ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

劇団文化座の”出番を待ちながら”を観る

2008-03-31 17:12:15 | Weblog
二ヵ月に一回の市民劇場で劇団文化座の”出番を待ちながら”を観劇した。
会場へ行く時まで劇の題名も知らなかったものだから、渡されたチケットを見て、出番を待ちながら、と云う題名から想像して、出番を待つ舞台裏で繰り広げられる人生模様かと思っていたら全く其の逆で、華やかな舞台を引退した女性達の慈善ホームでの老後生活の悲喜交々だった。
話は1937年云々の台詞が聴こえたから私が生まれた頃だと思った。
1930年代にこのような施設があったとすれば、本当に素晴らしいことだったに違いない。
日本ではとても考えられないことだ。

それにしても時間の経過は誰も止められない。
華やかなステージで妍を競い合った女優達も老いには勝てず、引退を余儀無くされ、身寄りや貯えのない人が慈善ホームのお世話になった。
彼女達の全盛期には想像だにしなかった、ヒロインと端役の人が同じ家で暮らす生活は、いくらプライドを押し殺しても心の内では葛藤があって、その生活に馴染むには高い舞台から飛び下りる勇気がいったことだろう。

この劇の出演者の名前を見ても、誰も知らなかったけれど、台詞といい流れといい大変よかった。
二時間があっという間に過ぎていた。



来島海峡の急潮を体験しよう

2008-03-16 19:21:32 | Weblog


尾道と四国今治を結ぶしまなみ海道に架かる来島海峡大橋は日本三大急潮の一の海峡を跨いでいる。
観潮船のコースはその急流の観潮をしながらの40分間のクルーズ。
試乗会で50キロのスピードで突っ走る観潮船を追いかけて写真を撮った。
追う船も50キロで並走するので船は上下左右に揺れてうまく狙ったように撮れなかった。



素人の私にはただ船を写すのが精いっぱいで、構図などは問題外だった。
それでも滅多に経験することのできない体験で本当に楽しかった。
写しているときは感じなかったのだが下船すると、何か頭がふらついた。

同乗者はみんなデジタルの一眼レフで撮影していた。
私はデジタルの一眼レフは持っていないのでフイルムで撮影して、カメラ屋さんでデジタルにしてもらった。
現像料を出せばデジタルになった。
即見えないのが時代遅れかもしれないけれど二時間待てばデジカメになった。

計画段階でこの船の完成予想図を描いた。
予想図と少し変わったけれど何か親近感を覚えている。
42乗りで全長14.5m 全幅4mだ。

四国から北海道へ3900キロの汽車の旅(10)札幌ー東京ー四国

2008-03-15 22:19:09 | Weblog
札幌を北斗星にのって東京へ。




 上野到着。



東京を立って車中で富士を見た。
今回の旅では行きも帰りも富士の山を拝むことができた。



ついに岡山で特急しおかぜ号に乗車。

後二時間で自宅のお風呂だ。
旅は普段の自分と関係のない世界へワープ出来るので
楽しいのに、何故か自宅が恋しくなる。
しかし帰るとまた旅に出たくなるのだ。

芭蕉の気持ちも分かるような気がする。




 




四国から北海道へ3900キロの汽車の旅(9)川湯温泉から四国へ

2008-03-15 22:10:47 | Weblog
朝八時過ぎの列車に乗って一路四国へ向け出発。



まずは釧路湿原を通って釧路駅経由で札幌へ。

       鶴に会う。



       釧路駅到着。



観光案内で”勝手どんぶり”という”珍どんぶり”を教えられる。はて?



ご飯を買って好きな魚をチョイスして自分でどんぶりを作ります。



やっと札幌へ到着。友人と再会。ラーメン街をぶらり。



いよいよ札幌を立って明日は東京そして四国へ。


四国から北海道へ3900キロの汽車の旅(8)川湯温泉へ

2008-03-10 18:05:51 | Weblog

無人のみどり駅からなんとかタクシーで川湯温泉へ向かう。



運転手の方と事の顛末を話していると、知床斜里の観光案内の
人の勉強不足だったことが明らかになった。
二つ手前の駅で下車しておれば私どもを迎えに来てくれたタクシー
会社もあって、駅前にタクシーもいたとのことだった。
二駅も引き返してそこから目的地の川湯温泉へ向かった。
それでも冬場二割り増しの運賃を、遠い四国から来てもらったのだからサービスをさせて貰います、と嬉しいことを云ってくれた。
この旅は行く先々でいい人たちにめぐり会えてよい思い出ができた。
川湯温泉は硫黄泉で効能書きの通り身体によく効くように感じた。
洗い場のカランは全て硫黄の所為でぶくぶくの状態に変化していた。
何時も貧乏旅行だからビジネスに泊まって夕食を外で楽しむのだけれど旅の一晩か二晩はゆっくりとくつろげる温泉があると、一層楽しい旅になる。

ホテルの直ぐそばに横綱大鵬の生家があったが見る間がなかった。



朝は本当に寒かった。
写真には写らなかったがダイアモンドダストが見えた。
木々には樹氷が出来ていた。





いよいよ川湯温泉をたって釧路へそして札幌から北斗星で一泊して、
東京から四国の最終章だ。

四国から北海道へ3900キロ汽車の旅(7)知床斜里・川湯温泉へ

2008-03-09 10:02:18 | Weblog


次は流氷を見ながら海沿いを走るスノーレインボウ(ノロッコ号)に乗って知床斜里経由で川湯温泉へ向かった。





船の欠航で流氷見物が出来なかったので、今度こそは、と淡い期待を抱きながら列車に乗り込んだ。席は外がよく見えるように線路と平行な角度で正面に海が延々と続いた。海岸が結氷し、そのずっと向こうに白いラインとなって流氷が見えた。もう少し北風が吹き続けば接岸する、と車内で観光案内をしていたガイドがアナウンスしていた。海が凍っているのを見るが初体験の私には感動の連続だった。



知床斜里駅へ着いた。



予定ではこの駅で二時間待ちだったので、もう少し早い便はないかと観光案内所へいくと、次の汽車で”みどり駅”へ行ってタクシーに乗れば一時間ほど早く着くといわれた。だがそれは大失敗だった。みどり駅は無人駅で、勿論待っているタクシーなどいなかった。



外へ出ても人っ子一人見えなかった。



家内はぶつぶ云うし、途方に暮れてしまった。解決するには引き返すか、タクシーを探すかの二案しかなかった。そこで取りあえずへっぴり腰で歩き出ししばらく行くと、小さなスーパーがあって、雪かきをしているおじさんに会った。タクシーを尋ねると、そこでたくしーの取次ぎをしていた。早速お願いして、家内を迎えに駅へ引き返し連れてくるとストーブの側へ椅子をそろえてくれた。本当の温もり触れてホッとした。
おじさんの出身地が徳島だと聞かされて、更に親近感を覚えた。
お父さんが北海道へ入植に付いてきたということだった。
北海道に来て網走のタクシーの方が高知で”みどり”お世話になったおじさんが徳島の出身だなんて、北海道は日本各地の人が作り上げてきたんだと知った。

次は川湯温泉だ。

四国から北海道へ3900キロの汽車の旅(6)網走へ

2008-03-08 00:53:29 | Weblog
旭川で友と別れて二人になった。
ひたすら雪の中を走って網走駅に到着したのは八時近くだった。



雪道を荷物を引きずって何とかホテルへチェックイン。
荷物を部屋に置いて早速又雪の街へ食事に出発。
しかし外を歩いてる人など皆無で尋ねることもできず当てもなく雪道を歩いて食事処を探した。
やっと見つけた寿司店へ入った。
カウンターには常連らしい二人連れが店主と食事そっちのけで饒舌にしゃべっていた。
私は店主お任せの北海道海鮮寿司にした。
そのうち二人の常連さんと四国の酒や食べ物や真珠の話が弾んだ。
そして私が明日流氷を観に行くと話すと、流氷が接岸していないからやめた方がいいと忠告されたので予約をキャンセルして予定を変更することにした。



一夜明けても外は変わらず雪ばかりの風景だった。
一先ず駅へ出て荷物をロッカーへ入れて観光案内所でいろいろ尋ねてタクシーへ乗った。
運転手の人と話していると、出身が高知だと言われ、なんと遠く来たもんだと思った。
彼に話を聞きながら案内をしてもらった。
網走刑務所(旧刑務所を移築したところ)→天都山→お寿司屋

     
       現在の網走刑務所




     
   明治時代の移築刑務所内部




   天都山より流氷を見る




    期待の海鮮丼を食べる




お昼からはのろっこ号に乗って流氷を見ながら知床斜里へ向かった。


四国から北海道へ3900キロ汽車の旅(5)旭川市旭山動物園

2008-03-06 18:42:31 | Weblog



話題の旭川の旭山動物園で白クマのダイビングやペンギンやアザラシの泳ぐ姿、オランウータンやゴリラの高所での活動を期待したけれど、白クマは同じところをくるくる回っていて、迫力のあるダイビングは最近しなくたった、と聞かされた。
熱帯のゴリラやオランウータンは寒さを避けてお部屋で冬眠状態で、無様な格好でひたすら寝ていた。丁度ペンギンの行進に出くわしたけれど、どっと人が押し寄せて小さなペンギン様を見るのにも一苦労。



これでは自分の地元の砥部動物園の方が動物がのびのびとしていていいのでは、と思えた。(人工保育の白クマもいるし)



ただ雪の動物園は四国では味わえない。
氷点下10度ぐらいだろうと思っていたのだけれど、その日は零度で期待外れだった。
バス停で雪かきをしていたバス会社の方が「今度はマイナス18度ぐらいの時に来てください。温度が本当に低いと足元が道路にくっついたようになって滑る心配がありません。」と言われた。きっと靴で雪道を踏みしめると、靴底が雪道に凍りつくのだろう、と思った。一度そのような状態の寒さを体験してみたいけれど、二日も北海道の寒さの中にいると暖かい四国育ちには無理なことが分かった。

今度は夏に旭川の木工製品を見に来たい。

四国から北海道へ3900キロ汽車の旅(4)札幌ビール園へ

2008-03-06 00:14:10 | Weblog


小樽の雪あかり会場を後にして再び札幌へ帰り、夜はサッポロビール園で生ラムのジンギスカンを自分でも驚くほど食べた。
私が抱いていたラムのイメージとまったく違っていた。




平均年齢六十うん歳五人組が周りの熱気に負けないように頑張った。
さすがビールはうまかった。
中ジョッキをたのむと、来たのは大ジョッキサイズの中ジョッキにはビックリした。


四国から北海道へ3900キロの汽車の旅(3)小樽へ

2008-03-04 21:13:37 | Weblog


2月17日はこの旅の一番忙しい1日だった。
朝札幌に着くと迎えてくれた友人のスケジュールに沿って行動を開始して、まず藻岩山へ上り、次は真駒内へ、そして小樽へ来た。
降りた駅は小樽ではなく、一つ手間えの南小樽だった。
それは雪あかり会場への道順に沿って歩いて暮れなずむまでの時間を小樽ガラスのお店で過ごさせようとの配慮だった。
雪道を歩くのはなかなか大変だけれど、雪を踏みしめる感触は楽しかった。
ざくざくと雪に足跡をつけながら歩いた。
お店に入ると観光客があふれていた。
さすがに全国的に有名な観光地だと思った。