ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

事故米

2008-09-19 11:52:44 | Weblog
国内のお米を減反して、問題のある米を輸入するなんて理解出来ない、と思っていたけれど米の専門家のブログを読んで少しは分ってきた。
国内の米を守るための関税障壁の見返りに輸入しているということだ。
だが腑に落ちないのは農薬等が残留している米は買い取らず返却すべきではないのか。
安全なお米であれば、あってはいけないことだけれど、ここまで大きな問題にはならなかった、と思われる。

それにしてもお役人のテレビ会見を観ていると、いつも思いだす言葉がある。
同級生で高級官僚になって、七十前にしてまだ天下りを繰り返している人が言った
「官僚は過たず」の一言だ。(なに言ってやがるんだ)

それにしても取扱い業者のモラルの低さには開いた口も塞がらない。
この事故米は農水省が売渡した後破砕処理を要求していたにも拘らずそのまま転売を重ねていた。
破砕していれば食用として流通出来なかったのではないだろうか。
(煎餅や最中の皮にはなったかもしれないけれど)
ここで問題なのは破砕が行なわれているかどうかの確認を農水省が怠ったことだ。
三笠フ−ズが悪いではすまされないと思う。

一番不思議で腑に落ちないのは、有名なお菓子やさんや酒造メーカーやお弁当やさんが“主役の米”にこだわりを持っていないことだった。
「この菓子の米は○○○産です」と、食を扱う人は自信を持って言えなくちゃあ駄目なのではないだろうか。

ああ何も信用出来なくなってしまいそう。
そうは言っても、食べるのだけが楽しみなのに・・・・・

人の一生

2008-09-04 10:48:32 | Weblog
ここ二年の間に姉を亡くし、母もそして伯母も亡くした。
妹がガンの手術をし、今又家内の弟が難しいガンと戦っていたがあっという間に逝ってしまった。
みんなの輝いていた日々の顔が思い出されて時折捕らえ所のない寂寥感が心を塞いでしまうことがある。

生まれ出て“時の列車”に乗り込んだ時からひたすら自分の降りる駅に向って走り続けているのだけれど、到着時間は誰にも分からない。
過ぎて行く風景の見え方は人それぞれに違っている。
ある人にはなだらかな緑豊かなもので、又ある人には不毛の岩ばかりの荒涼とした原野かも知れない。
人生は過ぎ行く時間同様にどうすることも出来ないことに満ちている。

七十才近くになると仕事で塞がれていた人生の大きな部分がポッカリと広がってしまって、とまどってしまう。
そこを埋めるように旅に出たり、読書を楽しんだり、趣味の同好の人を求めてみても中々充足感を味わえない。
老後は平穏に緩やかに過ぎて行く時間に浸って、求めることをせず、成るがままにまかせた生活をおくるのが一番なのだろう。
先日知人が、「もうここまで来れば、後は上手く着地を決めるだけだよ」と云っていた。
しかし難しい。