ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

人の寿命

2007-10-27 18:14:41 | Weblog
いつものウォーキングコースの塀と木々にが連なった細い道を歩いていると、煙りが流れて来た。
落葉でも焚いているのかなと思いながら進んで行って、通り過ぎながら塀越しに見ると親子と思しき人が盛んに火に衣類などを焼べていた。

少し前丁度其の家のところに私がさしかかった時、広い庭の奥からご夫婦が散歩に出かけるのにでくわしたことがあった。
そして其の数日後忌中を知らせるスタンドが庭の入口に立てられていた。
あのご夫婦のどちらかが亡くなったのだろうか、と一瞬思ったけれど、お年寄りでも居られたのだろう、と思いながら通り過ぎた。

しかし今日火に焼べられていた衣類を見て、ご主人が亡くなったのだと思った。

全然知らない方だけれど、唖然とさせられ、はかない思いがした。

品質目標:設計値の確保

2007-10-27 17:16:25 | Weblog
一昨年の豪雨で橋梁の基礎が水流に抉られて通行止めになった橋の補強工事がもう三回も施工されている。
最初は基礎が壊れて道路が陥没した橋脚の工事で、次は隣の橋脚の基礎部分の補強・・そして又現在も工事をしている。
予算の関係で難しいのだろうけれど、一度にすれば、準備の工事費が三分の一になるし、その他諸々の費用が安くなって、半分とまではいかなくても三分のニぐらいの費用ですむだろう。
絶対に直さなければならない工事だから、銀行で借入をして、其の年度で賄えない費用は次年度に組み込むように出来ないのだろうか。
行政の予算の運営や処理は良く分らないけれど、とにかく無駄なことばかりが目に付く。

工事現場に品質目標“設計値の確保”と目標を掲げていた。
施工現場では設計値の確保は当然のことでは無いの。難しいの?
何かおかしいように思ったけれど・・・・

鯉がいる

2007-10-26 12:05:56 | Weblog
私のウォーキングコースになっている川の洗い堰の直ぐ下にあるよどみに鯉が棲みつている。
少し雨が降らないと川は直ぐ干上がってしまって、水のあるところと云えば鯉が群れているよどみだけになってしまう。
そばを通る時は必ず足を止めて、土手の川縁ギリギリまで下りて顔を突出すように覗き込んで鯉の様子を確認してみる。
真夏で日照り続きの時などは、本当に水の量が減ってしまって、温泉状態になってしまっているのでは、と心配になったりす。
それでも、環境の変化など分らない、といった様子で、悠然と泳いでいるように見える。

我々はと云えば、地球は人間様のものだ、と錯覚して、環境を破壊し尽くして、地球が危ないなどと騒ぎまくっている。

鯉にとっては小さなよどみが全宇宙なのかも知れない。

あるがままにいきて生けるなんて、私たちには望むべくもない。


高級官僚の天下り

2007-10-23 11:12:04 | Weblog
高級官僚はどのような仕事をしているのだろうか。
民間企業の専務や常務のように最前線で陣頭指揮をとっているのだろうか。
そのような仕事はしていないだろう。
不沈艦の船長は何もしなくても、優秀な乗り組み員が“それなりに”梶を切って進めて行ってくれるはずだ。もし見えない岩礁へ当って事故を起こしても、当事者が責任を負い、上部まで累が及ぶことは稀だろう。責任をとる場合は辞任すれば、そこでチョンだ。そして恐らく暫くほとぼりが冷めるのを待って密かに何処かへ再就職してしまうはずだ。
関係官庁から関連企業へ天下りするなんて常識で判断すると、きっと現役時代暗黙の約束があったのではないか、と思わざるをえない。
しかし公務員の世界ではそれが恒常化し、しごく当たり前の“公務員の常識”となっているのは本当に恐ろしい。
私の聞いた話でも、民間へ天下った人が5年程勤めて再度独立行政法人のトップへ再々就職した話があった。それを聞いた時、“なんだこりゃ、省庁のトップは自分達の定年後の再就職の準備に必死で、国のことなど全く考えていない、と思った”一回の再就職の世話ならまだ許せるけれど、其の先までちゃんと準備しておくなんて、想像を越えた世界だ。官界は我々の棲む世界とは違った魔界なのかも知れない。
今中国の官僚達の腐敗の様子をマスコミなどで目にするけれど、日本の場合は一見そのような腐敗はないように見えるけれど、手口を変えてうまくカモフラージュされているだけで実際は同じことが行なわれているような気がする。
中国のように直接お金を自分の手でわしづかみしたりせず、迂回を繰り返しながら綺麗なお金にして、計画的に作られたポストを通じて、“正当な報酬”に見せ掛けている。

何故政治家はこの状態を改革出来ないのか。
いつも“増税しなくても無駄なお金が一杯ある”というだけで、どうして、ここをこうすれば、○○あって、という風な具体的な数字が出せないのだろう。
具体的に出来れば、自ずとスリム化も本当の実現へ動き出すはずだ。

自民党だ、民主党だ、といっている時ではない。
国民の為に今何をするべきか、政治が国を動かしているのだ。
自覚して欲しい。


郵政民営化スタート

2007-10-22 16:21:11 | Weblog
郵政が国を離れて一人歩きを始めた。
まだ国が株を全て所有しているのだろうから完全民営化とはいえない。
しかし民間企業への第一歩を踏み出したことは確かだ。
JRやNTTのようにうまく軌道に乗せて新しいビジネスモデルを創造して欲しい。

今日お米を“ゆうパック”で子供のところへ送った。
新しい制服を着た人が集荷に来て、電子端末を操作してデータを打込み、明日
着きます、といいながら領収書をプリントアウトした。
以前の人とは違って、安心出来るように思った。
肝腎の料金も、今までのところより500円程安くなった。
お米だと袋のままで送れるのでケース代も助かる。
そして同じところへ送ると、ニ度目からは50円引きになる。

クロネコに持って行くと受付の女の人がテキパキと対応してくれて気持が良かった。
民間は国営と違って動きが違っていた。
今日の集荷の人は遜色のない身のこなしだったが何処まで進歩していけるかが課題だ。
民間会社は潰れることもある、と全社員が何時自覚出来るのだろう。
其の時が本当の民営化の出発点だ。

私は日本郵政株式会社社長の西川善文さんの書いた“挑戦-日本郵政が目指すもの”という本を読んだ。
読後感としては、27万人ものマンモス企業がぬるま湯につかって、いい湯だな、とやっているところへ、厳しい最前線で戦争をしていた司令官が突然踏み込んで来て、冷水を頭からぶっかけた、のではと思った。
それにしてもリーダーが変われば会社も変わる。

民営化するまでは、総裁が地方の若手と意見交換をしたことなど一度もなかったのではなかろう。恐らく総裁は神様と同じで雲の上に鎮座していたのだろう。
全てのことが徳川時代さながらに上意下達で、下の者はご指示通りに、はいごもっとも、と流れに身を任せていれば、給料は降って来るか、湧いて来たのだろう。

しかしこれからはそのようには行かないだろう。

全国津々浦々にある郵便局を網羅して今までにない細やかな、其の地域にあった金融やもの流通や物販、そして地域に根ざした安心出来る郵便局の情報網で特に高齢者ヘの販売流通を核にした社会貢献のモデルをつくり出して欲しい。



赤福

2007-10-20 17:16:41 | Weblog
十年程前に伊勢神宮へお参りした時赤福の本店でお餅を食べた。
ここがかの有名なお餅やさんだ、と餅を食べながら嬉しい思いをした。
店は古く小さな庭があった。
お餅以外のお土産品も売っていたように思う。
お店は本当に賑わっていた。
昔のたたずまいがそのまま残っていたのが良かった。

私が初めて赤福を食べたのが何時だったかは憶えていないけれど、甘い物好きの私は一気に三つくらい食べたことだけはハッキリ憶えている。
お伊勢参りのお土産ではなく大阪へ行った姉から貰ったように思う。
もう其の頃には販路がが広くなって、関西一円に出回るようになっていたのだろう。
其のあたりから偽装というか製造日の表示の改ざんが始まったのではないだろうか。

雪印・不二屋・白い恋人・そして赤福と食べ物を扱いながら、食を扱っているという自覚が企業経営者に欠如していたように思えてならない。
長い時間をかけて商売を大切に先人が築き上げて来た“のれん”の重さを忘れ、“のれん”を座ぶとんだと思い違いして、其の上で“あぐらを”かいていたのだろう。“のれん”は押し頂く大切なお客様から認めて頂いた信用なのだ。

それをおろそかにするものは一気に信用を失墜してしまうのだ。

赤福に限れば、お餅は製造日に売り切ってしまう、ということに決めて、本当に新鮮な出来たてのものを提供する、創業時代のような商いをして欲しい。


デボラカー死す

2007-10-19 15:59:54 | Weblog
ネットでデボラカーの死を知った。
記事に“地上より永遠に”に出演していたと書かれていた。
この映画の制作は1953年でいまから54年も前に作られたものだ。
出演者のバート・ランカスターやデボラカーの記憶は余りハッキリとはしていない。
だが何故かモンゴメリークリフトだけは鮮明に憶えている。
彼の容貌のせいかも知れないけれど、恐らく演技の素晴らしさに引き込まれたに違いない。
彼がラッパを吹くあの1シーンだけは生々しく昨日のことのように蘇って来る。

それにしても一体誰と行ったのだろう。
一人で行ったのか、親しい仲間と行ったのかも憶えていない。
しかし、この映画の制作年代からすると、中学生時代に観たのは確かだ。
当時親友が朝丘ルリ子に憧れていて“地上”という映画に誘われたことがあったから、彼と一緒に行ったのかも知れない。
彼も亡くなって40余りも経ってしまた。

一人の女優の死で遠い青春時代を思い出した。
そして時間の経過の速さに驚かされている。

“地上より永遠に”を観てから54年も経ってしまた。
自分の年にも驚いている。

老人の不安

2007-10-18 15:31:33 | Weblog
過ぎ去ってみると、時の速さに驚かされる。
忙しく働いていた時代は、時間が休むこと無く確実に経過しているなんて思ってもみなかった。
しかし時間はこれを書いている瞬間も私の過去を作り続けている。
過去に落ち込んでしまった時間は二度と帰ってこない。
そのことは仕方ないことだが、これから先き何年生きられるかわからないけれど私に割り振られた時間をどのように過ごすか、考えると不安がある。

父や母の老後の過ごし方をみたり、自分の日々のことを考えると時間は何とはなしに過ぎて行くようだが、ひたすら終末へ向けて、無為な日々を過ごしては・・と思ったり・・

まあ若い時に時間がなくて出来なかったことを思う存分していれば不安も吹き飛ぶだろう。

カラスは何を話しているの?

2007-10-18 14:58:06 | Weblog
直ぐ前の本当に小さな山に棲んでいるカラスが最近カアカアと煩いぐらいに鳴いて木にとまったかと思うと又さっと鳴きながら飛んで行く。
いつもの人を小馬鹿にしたようなアホウアホウという鳴き声とは違っている。

”カラス語”が解れば面白いのだろうけれど、如何せん日本語がヤットで人間同士の言葉でも外人の話す言葉は全然解らないものにとっては鳥語なんて理解出来るはずもない。しかし人間同士だとボディランゲージで何とか通じ合える。カラスと仲良くすれば解るようになるのだろうか。

人に話したら笑われるようなことを考えるなんて暇なのかも知れないけれど、色々なことが不思議でたまらない。
花が咲いたり、子供が生まれたり、人が死んだり、蝉が地中に何年もいて地上へ出て来ると数日の命だったり、マスが必死で川を遡上して産卵後に死んでしまったり、宇宙の大きさは、地球の寿命は・・・ああ本当に不思議だ。

フライ級タイトルマッチ

2007-10-12 22:29:50 | Weblog
内藤と亀田大毅のフライ級タイトルマッチを観た。
普段ボクシングの試合など殆ど見ないのに、今回はちょっぴり興味があった。
余りにも亀田亀田の報道が多くチャンピオンに冷たかった。
勝負の世界だから相手を罵倒するぐらいの厚かましさがないと戦う以前に負けてしまうのかも知れないが、それにしても亀田本人の言動といい、周りの報道といい、亀田側に傾いてしまっていた。
TBSに沢山のメールなどが届いたらしいけれど少し一方的な実況だったように思った。
それにしても最初から、あのようにガードを固めてしまって、がっかりだった。
ボクシングはフットワークとパンチとガッツのスポーツのはずだ。
最初からガード一点張りなんて、組合わず逃げ回る、面白くもない国際柔道のようだ。

若者はパンチを食らってもいい覚悟で顔を上げ思い切り戦って欲しかった。

内藤には大きな拍手を送りたい。