ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

朝の時間は魔法の時間

2012-10-31 09:48:18 | Weblog
朝目覚めて時計を見る。
いつも七時だ。
起きだすには少し早い。
もう少し寝ていよう、と目をつぶる。
又直ぐに時計を見る。
時計の針はまるで停止したように動いていない。
朝の15分程の時間は昼間の1時間以上だ。
目をつぶり、薄目で時計を見又目をつぶる。
布団の温もりを感じる朝は至福の時である。

金魚の心臓マッサージ

2012-10-28 16:26:52 | Weblog

<金魚が飛び出した>
 庭の片隅で直径四十センチほどの瓶(かめ)に六匹のメダカと一匹の金魚を飼っている。
 暖かい日なので、濁り始めた瓶(かめ)の水替えをする気になった。
 小さな網で魚をすくってバケツへ移し替えて、瓶(かめ)の水をいきなり庭へ掻(か)い出し、底の砂を笊(ざる)へひっくりかえして、ホースの水を勢いよく吹き付けながら手もみ洗いをした。    
 水苔や瓶(かめ)の中の睡蓮(すいれん)の鉢も汚れを落として、砂を戻し、ホースを瓶(かめ)に放り込んで水が一杯になるのを待って、金魚とメダカを驚かさないように静かに澄んだ水に戻すと、ここは我が家だ、と言わんばかりに、尾を振ってさっと潜って行った。
 後片付けをしていると、ぴちゃぴちゃと何か跳ねているような水音がしていたが、綺麗になった瓶(かめ)の中で金魚が嬉しくて勢いよく泳いでいると思っていた。しかし少しすると気掛りになって、様子を見に行くと、金魚が庭の芝生の上で動かなくなっていた。つまみ上げて触ってみても、ぴくっともしない、どうして外へ出たのか、わからなかった。水替えをして瓶(かめ)へ戻すと確かにスイスイと泳いでいた。水が澄んで気持ちがいいものだから、少しはしゃぎすぎて飛び上がって、瓶(かめ)の縁を越え、戻れなくなってしまったのだろうか。そう言えば、水をいつもより多めに入れてしまって、瓶(かめ)の口の際まであった。金魚はいつもと同じ気分で飛び跳ねたけれど水位が高くて縁を越えてしまったに違いなかった。此れは私の責任だと、動かなくなった金魚を振ってみたが矢張り動かなかった。
 芝生に飛び出した金魚は初めて体験する水のない、乾いた空気だけの外界で、少しずつ薄れてゆく意識に逆らいながら、水の底から見る丸い空の色や景色と、芝生に横たわって見る風景は全く違って何処までも広がりがあった。周りをきょろきょろ見渡すうちに目の水分が無くなって、瞼が動き難くなって来るのを必死で堪えている時、何か柔らかそうなものが目の前を通り過ぎたと感じた瞬間、瞼が閉じてしまってもう自力では開かなかった。   すると体がふわあーと浮き上がった。
「どうしたのかしら、全然動かない、死んだみたい」とつぶやいて、体中をなで回すけれど、乾いてしまった私は、目も閉じたままで動くこともできなかった。「可哀想だけれど仕方ないわ」と独り言が聞こえたと思ったら、腐りかけた生ゴミの臭いが鼻をついて、ぬるぬるしたものの上に投げ出されていた。するとその場の水気(みずけ)で瞼が動いて目が開いてきても暗闇で何も見えなかった。少し身体も動くかと思ったけれど魚は水の外ではじっとして死を待つ意外に術はなかった。又だんだんと意識が朦朧(もうろう)として何もわからなくなってきた。
 
 夕ご飯の支度をしながら
「お父さん、金魚が死んじゃった」と言うと怪訝(けげん)そうに私の方を見て
「水替えをしたばかりじゃないのか」と腑に落ちない表情になったので
「どうも瓶(かめ)から飛び出したらしいの」と言い訳めいた返事をした。
「じゃあ、塩水に浸けてみれば、生き返るかもしれないよ、そのような話を聞いたことがある」
「でも今、生ゴミボックスへ処分したの」と言いかけて、思い直し、生きているか試してみようと、すぐ取りに行って、口を広げて、えらをつまんで引っぱり、ちょっと刺激を与えてから指で軽く心臓マッサージをしてみた。(と言っても魚の心臓が何処にあるのかは知りません)
 駄目だと思いながら瓶(かめ)の中の睡蓮(すいれん)の鉢へ両脇を石に抱かせて水に浸けた状態にしておいた。
生き返ることなどあり得ない、と思いながら、もしかすれば・・・と祈っていた。
 明くる朝、庭に出た主人から
「お母さん金魚が泳いでいるけど、二匹いたのかなあ」と問いかける声が響いた。
「えっ、なあに」と確かめるように聞き返し、
「金魚は一匹よ」と言うと
「一匹なら、生き返っている、早く出て来いよ、奇蹟が起こっているぞ」とたまげたように声を更に大きくして私を呼んだ。
急いで庭へ出て瓶(かめ)を覗き込むと私の金魚は悠々と泳いでいた。正に奇蹟が起こっていた。
 瓶(かめ)の上に渡した板の上でいつものトカゲが下をちらちらと覗き込み、行ったり来たりを繰り返し、私がこぼす金魚の餌のおこぼれをさがしていた。それは昨日と同じ光景で、金魚もメダカも変わりなく泳いでいた。
 あの金魚が芝生の上でもがいていた時間はどれほどだったのだろう。十分も二十分も経っていたはずだ。それにしても神様が現れて奇蹟を行なったとしか言いようのないことが起きていたのだ。本当に不思議だ。
 生きているって何が起こるかわからない。
 命は奇蹟が積み重なった時間だ、と思った。 

老人の時間の過ごし方

2012-10-26 10:16:23 | Weblog


所謂老後をむかえると自由に使える時間は一杯できる。
少なくとも働いていた時と違って、最低でも1日の労働時間8時間分は自由時間に生まれ変わる。
そこで、さて何をして過ごそうか、となってくる。
テレビでBBCのミステリーにハマって、本場英国のミステリーものを読み始めた。
拙い英語を辞書を頼りに、手探をしながら読んでいると、家内に「お父さん、そんなミミズの糞みたいな切れ切れの読み方で、面白いの」と笑われた。それでも読み進んで行くと、日本語と違って丁寧に読むから物語にはまり込むような気がして、結構面白くなって行った。言葉の表現の違いや、思わぬ同一性にも面白みができる。
今回読んだZERO DAYはアメリカの作家だったが、米ソ冷戦時代の核開発競争の負の遺産を軍部の思惑やビジネスなどに絡めたプロットでぐいぐいと引っ張られて、二ヶ月もの間楽しませてもらった。
600ページの本で1008円とは本当に安い。
自分には楽しい時間だった。


テロリストを追え

2012-10-25 10:31:30 | Weblog




サイクリングコースの港湾の突堤へ行くと沖に二隻のコーストガードと船体に書かれた船に挟まれたように小さなモーターボートがとまっていた。
よく突堤の近くで不法に操業している漁船がいるので、とうとう今日は取り締まりをしている、と思って、二隻の巡視艇が動き出すのを見守っていると、何故か漁船とおぼしきモーターボートには近づくことも無くだんだんと離れて行ってしまった。
どうしたの、と思っていると、モーターボートが荷揚げ岸壁へ向かって走り出すと、離れていた小さい方の巡視艇が突然全速力でモーターボート目がけて走り出した。ぐんぐんとスピードを上げて行った。追われるボートは荷揚げ岸壁直前で右に旋回した。巡視艇も負けずに急旋回をして追いかける。ボートは益々スピードを増して逃れようとするけれど前方にはもう一隻の巡視艇が待機していて港を出れない。再び船首を右に切って湾内へ向かうと、前方を塞いでいた大きな巡視艇が猛然とエンジンを吹かしてボートへ向かってダッシュした。
二隻の巡視艇からはパンパンと銃声が響いた。
追われるボートは仕方なく停泊中の船に横付けし、逃亡者達が乗り移った。
直ぐ続いて保安官が後を追い、逃亡者は陸へ上がった。
そこには機動隊が待ち構えていて、御用となった。
外国船が殆ど毎日のよう入港する小さな貿易港でのテロリスト対応訓練の一コマだった。
同じコーストガードでも穏やかな瀬戸内海の小さな港と尖閣諸島での活動では全然違ったものだろう。
しかし当地には日本三大急潮の来島海峡があり、全長が2~300メートルもある巨大船から漁船まで、1日に世界各国の700隻もの船が行き交う難所がある。
彼らの活動も尖閣諸島に劣らず大切だ。

熱気球

2012-10-24 09:56:23 | Weblog


目覚めてベットの左側にある窓から西の空を見るとバルーンが二つ浮いていて眠気眼を手でこすっていた。
本物のバルーンを見るのは初めてだった。
最近はサイクリングコースの海岸へ行くと、土日に広い砂浜を利用してモーターパラセールを楽しんでいる人がいて、悠々と海の上に出て、カモメの上を飛んでいるのを羨ましく思うことがある。
しかし今朝はバルーンの突然の出現で驚いた。
ベットから飛び起きて階下の妻に、大声で、「熱気球が飛んでるぞ、上がっておいで」と叫んでいた。
カメラを持って上がって来て、パチパチと盛んに写しながら、「何処から飛んでいるの」と言うものだから、「よ~し確認してくる」と言って、着替えてカメラを持って、自転車で飛び出していた。
予想とは違って意外と距離は近かった。
10分程行くとバルーンは段々と大きくなって来て、気球を追いかけて沢山の人が走っている所に遭遇した。
そして川土手の坂道を必死でベダルを踏んで上に上がると広場があって、その向こうの川の上を着陸するかのような低空で川上に向かって移動していた。
しばらく橋の上から様子を見ていたが、国道の信号が変わると川沿いの道をバルーンを追いかけた。
少し行くと突然気球が視界から消えてしまった。
恐らく着地したのだろうと思って、川を渡る橋に出るまで一層ベダルに力を入れて踏み込んだ。
橋を渡って県道の信号を渡ると、高い天井川の下の収穫を終えたばかりの田圃に着地していた。
畦道を走って着陸地点へ行くと沢山の人だかりができていて、子供達がクルーと記念写真を撮っていた。
私も負けずに、気球の地上スタッフの女性にお願いして、気球の前に立って記念写真を撮ってもらった。
そばで見ると本当に大きかった。
それにしても気球の中の空気を暖めた浮力で飛ぶなんて、自分には恐ろしくてできそうも無い。
気球の膜は破れないのか心配になった。
ガスは家庭用の20㎏のプロパンガスを3本積んでいて、120分飛べる、と言っていた。
風がなくなったら目標地点へどうやって行くのか本で読んだことがあるが、高度を変えて風を探す、と書かれていたように思う。
このバルーンのキャプテン(?)は日本の5本の指に入る方だ、と現地に来ていた知り合いのモーターパラセラーの方に教えてもらった。
納得した。

老人とピアノ

2012-10-22 09:19:07 | Weblog
<ピアノを習い始めた老人の話>
「あれっ、ドとレを又間違えた」何度頭で繰り返し反復してみても錆び付き始めた脳から指令がうまく指先まで伝わっていかない。どうしてもぎくしゃくして思うような音にならない。老眼鏡を掛け直して音符を確認し直して速度を緩めてひたすら鍵盤を追いかけていく。ピアノを弾く感覚よりも読めない点字の上をまさぐるような感触である。スピードを上げてメロディを奏でなければと思うと拍数が乱れ、テンポが狂ってポンコツ車がガタゴト道を走るような具合にゴトン、ガッタン、ゴトンとなって鍵盤の上で指が戸惑ってしまう。思い直して、ドレミファソラシドを両手で繰り返し、繰り返し弾いて指送りを滑らかにしようと試みながら幾度練習を重ねても思い通りの音は出ない。ピアノを習い始める前、音に関する言葉は「大きい、小さい、はやい、おそい」と言った大まかな表現で足りていた。八分音符や十六分音符などの微妙な音の違いに神経を煩わす事もなかった。古稀を過ぎて果たして頭や指が思うように動いてくれるだろうか。もう諦めた方が良いのかもしれない。しかしピアノの音色は聴くたびに心に響くものがあって諦めきれない。少年時代に同級生が弾いていたピアノの音が身体の奥のどこかに留まっているような気がする。戦後の食べ物の不自由な時代にピアノが弾けるなんて不思議でたまらなかった。古稀を迎えて少年時代の夢に挑戦を始めてみたけれど難しい。利き腕の右手の指は何とか言う事をきくけれど左手の指は全く思うように動いてくれなかった。リハビリのように少しずつ慣らしていっても、いざ両手の指を同時に使うと、関係のない足の指まで一緒に動いてしまって困った。原因は半ば錆びついた脳の運動中枢が混乱をきたして調整エラーを起こしていたのだろうが、無視して練習を続けているとそれでも徐々に両手で少しばかり弾けるようになっていった。
 ある日練習の後で縁側のガラス窓から差し込むお日さんの暖かさに包まれて、本を読むともなく寝転がっていると、ぼんやりとした風景の中に木々に囲まれた雑草の茂った窪地が広がっていて、大勢の子供達が整列して先生のタクトの振りに合わせ、大きく口を開けて合唱しているところに出くわした。どこか聞き覚えのあるメロディだがはっきりと思い出せない。それでも身体の奥で響き合っていた。思い出せないわだかまりを振り払うように木立を眺めると木々の間から音の妖精が次々に飛び出して枝から枝へ飛び跳ね、時には腰をおろし、おしゃべりし、また手をつないで駆け出し、スキップやダンスがひとしきり続いて姿が消えた。すると野原の真ん中に一台のピアノが現れた。近寄ると背を丸めた老人が座って、目の前に広げた「小さな木の実」の楽譜を見つめていた。両手を広げて鍵盤にタッチすると突然指が動き始めて音楽を奏で始めた。まるで自動演奏のピアノにスイッチを入れたように軽やかに音を響かせた。老人の斜め後ろから指の動きを見ながら楽譜を目で追ったが付いていけなかった。「自分にはとても弾けそうにない」とつぶやき、背を伸ばし、奏者を確かめるように覗き込むと、あろう事か自分がピアノを弾いていた。「これは一体全体どうしたことか、俺が演奏している」と合点のいかない気分を振り払うように頭を指で叩いて、はっきりしない目をこすった。「不思議だ、あれほど頑張っても上手く弾けなかったのに、これは間違いなく夢では・・」とぶつぶつ口こもった時「そこでうたた寝していると風邪を引きますよ」といつもの声が聞こえて目が覚めた。やはり夢だった。それにしても音程もメロディも確りとマスターできていた。今見たばかりの夢の演奏の感覚が消え去る前にピアノを弾けば指の記憶が蘇って同じような音楽が再現できる、と感じて、さっと起き上がろうとしたが無理だった。いつも通り両手で身体を支えながらじんわりと起き上がって、ピアノの前に座った。「小さな木の実」の楽譜を開き、両手で鍵盤にタッチしたけれど自動で演奏が始まる訳もなかった。一音ずつ楽譜を見ながら指を動かさないとピアノは響いてくれなかった。つまずきながらでこぼこ道をいく年老いた旅人の歩き方のようなぎこちない演奏は夢見る前と何も変わっていなかった。夢と目覚めの間には何も隔てるものはない。夢でピアノが弾けたなら目覚めていても弾けるはず。「そうだ、夢とは逆にピアノを弾きながら夢を見ればいい」と気付いて「夢、夢、夢、夢、夢」と呪文のように唱えながら指先でピアノをタッチすると夢で見たように手が軽く動いて今までにない演奏が始まった。弾き終えて手の甲をつねってみた。痛かった。夢を見ていたのではなかった。恐らくミューズ神が哀れを感じて音の妖精を遣わせたのかもしれないと思った。もう一度試しに弾くと案の定、元の木阿弥だった。  それでも楽しいピアノはやめられない。
ドリームズ カム ツルー!

冬瓜

2012-10-19 13:43:22 | Weblog


車でやってくるお魚屋さんと家内のおしゃべりを何気なく聞いていると、ここへ来る途中でお百姓さんに「冬瓜を持て返り」と言われたのを断った話になって、家内が「それはもったいないことをしたね」と言った。
お金を払うと、「まいどありがとう」と言って勢いよく車を出して返って行った。
ものの5分もしないうちに、「奥さん、冬瓜貰って来たよ」と威勢のいい声が響いた。
冬瓜を抱えて入って来て手渡してくれた。
家内はその立派さに、一瞬たじろいだようだった。
それでも夕飯には煮物になってお膳に上がっていた。
味は薄味で、とろけるような感じから少しずつかたさが増して行くような、あまり味わったことの無い食感だった。
かたさにグラデーションがあるような気がした。
畑で獲れたものを1~2時間のうちに味わえるのは最高の贅沢だ。

老人の時間

2012-10-18 08:46:15 | Weblog
サイクリングコースの海岸に又老人達が帰ってきた。
暑い夏は夕方の海風を待って海岸へ涼みに来ていた。
秋になってからは時間帯には関係なく屯して雑談をしている。
ほとんどの顔が毎日同じだ。
私のことも同じように思われていることだろう。
それにしてもゴールが視界に入ってくると、その日の準備をしなければと思うけれど、何をすればいいのかわからない。
おそらく、死は気がつかないうちに後ろから突然現れて私を連れ去るのだろう。
その時の願いは、私を雲の上に連れて行って欲しい。
そこは私の神の国のように思える。
ファウストや神曲を読んでも、又方丈記や歎異抄を読んでも、池田晶子を読んでも実際には向こうのことはわからない。
宗教とは”そのわからないもの”の姿を、見えるような、そして見えないような、あるようで、ないような、ものに作り上げて、終わりの恐怖を喜びへ昇華させようとする。
時間よとまれと叫んでみても、時間の流れは留まらない。
お金も権力もそれを塞き止めれない。
私も毎日時間の列車に乗って終着駅へ向かっている。

鯉がいる

2012-10-17 10:10:05 | Weblog


この鯉のいる川は市で一番大きな川で上流にはダムがある。
いつも一筋の流れは枯れずにいるように思うけれど、それでも1年に一度は干やがってしまって、魚は何処で生き延びているのだろうかと気にかかる時季がある。
自分が子供の頃はよく川に入って魚を追っかけた記憶がある。
上流にダムは無かったけれど水は今よりもふんだんにあったように思う。
橋の上から川を覗き込んでも魚の姿を殆ど見なかったのに、今日は沢山の鯉が泳いでいたので救われたような、ホッとした思いがわき上がってきて、少しの間じっと川面を見つめていた。

朝だ

2012-10-15 15:54:14 | Weblog


朝だ!
時計は5時5分。
まだ起きだすには早すぎた。
東の空が白んできたので窓から見ると朝日が昇る寸前だった。
少しすると日が差し込んできて部屋の壁に光の窓が開いた。
完全に夜があけた。
だが私には早すぎた。
もう一眠り。