ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

鵜の日向ぼっこ

2020-08-30 10:25:00 | Weblog
浜へ行く途中の川にゴイサギと一緒に鵜がいる。鵜が潜って捕る魚がいるの、と思うほどの浅い水量だがもっと上流にいることもある。何もいなければ河口近くだから一飛びで海へ出てお腹を満たして川洲へ戻り羽を乾かしながら一服しているのかもしれない。私が心配する事はない。自由に飛べる羽を持っているのだから。高齢者も自由気ままに過ごせそうだけれど鵜と違って「籠の鳥」に近い!制限だらけだ!





鯛かアコウどっちがいい?

2020-08-29 21:04:00 | Weblog
昨日のお昼にアコウと鯛の煮付けが出た。鯛は例の大きな鯛の切り身でアコウは魚屋さんから買った。どちらにする、と聞かれたのだがどちらも食べたい、と思いながらアコウにした。途中で鯛の身もチョット味見した。どちらも旨かったがアコウ選んで良かった。

鯛の大物75㎝

2020-08-26 20:42:00 | Weblog
八十過ぎの人がしまなみ海道の下の急潮の来島海峡で釣り上げた鯛の大物だ。測ってみると75㎝もあった。大き過ぎて処分に困り年下の釣り仲間が解体して我が家にも半分たくされた。魚好きでも後退りする程だった。お隣へもお裾分けした。お昼に兜焼きにして早速食べた。









80才ジジとババの食事

2020-08-24 10:06:00 | Weblog
80才ジジとババの食事!少し重い時もあるけれど、もう少し、と思うこともある。高齢者レシピもあるだろうけれど我が家では、食べたいものを、、でも、、食事のたびに悩んでいるらしい、、があっという間に食卓に登場します。何はともあれ食事が美味しく食べられるのが一番!











わたしの終戦

2020-08-15 10:50:00 | Weblog
戦後75年になった。戦争を闘った人は殆どいなくなってしまった。五才だった自分も80才になる。国を動かす政治家も、教育者も産業人もあの悲惨な戦争を知る人は居ない。朧な記憶をたどってみた。

 子供には当時の戦況は分からなかった。
ただお父さんは戦争に行っている、とだけ聞かされていた。
何処へ行って、どこの国を相手に戦争しているのか、知らなかった。恐らくお母さんも詳しく知らなかったに違いない。  
情報は箱形のラジオから流れる国営放送の偏向ニュースばかりだったはずだ。
為す術も無いお母さんは毎朝お日さんに手を合わせて無事を願っていた。
神も仏も何もしてくれない苛立ちに手を合わせてお日さんを拝んで心を鎮めて居たに違いないと、大きくなって気付いたが母は父が毎朝お日さんに向かって手を合わせていた姿を思いながら無事を念じていたに違いない、
 
 疎開してからは街と違って昼夜を問わず鳴っていた警戒警報のサイレンも聞かず、のんびり過ごしていた。
 ところが夜間に突如耳も体も木々も田も畑も森羅万象を震え上がらす轟音が響き、サーチライトが降って来て地上を照らし出した。外に飛び出して畑の畝の間にうずくまって震えながら見上げると機影が頭上を覆ってしまっていた。
 町の方を見ると真っ赤な火の渦が大きく舞い上がって、揺れ動き、火の魔人が猛り狂っているようだった。遠く離れていたので頭上に爆弾が落ちて来ないと分かると少し落着いたけれど怖くて動けなかった。やがて敵機がさって爆音が収まっても町の火勢は益々燃え盛っていた。
どれほど時間が経ったのかハッキリと思い出せないけれど、服は焼け、顔を煤だらけにして疎開先の母屋の玄関に母の弟が飛び込んで来た。
目を大きく見開き喘ぎながら前を凝視していた。
 伯母さんの問いかけにも答えず「死ぬかと思った、怖かった」とだけ言って流れる汗を拭きもせず、震えていた。
差し出された水を一気に飲み干して大きな息をつき、目を瞑って、又呼吸を整えた。
しかし動顛した状態から立ち直れないままだった。
少し時間が経つとぽつりぽつりと凄惨な様子が言葉になり始めた。
「十一時頃けたたましく警戒警報が鳴ったので飛び起きると既に家を揺るがす爆音が唸りを上げていた。
慌てて服を着ると家を飛び出し防空壕へ走った。
空を見上げると夜空を爆撃機の編隊が覆い尽くしていた。
防空壕へ入るや否や編隊を組んだ爆撃機から焼夷弾が投下された」と呟くように言った。
 
 焼夷弾は地上七〇〇メートルで夥しい数の焼夷弾に分裂し、姿勢制御のリボンに火が着き頭上を赤く染めながら落下して屋根を突き破ると発火装置が作動し、消火不能な炎を吹き出し一気に町を火の海に変える業火だ。
 
「防空壕へ避難していた人々も、そこへ止まっていては焼け死んでしまう、と火勢の中へ飛び出して行ったので後に続いて走り出た。
 外は既に家々が炎に煽られて焼け落ちんばかりになっていて火を避けながら走り抜けるのがやっとだった。広い通りに出て必死で川を目指して走った。
泣き叫ぶ人や怪我で動けない人、焼けただれて動かない人もいたけれど目をつぶって走った。
川土手へ出られたのは奇蹟に近かった。
一心不乱に走れ、走れ、と呟きながら走った」と放心の態で呟き続けた。
焼夷弾は人の生死など微塵も考慮しない必殺の業火だ。
戦争は狂気だ。
誰が無差別爆撃を許したのか。
自分の死、家族の死、近しい人の死には悲しみを覚えてもそれ以外の人々の死には同情も悲しみも一抹の罪悪も感じない戦争の非情は神が人間に与えた乗り越えるべき業なのか。  人それぞれに未来があり人生があったはずなのにいきなり抹殺していいのか、ああ、、、
 
 母の弟は十四才だった。航空少年兵の試験を受けていた。自分もお国の為に、と決心していた。でも健気な勇気も焼夷弾の絨毯爆撃の無慈悲な凄まじさに縮み上がり跡形も無く吹き飛んでしまって震えていた。
 赤く吹き上がる炎は下火になる気配も無く夜が白んでも続いていた。
 この無慈悲な爆撃は終戦九日前だった。  アメリカに直接攻撃を仕掛ける事も出来ない小さな町を爆撃する必要など微塵も無かったはずなのに。
 戦争では人の命など無いに等しい。 
 存在すら認めていないのだ。
 
 街の様子を見て来た人は町がすっかり焼け落ち、灰燼に帰した焼け跡にコンクリートの公会堂だけがポツンと残っていた、と凄まじさに肩を振るわせながら話した。
 
 焼夷弾爆撃の九日後の八月十五日に大人は四角い箱形のラジオの前に正座して膝に手をつき俯いて放送の言葉を噛みしめるように、頭を頷くように小刻みに上下させて聞き入っていた。
 放送が終わるとその場が白けてしまったように見えた。それは安堵と遣る瀬無さがない交ぜられた感情のはけ口を探している表情だったに違いない。負けると分かっていたけれど全面降伏の受諾の宣言が今まで聞く事の無かった神と言われていた人の声で発せられた言葉が分かりづらく、初めて聞く声の音色やイントネーションに戸惑って、放送が終わった直後は押し黙っていたが直ぐ雰囲気は一変した。口々に、終わった、此れでいい、どうなるのだろう、息子は帰って来るのか、お父さんは何時帰る、アメリカがやって来るの、と今まで口に出せなかった言葉が飛び交った。 ああ、やっと辛い戦争は終わった、でもこの先どのようになるのだろう、と母は大きな不安に襲われていたに違いない。
 お百姓さんと違って家を失ってしまった疎開者には次の困難な生活の幕開に過ぎなかった。
戦争はあの玉音放送で日本が無条件降伏を受諾した、と全国民に知らされた。しかしそれで平和が訪れた訳ではなかった。
 終戦で確実になった事と言えば赤紙で招集されなくなった、事実のみだった。
 幸いな事に係累に戦死者はいなかった。
 父はあっという間に尿も凍てつく付く極寒の満州の豆満江でソビエトに対峙し、叔父はビルマ戦線の生き地獄を敗走につぐ敗走に耐えて生還した。
しかし運良く帰還しても、そこは厳しい敗戦の焼け跡が広がった瓦礫の町だ。
さて、どうすればいいのか、と悩む暇があればこそ、生きねば、生きねば、と誰もが動き始めた。
 戦争は終わったけれど戦後の混乱状態で満州へ出兵していた父の消息は分からずソビエトの捕虜になっているかも知れなかった。
 当時五才の私には父の帰還を待ち焦がれている切ない母の思いを感じる事も無かった。
 終戦の詔勅放送から少し経って何時ものように小川沿いの道で遊んでいると坊主頭で無精髭の軍服姿の人が近づいて来た。するとかがみ込むようにして私を見て、雄三、と呼んだ。お父さん、と声を出す間もなく踵を返して、家に飛び込み、「お母さん、お父さんが帰ってきたよ」と走り回りながら叫び続けていた。
 叫び声を聞き付けてお母さんが駆け出してきた様子は鮮明に記憶に残っていなければならないはずだが、その夜に何を食べたのか、何を話したか、皆目思い出せない。
 出来事があまりにも遠い昔になってしまって脳に書き込まれていた記憶が読み取れなくなってしまったのかも知れない。いや、そうではなくて幼い自分には父が帰った喜びが母のように堰を切って溢れ出さなかったからに違いない。

ソーメンカレー

2020-08-10 21:06:00 | Weblog
奥様ご飯炊き忘れてお昼のカレーとソーメンを急遽マッチングして夕飯になった。
ご飯にかけたカレーよりも美味しい、と思えるほどだった。カレーは自家製のジャガイモころりがいい。高級ホテルのレトルトパウチカレーよりも昔カレーがいい!

北斎漫画を観ていてひらめいた!

2020-08-10 09:41:00 | Weblog
まだ60代で県展出品作品を考えている時ルーチンコースの海岸で浮いているゴミを見てひらめいた。丁度図書館で借り出していた”北斎漫画の安康“が海の汚染を"愚痴る場面!
海へ来る人はみんな海が好きな人だ、と思っていたのでゴミを持ち帰らない人がいるのは残念でならない。大人になると子供の頃に抱いていた自然への気持ちが薄れていくのだろうか?
川に自転車が流れていたりもしている!





1493コロンブスからはじまるグローバル社会 世界史入門 を読んだ

2020-08-09 21:38:00 | Weblog
コロンブスからはじまるグローバル社会1493 入門世界史を読んだ。この前読んだコロンブス図書館繋がりです。丁度今新型コロナウイルスが世界中に蔓延して必死で感染を抑え込もうとしているが現代の進んだ文明社会でも終息させるのは難しい。この様なグローバル社会の先駆けはコロンブスのアメリカ発見で、スペインやポルトガルが競って新大陸発見競争に乗り出し、たどり着いた場所が地図に次々と書き加えられていった。そして人、物、動・植物、細菌等あらゆる物の移動が始まった。この現象をコロンブス変換と定義していた。500年後の2020年も変わる事なくコロンブス変換の只中にあって世界中があがいている。しかし新大陸発見して住み替える事は出来ない。何とか踏み止まっていかねば!