:44 | Weblog
5年間で出勤わずか8日 奈良市、給与は満額(共同通信) - goo ニュース
お日さん西にしの公務員になりたい。この記事の人は五年九ヵ月の間にたった八日のお日さん西にしの出勤日があっただけでその間の給与が全額支給されているとは一体どうなっているの?常識では考えられない。一体全体その人の上司や同じ職場の人や市の人事課の人は五年九ヵ月もの間どのような対処をしてきたのだろうか。本当にその人している仕事が市にとって必要であれば、五年もの長きにわたってなおざりにしておく事は出来なかったと思います。民間企業であれば働く人それぞれの仕事の役割が決まっていて一日休んだだけで問題になると思います。仕事の流れがそこで滞って上手く機能しなくなってしまいます。絶えず流れを監視して流れがスムースに行くよう対処しているはずです。公務員の身分の保証は彼等が公人として社会の人々のために働くから認められたもので、組合対策や特権ではない。
給与水準が民間より低い時代ならともかく民間水準を超えている現在“お日さん西にし”では許されない。本当に、地方の零細企業者からすれば、地方公務員の数は半減してもらいたい。働かないと潰れちゃう零細なものは一人三役ぐらいはこなさないといけません。公務員の方々も一人二役はして欲しい。どうでしょうか。

確かにローマの建築は凄いけど

2006-10-16 10:35:24 | Weblog
寿命1万年“夢のコンクリ” 大手ゼネコン、続々開発 古代の知恵からヒント(産経新聞) - goo ニュース
古代建造物を見る時その技術の素晴らしさに驚かされる。古代の建築家はどのようにして彼等の技術力を養ったのだろうか。膨大なデータもコンピュータもない時代に。そこにあるのは彼等の経験と勘と創造力と実現するリーダーシップのみだ。現代はあらゆる情報と技術を駆使してシュミレーションを繰り返し、実験を積み重ねて素晴らしい建築物などを作り上げていく事が出来る。
しかし現代の進んだ(疑問だけれど)技術の粋を集めて作られた筈のニューヨークの貿易センタービルの崩壊を見て、何故あれだけのものが飛行機の衝突だけで崩れ落ちてしまったのか。何故衝突した部分の数階分のクラッシュでおさまらなかったのか。
それは古代の建築技師のようなトータルな創造的な技術力に欠けていたからではないでしょうか。
確かにこの記事の製品は素晴らしいと思います。ですがこの製品が鉄よりも強く、千年も万年も耐久力があるとは思えません。現在のコンクリート建造物が百年以上堅牢であり続ける事さえ覚束ない現状では。

上の写真は橋のコンクリートの鉄筋が外れてしまったものです。この記事の夢のコンクリートであれば安心なのかもしれません。姉歯問題もないのに。

何故代理出産なのか

2006-10-11 10:56:26 | Weblog
「母性とは、親子とは何か考えて」 代理出産の向井夫妻(朝日新聞) - goo ニュース
私にはよく分らない。何故自然の摂理を大切にしないのだろうか。わが子がが生まれるとは母がいて父がいて、そして十ヵ月の間本当に血のつながった母のお腹の中で生まれでる準備が出来てはじめて言えることではないのか。ただ単に精子と卵子を結ばせて自分達のDNAを残していくことではない。“お腹を痛めた子”という言葉があるがこれが本当の親子関係ではないでしょうか。他の動物と違って人の子は成長してものを考えるようにないます。大人になって自分が海の向こうの人の借りたお腹から生まれた、と分ればどのような気持になるでしょう。それがもし私ならとても耐えられません。きっと生きて来た根底が崩れてしまって・・・何も考えられなくなってしまうのでは・・・

“子は授かるもの”ではないでしょうか。

何だこれは無節操もはなはだしい

2006-10-10 21:17:27 | Weblog
私のウォーキングコースに川沿いの道がある。春はさくらの名所です。篤志家が二十年ぐらい前から桜を植え下草刈りや木の世話を続けているところです。最近市役所が新しくゴミ捨て禁止の看板を100メートル間隔ぐらいに設置して、私も歩きながら、これでゴミ捨ても減って良いなあと思っていた。ところが昨日歩いていると、どう云うことでしょうか、写真のように看板にゴミ袋をぶら下げているのです。一瞬、目を疑いました。見えないところへこっそり捨てるのならまだ多少は救われるけれど、わざっとこれ見よがしに看板に引っ掛けているのは犯罪としか言い様がない。

それにしてもあら探しをしている訳ではないけれど、そんなところばかりが目に付いてしまう。年をとった所為でしょうか。

おおこわ~スズメ蜂だ

2006-10-07 14:18:26 | Weblog
庭の土の上でスズメ蜂ともう一匹何かが組んづほぐれつしていて、これは事件だ、とカメラを取りに帰って、さあ撮りましょうとカメラを向けると、スズメ蜂だけになっていた。食べ過ぎたのか羽を広げるのですが飛び上がれないので土の上を這っていました。

秋になると庭にある黄色い花?実にスズメ蜂が沢山飛んで来る。好物の食べ物なのだろう。蜜を吸っているとは思えない。盛んに食べているように見える。それにしてもあの蜂の面構えはいかにも獰猛そうで、いかにも厳つい。そして羽音が又凄い。ここには俺が居るぞうとばかり周りを威圧している音がする。ちょっかいを出さなければ別に襲って来ることもないのだが、入口の戸を閉め忘れていたりすると突然部屋に飛び込んで来ることがある。その時は、さあ大変、頭を低くしてそっと次の部屋へ急いで避難して蜂のいる部屋の電気を消して、時折少し開けた戸の隙間から殺虫剤を吹き込んで部屋の空気を嫌な匂いに変え、外へ出ていくのを待っている。部屋中を旋回したり、天井や壁にとまったり、電気の笠の上で手足を擦り合わせりたりして中々外へ出っていかないことが多い。それでもたいがいは五分ぐらい経つと開いた戸口から飛び出していく。居なくなったのを確認すると急いで戸を閉める。一安堵である。最近は戸口は必ず閉めるようにしている。ときどき戸のガラスにごつんと勢いよくスズメ蜂が突き当たることがある。来るなといっても何処にいるのかも分らないし、私の云うことなど聞きもしないでしょう。お互い領分を犯さず棲み分けていくしかない。それでも蜂の好きな花を切り取って安全対策はとらないといけないかも・・

飛べなくなるまで飽食したスズメ蜂は可哀想でしたが昇天してもらいました。

子供はみんな可愛いのに、どうして?

2006-10-06 10:50:24 | Weblog
写真は私のウォーキングコースの通学路にある子供の標語です。
時折子供達とすれ違う時「今日は」と向こうから挨拶をされることがある。とっさに大きい声で「今日は」と挨拶を返すのだが、一瞬どぎまぎする。日頃ウォーキングをしていて遭う人には出来る限り黙礼なり、声かけ挨拶をしようと心掛けてはいるのだが中々難しい。こちらから声を出して挨拶すれば恐らく皆答えてくれるのでしょうが子供のように声がでない。
親御さんが教えるのか、学校で先生が教えるのか分らないけれど、子供の純真さがそうさせるのでしょう。
それにしても北海道の小学六年生の自殺は悲惨だ。何故もっと早く周辺の人たちは子供の異常に気付かなかたのだろう。先生は勿論、一番近くにいた両親はどうしていたのだろう。転校させるなり、学校を休ませてもよかったのではないだろうか。死ぬ程嫌な学校へ毎日行かされて地獄の日々だったはずだ。確かにいじめをした子供達も悪いかも知れないけれど、子供は大人には理解出来ない惨い一面を持っていることがある。善悪の判断が十分にできない時季なのだから。だがこの事件は彼女の同級生にもぬぐい去れない大きなしこりをのこした。

教育を指導監督する教育委員会の対処の仕方には開いた口がふさがらない。一体彼等の仕事は何???

福祉住環境コーディネーターに挑戦

2006-10-05 17:28:38 | Weblog
先日商工会議所の広報誌で福祉住環境コーディネーターの講座の紹介があった。若い時に人に誘われて2級建築士の資格をとったが資格を一度も使ったことがなかった。それでも65才になった今になって広報誌の記事を見た時この仕事は建築士の資格が生かせる仕事ではないかと思った。福祉関係の人が資格をとって住環境をコーディネートするのが一番良いだろうと思うけれど、全然畑違いの建築のことなどを勉強をするのも難儀だろう。それに比べて私のような年をとったといっても、建築を少しは勉強したものの方が役に立つように思える。福祉は人に関わることだから、法律や資格を別にすれば、関心を持って介護する人、される人に関心を持って接すれば何が必要か理解出来るでしょう。ロートルにチョット鞭を入れ頑張ってみようかな。

年をとっても世間とかかわりを持っていないと、ぼける?いやいやそうではなくて、やる気や活力が無くなってしまう。

腎臓移植手術

2006-10-04 14:20:06 | Weblog
愛媛県宇和島市の病院で腎臓の移植手術を受けた患者などが臓器移植法違反で患者と臓器の斡旋をした内縁の妻が逮捕される事件が明るみになった。テレビや新聞の報道を見て愛媛県に腎臓移植のカリスマ医師がいて本当に沢山の手術をしていたのを知ってびっくりした。この事件がきっかけで手術が制限されるのではと懸念を持ったが杞憂のようでした。執刀医は待っている患者のために続けます、といっていた。この事件の問題点は提供された腎臓が法律の条件に適合していたかどうかであって執刀医の責任ではない。医師が責任を持つのは患者と提供者の臓器が適合し、移植治療が上手く行くかどうかである。医療行為以外の患者と提供者の関係(適法かどうかの審査)などは別の専門チームか機関が審査して適否を判定するようにすべきだ。もしそのような審査機関があってきちっとしていれば今回の事件はなかったはずだ。

この事件で思ったのは大金を払ってしまっていれば恐らく事件にならず、闇に隠れたままだった。そこが一番の問題点だ。

ジャーナリズムには大々的に報道を繰り返してばかりいるのではなく、どうすることが最善策かを提案して方向を示していって欲しい。