ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

アフリカへの援助

2008-05-29 14:37:44 | Weblog
日本の援助が物の援助ではなく、おコメなどの作り方や人材の育成を目指していると知って、うれしく思った。
貧しさからの脱却は自分たちで必要なものを作り出して初めて可能になる。
収量の多いアジア稲と乾燥に強いアフリカ稲を掛け合わせた”ネリカ米”の栽培技術を大いに広めて、先ず食糧不足に悩む国々が必要な食糧の確保が出来るような援助を大いに推進してほしい。
国民が納得できる目に見える援助であれば大いにして欲しい。

船場吉兆の廃業

2008-05-29 14:14:56 | Weblog
この事件を見てきてつくづく思うのは”のれん”の有難さばかりを食い物にして、その上に胡坐をかいていて、先人が苦労して築き上げてきた努力や研鑽を忘れてしまっていた経営陣の驕りがもたらした当然の成り行きだといえる。

和食の名店とは何だろう。
旬の食材を使って、お客さんに最高の料理を楽しんでもらう腕と心意気を併せ持った処だと思う。

食べ残しの使いまわしや産地偽装なんて・・・我が家なら許されるかも???
それでもなるべくして欲しくない。

松山城

2008-05-28 18:20:08 | Weblog
春や昔十五万石の城下かな、と詠まれた松山城。
愛媛県立美術館館の玄関からの眺望です。
なかなか緑が豊かで素晴らしい景観だ。

松山城へあがって、道後温泉へつかって、子規記念館を訪れて
一句詠んで俳人の仲間入り、と思ったが、俄には無理だった。

我が家のエコ

2008-05-28 15:16:00 | Weblog
家内が何故か最近エコエコと云う。
車庫の前の蛍光灯を消して、玄関の電気も消して
門の所に感知式の太陽光発電の電気を取り付けて
足元を照らすとエコになる、と主張してネットの
オークションで早速購入し、取り付けた。
果たして一体どれほどのエコになるのだろう。
まあそれでも我が家のエコ第一歩だ。
太陽から直接電気を貰っていると思うと、何か
ありがたいような気持がするから不思議だ。

少しエコ発電の本でも読んでみようかな・・・・

腹立たしいこと“国会議員は何をしているの”

2008-05-15 14:29:20 | Weblog
道路特定財源法案の期限切れ問題で生じたごたごたによる石油価額の上り下がりに翻弄される庶民の腹立たしさを国会議員は本当に感じているのだろうか。
どうして法案の期限が決まっているのに事前に話し合いをして混乱の起こらないようなことが出来ないのだろうか。
道路もいる、石油も安くなければいけない、一般財源もいる、と云いながら妥協点が見出せないニ大政党のやり方にはうんざりさせられれる。
国の将来に向けた方向を国会を上げて取り組んでその道筋を示して欲しい。
互いにあら探しをするのではなく、どう妥協点を見い出して行けば国をよくできるのかを話し合うのが国会ではないのか。
腹立たしいことばかりだ。

いっそ大連立を組んで見てはどうだろうか。

劇団文化座“天国までの百マイル”

2008-05-14 12:00:14 | Weblog
いつものように車を駐車して歩き出して家内からチケットを手渡された。
薄暗がりの中で演目を確認した。
浅田次郎の“天国までの百マイル”だった。
本の広告で見たのか、映画の広告だったのか忘れたけれど頭の何処かに残っていた感じのする題名だった。
本を読んでいないから原作がどのようなのかは分からないが、小説だと場面の広がりなどは読み手次第でどのようにでも変化するけれど、劇の舞台となると時間とスペースが限られて、表現は大変難しくなってしまう。
今回のものも苦心しながら案外上手く展開をしていたと思う。
舞台にはテレビや映画と違った工夫や表現があって面白い。

内容的にはあまり心に残るものはなかったけれど、ただ一つ、マリの心情というか、挫折した人を好きになる、という悲しさというか、彼女の心根と台詞が印象に残った。

舞台は映画やテレビと違って奥行きがあるような気がする。
そこがいいのだろう。

お金と人生

2008-05-14 11:25:08 | Weblog
つい先日八十才を少し過ぎた方のお葬式にいった。
参列者の方は殆どが身内ばかりだった。
ご主人が会社を辞めてかなりの時間が経っているから会社関係の人も疎らだった。
人の噂では確りとお金をためている、と云われていた人だった。
幾ら持っていたのかは分からないけれど、二人の子供にも先立たれて遠くに住む孫と息子の嫁がいるばかりになってもなおお金に執着した倹しい生活をしていたと聞いていた。
はた目には、今さらお金を残してどうするのだろう、と不思議でならなかったらしい。
亡くなった二人の子供にもっと愛情を注いでいれば、きっと自分の最後を優しく看取ってくれたのでは、などと囁かれていた。
またある人は、亡くなる数日前にお見舞いにいった時のこと「必死になってお金を残してもしょうがなかった」と今際の際になって云われた、と話していた。

お金って何だろう?
なくてはならないもの。だが・・・・・
一見何でも買えるように思えるけれど、幾らお金を出しても“人生は買えない”

だが生まれてきたものには、それぞれの人生がある。
お金がいいか、幸せがいいか、どのような人生を選ぶかはその人その人の選択だけれど、「ああよかった」と言える人生を送りたい。
ここまで来ればその日がそう遠くないことだけは分かるような気がする。
何時かは分からないけれど・・・・・

墓参

2008-05-07 16:49:57 | Weblog
連休に帰省した娘が柄にもなくお墓参りをするというので我が家の墓と家内の実家の墓と、そして私の姉の墓巡りをした。
墓苑は全山サツキと云った風情でなにかホッとさせる安らぎに満ちていた。
お墓に来るたびに、この墓苑は本当にいいところだと思う。
そのうち自分の住むところになるからかも知れませんが・・・

最近は墓苑全体のお墓の形が同じところがあったりするけれど、一見合理的で、いいようにも思えるけれど、何か寂しいいような気がする。
それに引き替えて私の家の墓がある墓苑は昔ながらの墓所が整然と並んでいて、いかにもそこへ行くと懐かしい人がいる、と思えるような気持になって、雑草を抜き石の汚れを拭い、水を替えお花を生けて線香を手向けると清々しい気持ちになる。

しかしお墓を造るのに何百万も掛かるというのも、一寸考えものではあるけれどこれも日本の一つの文化でもあると思う。
お金をかけるかどうかは個人の自由なのだから・・・

それにしてもお墓のことが気になりだしたとは、年なのだろう。

今回は姉の墓に綺麗なお花が活けてあって、誰か参ってくれていたのでうれしかった。
自分たちの持参した花も一緒にして「これはいい、一層映えた」姉もきっとと喜んでくれている、と話しながら車へ乗り込んだ。

娘がお墓参りをしよう、と言ってくれたのは嬉しかった。