ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

"ナチスに挑戦した少年たち”を読む

2018-08-26 21:58:41 | Weblog
「ナチスに挑戦した少年たち」を読み終えた。
無抵抗でナチスの支配を受け入れたデンマークの不甲斐なさに反発した中学生たちの、自転車を使ったナチスに対する抵抗だった。親にも先生にも、逮捕されるまで隠密の行動だった。この活動があからさまになって、反ナチの機運が高まった。
この子供たちの集団はイギリスの勇敢な行動に憧れて、チャーチルクラブと名付けられていた。
読んでいて以前読んだスエーデンの、長くつ下のピッピ、の作者のアストリッド・リンドングレンの戦争日記1939〜1945を思い出し、当時のデンマーク、戦うノルウェー、中立国スエーデンなど各国の方針の違いがよくわかった。

「ローマから日本が見える」を読んだ!

2018-08-24 00:27:21 | Weblog
塩野七生の”ローマから日本が見える“を読んだ。
ずっと以前にローマ人の物語のシリーズを読んだ。
読む時は夢中になって虜になったようになるのだが、読む端から忘れて行く。
今回読んだ本も読み終えて、ローマ人は凄いなあ、と感慨に耽っていると、以前に読んでいたのを思い出した。
それにしてもローマ人、特にユリウスカエサルという一人の人の偉大さには目をみはらさられる。

中村彰彦さんの「幕末維新改メ」

2018-08-18 16:59:38 | Weblog
中村彰彦さんの”幕末維新改メ“を読んだ。
歴史について漠然とした捉え方をしていた自分は事件を表す言葉だったり、その年代や登場人物の名前知っている事で歴史を知っていると思っていたような気がしている。
読んでいると時代を変える内戦の凄惨で悲惨な現場へ迷い込んでしまって、震えながら右往左往しているような気持ちになった。
それにしてもあの混乱を切り抜けられたのは武士社会の教養と規律と天皇と言うシンボルの存在があったからかな、と思っている。


チョット解説の気になった部分です。

カモメの整列!

2018-08-08 08:56:00 | Weblog
今朝の気温は28度、2℃低いと涼しい。西の窓を閉めた。
年の所為か最近6時前に眼が覚める事が度々になった。
目覚めても起き出すわけではなく30分ぐらいベットを離れず硬くなった身体を背伸びなどして起き出す準備をしている。
昨日も相変わらず日課の自転車で夕方5時ごろ海岸へ出かけた。
無人の突堤で異様な?と言うより初めての光景に遭遇した。
カモメが防護柵上に一列に並んでとまっていた。
あまり多いので走りながら数えてみると、ザッと180羽もいた。
普段は必ず側を通ると飛び立ってしまうのだが全然違っていた。
カモメは遠くに見える飛んでいる姿はいいな、と思うのだが、近くで見ると表情に気味悪さを覚える事がある。
自分だけだろうと思うのだが、、、、、



山本周五郎を読む

2018-08-05 09:28:00 | Weblog
暇があると(と言っても暇しかありませんが)山本周五郎を読んでいる。
借り出す本は私同様ボロボロで潔癖性の人は触らないような状態になっている。
でも作品にマッチしている。年を取ったせいか物語りにはまり込んでしまって思わず目頭が熱くなることがある。
冷静になって筋立てを考えると感動を凄く刺激するほどのものでもないのだが、読んでいると心の機微に響いてくる。
山本周五郎の巧みさもさる事ながら彼の人生観に出会うからかもしれない。
後3冊読むとこのシリーズが終わってしまう。
ゆっくり楽しもう!

ボルダリングの盛況!

2018-08-04 09:19:41 | Weblog
かれこれ40年前にボルダリングのことを何かの記事で読んで、
興味を持ち色々資料を集めて、地元のスポーツ施設へ提案をしたことがあった。
しかし時期尚早だったのか関心は示して貰えなかった。
ところが全く忘れてしまっていたボルダリングがいつのまにか話題のスポーツになって盛んに競技大会が開催されておリンピックの種目になっていた。
当時の自分の先見性を秘かにほくそ笑みつつも、自分の時代に受け入れられるスポーツではなかった、と思った。
非力のものが行く手を阻む時の流れに逆らわずに済んで良かった。

何ともう稲が稔っている!

2018-08-02 16:30:38 | Weblog
3日ほど前眼科の帰りに田圃道を走っていて、稲の稔った田圃に出くわした。
自転車を止めて、パッドで写真を撮ろうとして去年も同じ田圃で写真を撮っていたのに気付いた。
周りの田圃の稲は熱い夏の太陽を吸収して成長する時季だと言うのに、チョット早すぎるのでは、、、?

豪雨災害の瓦礫から生還の電話!

2018-08-01 21:02:08 | Weblog
豪雨災害にあった吉田町の知人から昨夜電話があった。
1ヶ月前に七月の中頃届くように送っていた品物が豪雨災害から10日ほどしてなんとか届き、混乱の中で書かれた礼状がきた。
手紙に倉庫の二階で生活いている、とあったので、家は大丈夫かな?と心配していた。
電話をかけても不通で、手紙を出して詳しく様子を尋ねようとしていた矢先に3日前に送ったタオルなどが届いた、と復旧しだばかりの電話があった。
受話器を取った家内は深刻さと安堵の混ざり合った表情で力付けようと、一生懸命に言葉を選びながら話していた。
私は変わって勇気付けてあげたい、と思いながら、躊躇していると、お父さん、と電話を渡された。
「大変だったね、」と言うと、「ご無沙汰しています、こんな事で電話するなど思ってもみませんでした、私瓦礫の中から助け出されたんです、も少し生きろと、言われたんです、」
かっと目頭が熱くなって言葉を失ってしまった。
それでも何とか励ましの言葉を掛けて電話を置いた。
彼女は40年前に父の会社で事務をしていて、退職後もずっと交流が続いている人です。
本当によかった!