ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

時間

2008-04-24 11:33:21 | Weblog
先日時間のことを書いた本を読みかけたのだが、物理の先生か何かだと思うけれど何か馴染みの無いことばかりを書いていたので少し読んで投げ出してしまった。
時間は地球を包み込んで流れている果てしない大河で、誰もその流れ泳ぎきることは出来ない。いかに富を持っていようと、極貧に喘いでいようと、神様のように称えられていようと、悪魔のように恐れられていようと、関わりなく呑み込まれてしまう。
回避する手立てはない。

中学生の頃は四十才まで生きれば自分のやりたいことを全部し終えることができると思っていた。だがそんな年はあっという間に過ぎてしまって還暦に手が届くところまで来てしまった。
必死になって働いていた時は時間を忘れてしまっていた、と云うよりその間は途切れてしまっていたといった方がいいのかも知れない。いやそうではなくて時間に追われ、時間をひたすら追いかけ続けていたのだろう。
六十七才になった今、どうぞ時間を自由にお使いなさいと差し出されても、今度はどう使えばいいのか分からない。時間は、何もしなくても確かに過ぎて行く。
不思議である。働き詰めだった両親が老後の時間をどのように過ごすのだろうかと思っていたけれど、二人とも昔の忙しさをすっかり忘れてのんびりと暮らしていたから時間の有り様などあまり深く考えなくてもいいと思うようになった。

苦しい時や悲しい時間は長く遅々として進まないけれど、嬉しい時や楽しい時の時間は短くてあっという間に過ぎてしまう。
小さい頃の遊びの時間は楽しくて長かったような記憶がある。
年をとって働かなくなると中々時間が経たなくて一日が長く感じるのでは、と思っていたけれど、実際はそのようなことはなくて、年をとるにつれて段々時間の進む速度が早くなってきているように思えてきた。
あっという間にゴールに行き着いてしまうような気がしてきた。

物理的な時間の経過は一定なのだろうけれど個人が感じる時間の経過はその時々の心理状態で大きく変わるように思う。
しかし本当はとどまることもなく一定のスピードで過去を積み上げていって、ある日突然停止すると、私の時間は消えてしまうのだろう。

橋下大阪府知事の涙

2008-04-18 16:12:36 | Weblog
ニュースで橋下大阪府知事が弁舌中に涙するのを見た。
私は彼の決意が思わず目にあふれたのだと思った。
橋下知事の計画がその通り進むとは思えないけれど、今まで府民に見えないようにしてきたことを明らかにして、それをどのようにして改革していくのかハッキリと住民に見せて、協力を頼めばきっとみんなも受け入れてくれるでしょう。
これは必要だ。あれはなくしてはいけない。補助金を減らさないで。などなど云いたい事やしてもらいたいことだらけだろう。しかしみんなが好き勝手言っていては前に進まない。
どうしても外せない教育や福祉を最重点にした施策を行ってもらって、それ以外のものはよく協議して順番をつけてゆっくりとしてはどうだろうか。

大阪府だけではないが、とにかく今の行政組織は人が余るほどいる。
まず一番に取り組むことは人件費の削減ではないでしょうか。
組合との交渉で行政全般にわたる問題点が出てくるはずだ。
そこを突き詰めていけば府の大改革につながっていくと思う。

勇気を持って組合と話し合いをしようと云うリーダーがいるのだから府政に見合った組織を作って見本を示してもらいたい。

フレーフレー坂下!!

MAO(毛沢東)を読み終えた

2008-04-17 17:31:24 | Weblog


  本当に気の遠くなるような思いがした。
  読みはじめて小一年が経ったような気がする。
  765ページもある本を寝る前に一時間か2時間辞書と首っ引きで解らない単語の意味を引きながら読むのだから遅々として進まなかった。
  毛沢東のことがもっと知りたくなって途中で産経新聞の特別取材班が書いた毛沢東秘録を上下巻読んでみたが、日本語だとあっという間に読み終えた。
  しかし読みやすいとついついどんどん飛ばして行ってしまうものだから、あまり記憶に残らないような気がした。
  英文だと何故か一字一句言葉の意味を慎重に選んで文意をくみ取りながら読み進むからよく頭に残ったような気がしている。
  それよりも何よりも当時毛沢東に関係していた人々へのものすごい数の電話取材を重ねた情報をもとに書かれたものだから臨場感があって本当に素晴らしい読み物だった。
  一人の人の思惑であの巨大な中国が動かされる様子は本当に信じられないことばかりだった。



  いま大変な問題になっているチベットへの侵攻、朝鮮戦争、ニクソンの訪中、スターリンの存在、原爆製造、文化大革命、林彪の死、劉少奇の死、周恩来の死、そして毛沢東の死、小平の台頭。
  革命の一番の功労者であるはずの農民に押しつけられた飢餓や圧政の猛烈さ。
  人の命をまるでゴミのように捨て去ってしまう怖さ。
  そして自分の命はコンクリートの壁と警備兵で十重二十重に守る矛盾。
  一人の頂点の人以外の人はまるで奴隷のようになって尽くさざるを得ない社会。
  あの周恩来が毛沢東の眼の点眼液を試したり、食べる物の毒見をしたり、常識では考えられないこと。
  周恩来の膀胱癌の治療を二年間も許さなかったことなどなど。
  読んでいて耐えられない気持ちにさせられた。



  この本を読んで、今の北朝鮮も日本人が考えるようなことではとても一筋縄ではいかない、本当に難しいことだと再認識させられた。
  かれらは核兵器でもミサイルでも実際に使うかもしれない。
  毛沢東は原爆が使える状態であれば実際に使ってみたかったようだ。
  毛沢東時代の中国や現在の北朝鮮はリーダーが”やれ!”と言えばそのままボタンを押してしまう、と思う。

  それにしても抗日が一つの中国を作り上げる大きな要因であったのは間違いない。

  毛沢東の中国の人々の生活の厳しさは私など想像できない世界だ。
  易姓革命の国だから支配者のなすがままに流されるDNAを持っているのだろうか。

  私は日本に生まれて本当によかった。

    観潮船で日本三大急潮を体験

2008-04-15 13:42:02 | Weblog
   
   日本三大急潮の来島海峡を巡る観潮船が就航した。
   もう少し暖かくなれば干満の差の大きい時に体験乗船しに行こう。
   渦や潮の流れの様子が凄いだろうと思う。
   潮が流れ出すと中水道では一寸信じられないような“ゴー”という音を出しながら潮が動くと云われている。
   それを作り出す原動力は最大で2メートルになる潮の落差のエネルギーなのでしょう。
   タイミングにもよるだろうが、一度自分で最高の条件で体験して見たいものだ。

   船は今治港の向いにある下田水(しただみ)港から出ている。
   潮のいい時季などの問合せは道の駅を運営しているしまなみに問い合わせるといいだろう。(電話は0898-25-7338)
   
   潮の流れる様子やその流れる時の音は、もう50年にもなるけれど一度中渡島へいく機会があって体験したことがある。
   大学時代にその海の潮の流れる音の話をした時に、何か、こいつチョットおかしいのでは、というような眼差しを向けられたのを憶えている。
   一度その時居合わせた人に体験させてやりたいような気がする。


桜とお城

2008-04-15 00:00:00 | Weblog
満開の桜の中に泰然と聳えているお城の写真がよく市のパンフレット使われている。
毎年桜の季節に自分も同じような所から写真を撮ってやろうと思っているのだが、何時もシーズンが終わってから思い出し残念な思いをさせられる。
今日は丁度車でお濠の側を走っている時、桜とお城の写真のことを思い出した。
パンフレットの写真では桜が一杯に入っていたように思っていたから現場に立ってみて一寸意外だった。
お城の中には桜の木はなかった。
桜は手前の公園のものだった。
子供の頃お城が再建される前は城壁の上部の周りにはたくさん桜があって、桜の季節はお花見客で大層賑わっていたものだった。
それで勝手に自分がお城に沢山植わっていると錯覚していたのだった。
なんとかアングルを決めてシャッターを切った。

田舎はホッとする

2008-04-13 18:32:46 | Weblog
田舎の叔母の法事にいった。
家のすぐ後ろに本当に小さな祠があって春は樹齢百年の桜が境内を覆うように枝を広げている。
組中のほんのわずかの人が遠くから目にするだけだろうが、それでも桜はそのようなことには関係なく、精一杯の力で美しく輝いている。



畑の中の小道を歩くと手入れの届いた荒神さんに出くわした。
ほとんど通る人もいない所にも関わらず確りと地の神様に感謝している。




何時までこのような状態が続くのだろうか。
今住んでいる老人がいなくなれば荒れ果ててしまうのだろう。

桜もいいけど麦も思い出して

2008-04-12 20:07:59 | Weblog
春は何処へ行っても桜ばかり。
本当に日本の春は桜ばかり。
宇宙から見ると日本がピンクにぼうっと霞んでいるのだろう。
一度桜の季節の日本列島を見せてほしい。
グーグルアースで探せば見えるのだろうか。
それにしても桜ばかりだ。

ところが麦がすっかり大きくなって穂をつけていた。
桜の季節は麦の季節でもあったのだ。

愛媛県の東予地方は日本でも有数の麦の産地らしいのだが、麦畑が一面に広がっているという訳でもない。

どうしてみんなお麦を作らないのと言えば、きっと、儲からないから、といわれるのだろう。

辞書

2008-04-11 16:28:17 | Weblog
毎日英和の辞書の厄介になっている。
何度引いても直ぐに忘れるものだから一度お目にかかった言葉にはアンダーラインを引いておくことにしている。
どのページを開いても乱暴に線を引いているのだが、インクが裏側へ通ってしまうことはない。
もし裏まで滲みてしまうと、裏側の思わぬところにラインが引かれて、アンダーラインを引く度に辞書が汚れて読み辛くなってしまうに違いない。
あの薄さでインクを通さないのは紙の目が非常に細かく作られているからだろう。
本当に小さな文字や図柄が鮮明に印刷されている技術にも感心させられる。
書店でオックスフォードの辞書を触ってみても、紙質が随分違うような気がする。
テレビで、何百年も前に日本人がヨーロッパへ行った時鼻をかんで捨てた紙が凄く綺麗なので、それを見ていた人が先を争って拾っていた、と貴族の奥方が書いていたと聞いたことがあった。
随分昔から紙を漉く技術は発達していたのだ。

最近エコ紙の問題がクローズアップされた時故紙の割合を増やすと良い紙にならないから、混ぜる割合を減らしていた、と言い訳していたのを思い出した。

日本人はどうも満足のいくものを作らなければ、と意気込んでしまうらしい。
使うものからすれば良いことなのだが・・・・・

奇妙な電話ボックス

2008-04-10 16:04:41 | Weblog
私がよく駐車するパーキングの道を隔てた向い側に電話ボックスがある。
そこは日に2便大型フェリーが着く待合所の入口の前である。
最近のフェリーは大型トラックやコンテナの輸送が主で人の乗り降りは殆ど見られないし、みんな携帯を持っているから電話ボックスの利用もないだろうと思えるのだが、一向に撤去される様子もない。
一体誰の為に設置したままにしているのだろう。
不思議でたまらなかったのだけれど、時折ボックスの前に車を停めて真剣そうに話しているのを見かけることがあって急に気になりだして、パーキングへ駐車する度に目を向けるようになった。
そのパーキングへ駐車するのは一ヵ月に2、3度だけれど毎回電話をしている人を見かけるので不思議でならなくなった。
携帯や家の電話で話せない“話し”て一体どのような“話し”なのだろう???
何か悪事の連絡でその電話ボックスを指定されたのだろうか。
謎が深まって行く。

それにしても使用頻度が低ければとっくに電話ボックスを撤去しているはずだから。

何処かのミステリー劇場で解決してくれないだろうか?

(携帯を持っていない人もたくさんいて、そういった人の唯一の電話ボックスなのかも知れない。
そうだとすると結構利用されているかも知れない。)