ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

千の風が吹いている

2007-11-30 17:10:11 | Weblog
空を見上げるとただ一つ、手を伸ばすと届くような感じのするところに雲があった。
よく見るとその雲に向かって音もなく飛んでいる飛行機が見えていた。
雲はずっと高いところを漂っている筈なのに、そこにあるかのように見えた。
不思議な思いがした。
見渡す限りの青空に本当に一つのホワットした雲が浮かんでいたのだった。

急いでカメラを取りに帰って、再び見上げると丸く膨らんでいた雲が左右に広がって刷毛で引いたように薄くなり始めていた。

空にはいつも千の風が吹いているのだろう。 

空を自由に飛びたい

2007-11-26 16:25:05 | Weblog
先日NHKでモーターグライダーを自在に駆って湖や紅葉の風景をかすめるような低空で滑空しながら撮影した「天空の旅人 紅葉列島を行く」という番組を観た。其の光景は鳥の視点でないと絶対に撮らえられないものだと思えた。
知人にモーターグライダーをしている人がいるけれどあのような低空で飛ぶことはとても無理だ。
私の聞いたところでは最低でも高度を300m位にとって上昇気流を読みながら飛ぶという話だった。
素人考えからしても300m位の高度を保っていなければとても危なくて命が幾らあっても足りないように思えるのだが、この撮影をした多胡光純(たごてるよし)さんは3mから3000mの間を上下しているということだ。
飛翔している彼を通して番組を観る私たちに鳥になったような視野を展開してくれる。
欲をいえばもう少し速度を落として、時には“ふわっ”としたような瞬間の様子を見せてくれれば最高なのだが、彼も鳥ではないのだからとても無理だろう。
それにしても驚異の映像だ。

彼はまだ32才と若いが私の知人は六十七才になるはずだ。
最近は行来が途絶えているのだが、天気のいい日には飛んでいるだろうと思う。
上空で音がすると外へ出て見上げてみることもある。

飛び立つ時の難しさは、見ているとはらはらさせられる。
エンジンや羽を背負って風に向かって走って離陸するのだ。
一度など風の方向が急に変わったのか失速して、あっと、声を上げるようなこともあった。
体力、度胸、冷静さなど私には持ち合わせていないものばかりが必要なスポーツだ。
知人は若い時車のテストドライバーをしていたから、体力も度胸も冷静さも全て持ち合わせている。

彼もカメラを持って飛んでいた。
私のまちのランドマークの100m余のホテルの上空から撮った写真や海峡を跨ぐ大橋の写真など沢山撮って記録している。
私の家も上空から撮影して大きく伸ばしてくれた。

私は座って、テレビの画面や写真を見て、想像の翼で空を飛ぶとするか。

C型肝炎の早期解決を

2007-11-22 21:48:05 | Weblog
C型肝炎訴訟の記事やテレビのニュースを見るたびに昨年逝ってしまった姉の事を思い出す。
若い時の手術の際の処置に原因があったと聞いた。
しかし裁判に参加する事もなかった。
最後の三年間はひたすら治療に明け暮れていた。
勿論インターフェロンの治療も受けていた。
肝臓癌になってからは増え続ける癌細胞を最新の機器を使って焼き続けたけれど3年が限度だった。
最後の壮絶な姿は脳裏を去ることはない。

年老いた母が変わってやりたいと身を震わして嘆いていたのが耐えられなかった。

そして母は姉の四十九日の納骨の時間に合わせるように亡くなった。

一日も早く被害者の救済をしなければ、時間が無くなってからでは意味がない。


草スキー

2007-11-20 15:52:09 | Weblog
歩いていると子供達の元気なはしゃぐ声が勢いよく飛び交っていた。
女の子ばかり六人が外で活発に動き回っている様子は本当に珍しかった。
10メートル程の草の斜面を尻にダンボールを敷いて滑り下りる単純な遊びだった。
草の生え方が少しまばらで地肌が見えるところもあって、快適とは言い難かった。
それでも子供たちは繰り返しくり返し登っては滑走を楽しんでいた。
家に篭りがちな子供が大きな声を出して遊んでいるのは嬉しかった。

戦後の無い無い尽しの子供時代を過ごした私には本当に懐かしい遊びだった。
今ではとても出来ないけれど、私の子供時代には片道5キロもある山まで遊びの足を延ばして、中腹の斜面で葉っぱの付いた小枝を尻に敷いて20メートルも30メートルもある谷へ滑り降りた思い出がある。
余程楽しかったのだろう。
60年も経ったというのに子供の笑顔が錆びかけた脳の引き出しをこじ開けてくれた。

身体は時間と共に老いて行くけれど、想い出は鮮明さを増してゆくように思える。

しかしこれが年を取っていくと言う事なのだろう。

歴史

2007-11-19 17:20:31 | Weblog
ウォーキングコースにある小さな神社に入ってみた。
いつも通るのだが裏側だから足を踏み入れたことはなかった。
石垣の様子から見るとかなり古い神社だとは感じていた。
二十メートルこえると思える凄く大きな楠の木が境内に聳える
ように立っている。
建物はいつ頃のものか分からないけれど外回りなどから判断す
ると戦後のものだろう。
所謂荘厳さを醸し出している、といったものではない。
しかし石碑を見ると1400年記念と彫られた文字がある。
そして神社の石垣から小道を挟んだ直ぐのところに河野某の
首塚が今も綺麗にされて花や供物がされていて、市の歴史文
化財になっている。




境内を行くと広い敷地の真中ぐらいのところの大きな楠の木の
下に大きな石が置かれて、荒神さんが沢山置かれていた。
一ケ所にこのように数多くの荒神さんが鎮座しているのは初め
て見るものだった。




この柱には「文政四年辛巳(かのとみ)四月吉日と彫られている。


西暦1821年に建立されもので今から196年前になる。
文政とは1818から1829年の間の短い期間だったけれど、この時代
は歴史に疎い私でも名前を知っている人物が沢山いるのに驚いた。
WIKIPEDIAによると司馬江感漢・伊能忠敬・上杉鷹山・
雷電為右エ門・高田屋嘉兵衞・大黒屋光太夫・小林一茶・松平定信
などが文政年間に亡くなっている。

この神社の村では一体どのような生活があったのだろうか。



おっ怖 ヘビだ!

2007-11-18 18:27:00 | Weblog
坂を前屈みになって一生懸命にのぼっていると視界にヘビが身をくねらせている姿が飛び込んできた。
ハメが出たと思って一瞬足に力を入れて踏み止まって左へ飛びのいた。
安全な距離をっとって観察したが動かなかった。
ヘビが出る季節ではないはずだが一体どうしたのだろうか。
車に轢かれた跡もなかったから生きていたのかもしれない。
陽ざしに誘われて外へ出てみるとあまりの寒さに動きが止まってしまったのだろうか。

明日は宝くじでも買おうかな。



これは何の木ですか教えて

2007-11-17 16:49:41 | Weblog
本当に人道リのない裏道リでこの木の実を拾った。
始めて見たものだった。
大分前に落ちいたのか中が空洞になってしまっているのもあった。
上を見るとまだ沢山木になっていた。
形からするとマツカサの亜種のようにも思えるのだが、木の葉を見ると杉の葉のようにも見える。

誰か教えてくれませんか。

ホームレスって気楽な生活?

2007-11-17 15:22:28 | Weblog
いつもの国道下の川沿いを歩いていた。
今日は土曜日の午前中だけれど誰とも行き会っていなかった。
道は結構広く周りに家もあるのだが人影はなかった。
姿勢を気にしながら肩甲骨を合わせるようにして胸を広げて顔を上げ正面を見据えるような恰好で歩きながら遠くに目をやると、自転車に乗ったまま塀にもたれるようにして休んでいる人がいた。
怪訝に思いながら近付いていくと一見してホームレスと分かる風采の人だった。
自転車の前後の荷台には所帯道具とおぼしき荷物を確り結わえ付けていた。
目を合わせると悪いから関心を逸らすように知らんぷりを装いながらさっと一瞥して通り過ぎた。
その人は咳き込みながらタバコを吸っていた。
そして鼻鬚をはやしていた。

彼は一服しながら何を考えているのだろうか。
彼の過去はどのようなものだったのだろうか。
これから先の人生はどうなるのだろうか。
それよりもお昼のご飯はどうするのだろうか。
何処で寝泊まりしているのだろうか。
お金はどうしているのだろうか。
今の生活を始めた動機は・・・・・・など尋ねてみたいような

案外世間と関係なくて解放された生活かも知れない。
耐えられない程の酷な状況かも知れない。

何もしてあげられないのに知ってどうする。

俳優座劇場の家族の写真を観る

2007-11-16 17:53:39 | Weblog
二ヵ月に一度の割合で地方にやって来る劇団の芝居を市のNPO法人の市民劇サークル主催で観劇する。
今の会員数は600名余りだ。もう少し増えて700名を超えれば良いらしいのだが中々増員は難しいようだ。
殆どの会員が女性で占められている。男は本当に疎らといった感じだ。
私も初めは家内の友達が脱会したものだから穴埋めとして無理矢理引っぱられて入会したのだったけれど、一度観てしまうと、その面白さにはまってしまった。
歌舞伎であれミュージカルであれシエクスピアであれ生で観るのはいい。
今回は俳優座劇場がプロデュ−スした「家族の写真」でした。
翻訳物だし、劇団の俳優に疎い私には知らない顔ぶればかりで、余り期待していなかったのだけれど、始まってみると、コミカルで、それでいて翻訳物の難点の言葉の中に、琴線を揺らすようなものがあって、二時間の芝居があっという間に終わってしまった。
舞台装置も真中の部屋のスペースを回転させて情景を切り替えて素晴らしかった。

「愛するということには心配や辛いことがいいぱいある」といったような台詞があったような・・・一晩経つとぼやけて来たけれど、楽しい時間だった。


ピントが合わない

2007-11-12 16:28:01 | Weblog
朝新聞を読む時目のピントがうまく合わなかった。

いつも老眼鏡を掛けるのは少し癪だから少しやせ我慢をしながら大意を掴めばいい、と年に逆らっている。

コンピュータをつけて仕事をしようと画面を見つめると、矢張りピントが合わない。
目薬をさし、目を閉じてリラックスしてから画面を見ると少しよくなった気がしたけれどまだ細い線がハッキリしない。
仕方ないから眼鏡ケースから老眼鏡を取り出して掛けた。
鮮明には見えるのだが左右の遠近感が何時もと違って合わない。
目に異常がおきた、と思って、ドキッとした。
考えても原因が分らない。
県展を見に行って沢山作品は見たけれど目が痛くなる程真剣に見た訳でもない。
どうしてだろう、と思いながら老眼鏡を手に取ると、右目のレンズが抜け落ちていた。
ケースを振っても出てこない。
昨日は外では掛けなかったし、と順を追って思い出しながら、上着のポケットをまさぐってみると左のポケットにあった。

直して掛けるとピントも合って、鮮明に見えた。

先ずは一安心。