ハトにエサを与えるからかもしれないけれど自転車の前を塞ぐように群れていて通り抜けるのを躊躇させられる。殆どの鳥は人の気配を感じるとあっという間に飛び立ってしまう。図太そうに見えるカラスでも例外ではない。それなのにハトは自転車でたむろしているとこへ乗り込むと通り道を開けるとまたエサを突き始めている。平和の象徴のイメージは湧いてこない。
サイクリングの聖地などと宣伝されているしまなみ海道の四国側の起点糸山公園の自転車基地、サンライズ糸山の風のレストランでランチした。海鮮いっぱいのシーフードカレーを食べた。
眼前に広がる海峡とそれを跨ぐ大橋の景観はランチ以上のご馳走だった!
日本最古の腕木式昼間潮流信号機
毎日行っている海岸の渚に捨てられたボトルを見て、25年前に、なんちゅう事だ、と頭にきた憤りをポスターにして県展へ出品しました。最近はマナーが良くなっていますが休み明けには時折打ち捨てられたペットボトルを見かけます。お掃除のおじさんも嘆いています。
新聞でキリンがローソンにペットボトル回収機を設置してペットボトルのリサイクルを強化する、と言う記事を読んだ。こう言ったメーカーや販売店が、ペットボトルの発売時点に取組むべき企業の当然の義務に初めて気が付いて立派な事をする様に報道されているのだから企業の姿勢も情けない。ペットボトルは出荷した本数は企業の義務として回収する、と言った気概を持って欲しい。回収機も良いけれど、価額に2〜3円のせて回収場所へ持て行けばお金が返るようにすれば効果テキメンだと思う。ビールビンをお酒屋さんへ返すとお金が貰えた様な気がする。息子が楽しみにしていた。新聞を開くとついつい訃報の記事に目が行く。80才を越えるともう何時お迎えが来ても仕方ない年齢だ、と思うのだが、ついつい世間に足跡を残して逝った人と比べて自分の人生は如何だったのか、と振り返ることがある。けれど悔いの残る人生ではなくて満足と言いうのではないかも知れないけれど恵まれたものだった、と感じている。時折池田晶子の哲学を思い出し、ヘルマンヘッセのデスマスクを思い浮かべたり、取り留めもない時間を過ごしながら変わらぬ日々を送っている。もう少し健康でいてコロナ禍が終息すれば初曽孫に直に会いたい。接種も終え徐々に暑さにも慣れてきたようだ。自転車漕いで海辺を走ろう!
ヘルマンヘッセのデスマスクの8年前のブログです。
子供達が泳いでいる!
年をとっても食事はうまい!血液サラサラ、血糖下げの薬を飲んで毎食ババさん手作りの食事だ。私は食べる人奥さんは作る人、頭悩ませながら手早く旨い料理を食べさせてくれる。ありがたい!血糖値を下げるタマネギやキクイモの酢漬けは毎食並ぶがとても味わいがある。
先週も”ウイルスの意味論"を読んだ。今度は“新型コロナの科学“読んだ。前者は科学者が書いたものでウイルス研究のこと後者は報道記者が書いたものだった。武漢から拡散したウイルスのゲノムの確定から始まって情報の共有、ワクチンの合成、検証、接種までの過程が書かれていた。従来のワクチンは5〜10年も掛けてやっと効果を発揮することが出来るようになるのに、今回の新型コロナワクチンは1年ほどで接種できた。研究と技術の進歩は驚異だ。よく調べて分かりやすく解説されていて時宜を得た素晴らしい読み物だった。一読を勧めたい。
丁度武漢でコロナが噂され始めた頃に大阪梅田の長距離バス発着場で中国人観光客が関空行きのリムジンバスに沢山乗り込むのを見て、コロナ大丈夫なのかな、と家内と囁き合ったことを思い出した。幸いにもバスは四国行きだったので混じり合うことはなかった。
丁度コロナ禍の只中の図書館の長い閉館明けの新刊書コーナーで“ウイルスの意味論”の書名が目に飛び込んできた。目次を見ると興味をそそられた。ウイルスの事が分かる、と思って借り出して読み始めると益々興味が湧いて来た。でも私の読書はベッドに寝そべって読む習慣になっていて睡眠薬を飲んだかのように直ぐ瞼が下がって来て寝てしまう。それでも興味を削がれることは無く読み終えた。正にコロナ禍の恰好の読み物だった。本当に面白い意義のある本だった。
研究者の探究心が今のコロナウイルスのワクチンの迅速な創薬につながっている。
今日2度目のワクチン接種が済んだ。みんなの接種が終わって楽しい日々に戻って欲しい!