ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

船の大量生産

2006-09-30 17:16:50 | Weblog

小さな湾に8社程の造船所がひしめいている。ここの船台は小さいけれど30万トンもの大型船が出来る最先端の工場を少し離れたところにもっている会社もある。グループでの建造量が国内1位と3位の会社もあって、その2社で国内シェアの25%を占めている。まさに自動車を作るように船が作られていく。効率のいいところでは1ヵ月に1隻ぐらいのピッチで進水している感じがする。本当に船がベルトコンベアに乗って大量生産されている。船も車のように同型船を続けて作って、部品(ブロック)や設計、作業効率を最大限に上げている。それにしても大きな船が見る間に出来上がっていく様子は手品のようです。一寸安全は大丈夫なのか心配ですが・・・・・
(ブロックとは予め部分に分けて作られた船の一部です。大きなものは何百トンもあるらしい。しかし800トンのクレーンを3基も備えたドックもあるのだから大丈夫でしょう。)

波打つ歩道

2006-09-29 17:57:59 | Weblog

この写真からだとそれ程酷くは思わないかも知れませんが、ここの歩道は狭い上に波打っています。それに引き換え車道はどうでしょう。平坦でいくらでもスピードを出して走れます。何のための歩道でしょう。恐らく“言い訳歩道”なのでしょう。年寄りや障害のある方は通ることは出来ません。行政に文句を云えば「坂道だからそのような人は通らないから大丈夫」というでしょう。歩道とは何でしょう。人が歩く道のことです。誰が道の基本設計をしているのか知りませんが、恐らく地方の田舎の道など知らないのだろう。道路は生活に直結したものです。先ず誰がどのような条件のもとで使うのかよく知った上で考えて欲しい。この写真の歩道は車道より20㎝程度高くなっている旧い規格のものだと思います。歩道の後ろの建物に車をスムースに入れるために歩道部分に傾斜を付けているのです。家のあるところは全て2乃至3メートルは歩道を斜にしているのです。こう云った歩道は一杯あります。市長さんや道路を管理している人もこう云った歩道は歩いたこと無いのしょう。

ユニバーサルデザインの時代に全く恥ずかしい限りだ。
美しい日本にして欲しい。安倍さん!

絵馬堂

2006-09-28 17:43:20 | Weblog

時が絵の具を風化させてどの絵馬もハッキリと見えなくなっている。中には全然絵が飛んでしまって額に祈願者の名前だけになっているものもある。何を願ったのか、又何に感謝してなのか絵が見えれば分るかも知れない。昔の人の生きざまを覗いてみたい。それにしても昔のお金持ちは太っ腹だ。写真の柱にもあるように、建物ばかりか、修理料まで一緒に献じている。今のお金持ちは中々世間にお返しをする人は少ない。私にお金があればいろいろとしてみるのに、と云ってもリタイア組では駄目だ。

それでも金では買えない何かをすることが出来るのでは、と思いながら無駄に時間を過ごしている。確りせねば・・・・

神頼みの今昔

2006-09-27 14:59:06 | Weblog

この神社は菅原道真公をお祀りした創建千二百年をこえる霊験あらたかなところで、
公が太宰府へ行かれる時この地の浜で御休息をされ、綱に座られた故事から、綱敷天満宮と呼ばれています。現在は学問の神様の神社として受験生がよく来ます。そして梅園も有名です。境内は海にそって広く数千本の松林が続いています。
古くは当地桜井の浜の漁師の人や桜井漆器を九州などへ運ぶ船頭達の海の安全の守り神だったのでしょう。写真の石の柵の寄付社名を見ると天神丸などの船名が並んでいます。神様へのお願いも時代と共に変遷しています。ただただこの社の環境がいつまでも続いていって欲しいものだ。

水を、、水を、くくれ、、、

2006-09-26 14:29:54 | Weblog
取り込みがあって水やりを忘れていた。昨日久し振りに庭を掃いていて玄関前の鉢に植えた観音竹の葉が枯れているのにびっくりした。もう駄目だと思った。四十年も前の自分の結婚の時に仲人さんから貰ったものだ。特別大切にしていたということも無かったけれど株分けもして人にあげたりとそこそこ大事にして来たつもりだったから一寸心配だった。取り敢えず水をたっぷりかけて様子を見てみることにした。一晩経って朝見ると水やりの効果覿面で元気を取り戻しかけていた。少しでも負担を少なくするように枯れた葉っぱを切ってしまった。本当にさっぱりとした。これで水やりを忘れなければきっともとの勢いを取りかえしてくれるに違い無い。それにしても自分の葉っぱからでも水分を絞り出して新しく水分が補給されるまで生き続けていく植物の生命力には驚かされる。動物のように水を求めて移動出来ないものの生きる知恵なのでしょう。

一羽でさびしくないの

2006-09-25 19:54:26 | Weblog

川や田圃に鷺がよくいる。群れではなく殆どが一羽でいる。餌を探しているのだろうと思うのだが、くちばしを水や土に突っ込むでもなく、じっと起立した状態で微動もしない姿勢で立っている。いつも思うんだが、鷺は何を考えているのだろう。人間のように世間ことなど関係ないのだから、食べることと子孫を残すことぐらいだろうに絶えず瞑想している。話が聞ければ面白いだろうに。一羽でいるのも訳があって、我々同様複雑な鳥の世間があるのかも知れない。

それにしても一羽でいるのって寂しくないのだろうか。きっと自由に飛べる翼を持っているから寂しいことなどないのかも・・・人間だって自由に飛べれば・・・

唐突の胃全摘手術

2006-09-24 16:33:17 | Weblog
昨日は友人が二人も来た。昼過ぎから五時頃までいろいろとお喋りした。先に来た本好きの友人と最近読んだ本に付いての話をしたり、書見台を使ってちゃんと机で本を読むと目の疲れや肩のつかえもなくていいなど、と取り留めもない話で盛り上がっていた。そこえ我が家を珈琲茶房と呼んでいるもう一人の友人が一寸ドアの外から覗き込んで、「おやまあ珍しい人がいる」といいながら把手を引いて入ってきた。私は彼から受けたメールの内容がよく分らなかったので、「もう一つの難題とは一体どいったこと」と問いただした。私はてっきり、難航していた仕事上の難題と思っていた。すると彼は唐突に「癌で胃を全摘することになった」というのです。一瞬何をいっているのと彼の真意が理解出来なかった。「一体どうしたと云うの、つい先日前立腺の癌の手術も五年経過して一応安堵したいったばりじゃないか。几帳面に胃などの検査もしていたじゃないか。」すると「そうなんだ。毎年胃カメラの検査もして異常なしと云われてきたのに、今回突然胃に癌が出来ていて、それも全摘手術以外に安心出来る方法はないと云うんだ。そしてベンツカットでいくというんだ。頭へきた。どうも二年ぐらい前から前兆があったらしい。それを見落としていたらしい。病院を糾弾してやらなくては気がすまないので、今抗議文を書いているのだが、熱くなってしまって気分転換にコーヒーをのみに来たよ」と一気に喋った。セカンドオピニオンに癌センターを選んだが結果は同じだった。息子達は「おやじ、全部除けておけば再発はない、そうしろ」というらしい。確かにそれが正解には違いないが、本人すればなかなか耐えられないと思う。「俺は最後まであがく、放っとけ」と言い返したらしいが、それが当事者の本音だろう。

仲良し十人組の二人が胃の全摘、一人は心臓疾患、残りも何処かに悪いところあり。六十五才を過ぎると順番は分らないけれど寝込まずにおりたいものだ。

秋の初めに夏を食す

2006-09-23 23:10:23 | Weblog
お彼岸参りの帰りに夏に一度は食べに行く氷屋へいった。
路上のパーキングへ車を止めて、200円の駐車シール買ってフロントガラスの内側へ張り付けてから、家内が「もう氷は終わってんじゃない、先に確認しておけばかった。駐車料金もったいなかったかも」といった。チェッ、はやく気付いて云えよ、と口に出かけたが飲み込んだ。云えばきっといつもの言葉が返って来る。「私に云うけどお父さんは分らなかったの」と。
杞憂でした。まだお店は開いていて、十人程お客さんが氷を食べていた。ここの氷は一度食べたら忘れられない美味しさです。
氷なのですが氷でない、絹のようなキメ細やかな肌触り感で口に含むとサット解けるのですが水ではなく、確かに氷なのです。非常に微妙な状態の氷です。
私は何時も宇治金時を食べます。食べながら家内と話したのですが、かれこれ四十年も食べている。
今の店主のお父さんが、お菓子屋の夏の商売に始められたものでた。
昔はご主人が木の岡持片手に颯爽と自転車で出前をしてくれた。
ご主人も亡くなられて久しく経っている。お彼岸なのか昔が偲ばれた。

気楽な人生だろうか

2006-09-22 21:37:59 | Weblog
秋の日射しを背に受けながらフェリー乗場の岸壁の上で一人の男の人が横になって沖の方を眺めている。頭のところにボストンバックとお茶のペットボトル。時折腰を軸にして身体を捻ったり伸ばしたりして、肘を少しずらして腕の位置を変え頭を支え直したりしていた。風景の一部分として見ればいかにもゆったりした心の和むシーンです。しかしその人からはそのような雰囲気はありません。何か不安そうな逡巡するような感じがありました。その先の桟橋では時間を持て余した人が釣り竿を伸ばしひたすら時間の経つのを待っていた。本当に奇妙な一コマです。一方は恐らく事情があって蒸発した人なのでしょう。家族のこと、仕事のこと、お金のことなどいろいろあってジッといられないような気持なのだが、何も出来ず、何もしようという気もおきず仕方なく海を眺めているのだと思った。近寄って話しかけて、何故どうしてここにいるの、と尋ねてみたかった。しかし所詮は傍観者の好奇心でしかないのだ。それにしても神戸で段ボールで生活している人を見て本当に驚いたことがあった。まだそれ程前ではなかったはずだが、その現実が地方まで押し寄せて来ている。政治が悪いといってしまえば気楽だが、そうとばかりも言えないだろう。では解決策は何処にあるの・・・誰か教えて下さい。

逞しい中国人の野菜畑

2006-09-21 12:00:49 | Weblog
写真の駐車場の端ににある畑は中国から研修?に来ている人が野菜を作っている。
本当に逞しい。朝早くや仕事が終わって賑やかに話しながら作業をしている。

当地の地場産業の造船とタオルの二業種は労働集約型の産業ですから現場で身体を使う仕事です。そしてタオルは昔から地元や近隣の女性がその仕事の大部分をこなしてきましたが段々年をとって働く方が減少してしまいました。それにも拘らず新規の若い女性は入って来ませんでした。そこでタオル工場は賃金の安い、若い女性の労働力一杯の中国へ中国へと進出し、遅れていた中国の生産設備を一挙に日本と同レベルかそれ以上に引き上げ、日本では考えられないような1000人規模の一貫生産拠点を沢山作ってしまいました。当地での人で不足は解消しましたが、今度は中国からの輸出攻勢で日本一のタオル産地も殆ど壊滅に近い状態です。ここ2〜3年中国からのタオルの輸入規制を発動するよう政府に要請していましたが実現しませんでした。確かに中国企業の輸出もありますが、こちらから進出した企業がその生産量の全量を日本に輸出しているのですからおかしな話です。100年以上にわたって営々築き上げて来た技術やノウハウを設備と一緒に持ち込み大公開してしまって、一挙に中国製品のレベルを日本の国産レベルに引き上げてしまったのです。それまでは中国製品はとても日本ではタオルとして通用するようなものではありませんでした。

それにしても凄まじいものがある。経済は戦争と同じだ。銃弾で殺傷することはないけれど分らないように息の根を止めていく。