ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

荒川静香に感動

2006-02-26 18:29:59 | Weblog
何時も8時までは寝ている私も、6時半過ぎに起きた。私以上に朝寝坊の家内は既に起きてテレビの前に正座してフィギュアスケートを観戦していた。驚きでした。ショートプログラムを終わった段階での点差は1位と3位の荒川との差は僅か0.07ですから、上位3人の誰が金メダルを取ってもおかしくなかった。日本の人は荒川が逆転で優勝すると思ったに違いない。
私も荒川がミスをしないように、そして上位二人が転んでくれないかと心で念じていたように思う。(人の不孝を願うなんて、いけないと思いながらも・・・本当にすみません。)
しかし、彼女のスケートを観ているとそのような不純な思いは完全に払拭された。
全く一点のくもりもないように澄んだ、素晴らしい、伸びやかな、フォルムが音楽に乗って描く軌跡は誰も越えれないと確信出来た。そして得点されないイナバウアーを敢えて入れた滑走は観客を彼女の世界へ同化させてしまった。フィギュアスケートは確かにスポーツですが、単なる点取り競争ではなく美の表現だと思う。
滑り終えた時のあの笑顔が輝いていた。素晴らしかった。

表彰台へ3人並んで立った時、真中の荒川静香はスケートだけでなく体格もスタイルもスピリットも一番だった。

感動を有り難う!


みんなで応援甲子園出場

2006-02-25 14:32:15 | Weblog
四国から春の甲子園に出場する今治北高の選手は全員が今治市内の中学校出身者です。野球留学の人は見当たりません。本当に身近な子供達が出ているので自然と力が入ります。この写真のような風景が街の至る所で目に入ります。

プロが目をつけるような子がいなくても、チームが一丸となってハッスルする姿こそ高校野球の真の姿だと思います。

ガンバレ!ガンバレ!今治北高!


小松座公演「兄おとうと」を観る

2006-02-21 22:37:59 | Weblog
二ヵ月に一度の市民劇場で井上ひさし作の「兄おとうと」を観る。吉野作造(偉大な政治学者)と十才も年の離れた弟吉野信次(農商務省大臣)とのお話。楽しかった。作者のイメージから、面白いものだとは予想していたが、まさしく大当たりだった。大正デモクラシーの旗手となった自由で進歩的な兄と官僚のトップから大臣になった弟との政治信条の対立を歌とコミカルなスッテプやお芝居で軽妙に見せて、笑いを取りながら暗く厳しい時代に向かって行く様子をパロディにしてくれた。キャスチングがまた最高だった。兄作造は辻 萬長・その妻に剣 幸そして弟は大鷹明良・その妻に神野三鈴。それぞれ適役で、特に女性のスタイルと歌のいいこと。聞き惚れました。大正時代の髪型や服装そして踊る時の仕草に、モガというものを感じました。本当はよく分りませんが。テレビと違って生はいい。

65年目のバレンタインデー

2006-02-15 16:02:49 | Weblog
2月14日はバレンタインデーで世間は盛り上がっているが、今まで我が家では全くその気配すらなかった。ところがである、妻が何を思ったか、フランスの桐箱入りのチョコレートを「おとうさん、これあげる」と渡すではないか。一体何があったのと思いながらも、「おお 有り難う」と貰った。甘いものをセーブしている者にとっては嬉しい贈り物です。コーヒーを飲みながら話していると、このチョコレートは先日ご馳走になった妻の友達のご主人と二人の息子さんにお礼の気持で贈ったついでに買ったことが判明しました。矢張りと云う感じですが、それでもまあはじめてのバレンタインデーを結婚40年目に体験出来たのだからいいか。来年はどうかな?

明石家さんまのおもいやり

2006-02-11 18:21:34 | Weblog
先日テレビで大竹しのぶさんが明石家さんまと結婚していた当時を振り返って、バイキング形式の食事を子供達としていた時、さんまさんがサット自分の分だけを取って来て食べ始めて、何と自分勝手な、自分のことしか考えてない人とだろうと思った。どうして子供達のものを取って来てやらないのだろう。この人は駄目だ、というようなことを話していた。暫くして、大竹しのぶのディナーショーにさんまがゲスト出演して二人のトークで、バイキングの話題になって、さんまさんが「あの時自分のものだけを取って来たのはね、子供に自分達で好きなものを取りに行かせてあげたかったからだよ。」と語っていました。凄い一言だと思いました。矢張りあれ程の人気を勝ち得る人だから、人に対する深い思いやりを持っているのでしょう。人の心の奥なんて、中々外からは見えないですね。さんまさんも秋刀魚と同じで味がある。秋刀魚は何時食べても美味しい。

ベッドで宇宙遊泳気分

2006-02-11 12:20:24 | Weblog
深夜一時過ぎに我が家の極北の地?の二階の寝室へ上がった。お昼は西日が当って毎日布団干しが出来る程の暖かい部屋でもこの冬の寒さはこたえる。夜は風も凪いで窓を打つ音もなく静かだった。布団を首筋まで確りと掛けて、顔をもたげてベッドに立て掛けた本に老眼鏡のピントを合わせながら、猫背の背中を反り返すような姿勢で少し本を読む。背筋が伸びたようで気持がいい。子供のころは、本を下において俯いて読んでいて、近眼になるといって親によく注意されたものだった。10分もすると睡眠薬が効いて来たように睡魔が目蓋を引っぱりに来る。すかさず明かりを消して、体を布団の中でもがくようにして仰向きになった。すると暗闇の中で私の視界の広がりは、窓枠にはめ込まれた月と雲の世界にになってしまった。まるで宇宙空間に漂いながら寝そべっているような気分になった。しばらく大きく目を開いて空を仰いでいた。地上では風もないのに高い空では雲が動いて、寝ている自分が凄い速さで飛んでいるような錯覚を覚えた。何時の間にか寝てしまっていた。いい気分だった。ここは高台だから風がきつい。それを我慢すれば住み心地満点だ。晴れた夜には満天の星がある。ことに冬の夜空はいい。 台風シーズンはいやだけれど。

焼き芋

2006-02-08 17:05:02 | Weblog
貰っていたさつま芋を銀のホイルに包んで、石油ストーブにのせた。今日は非常に寒い。昨日から吹いている西からの強い風が未だおさまらない。天気予報だと朝鮮半島上空5000メートルに-30°以下の寒気団が進んで来て、雪が降るらしい。私どものところでは時折薄日がさしたり、雪が舞ったりの天気だ。山の地方では20センチも積もっているところもある。今年はスキー場も雪には困らなかったはずだ。風が止んでくれれば、少しは気分も和むのだが。窓や雨戸をがたがた鳴らす風の音は神経を突くようで嫌だ。曙の春がいい。本当に待ち遠しい。

昔はよく焚き火をして、芋を焼いた。藁の残り火などを掻き混ぜて、ほこほこの芋を探し出して口にほうばると、柔らかい、甘い、暖かな満足感が口から体一杯に溢れたものだ。食べるものが一杯ある今の子は、昔の子供が味わった喜びを体験することは出来ない。

喜びや充足感は満ち足りた世界よりもより厳しい世界にあるように思える。

子供の頃は食べるものも、着るものも、家もお粗末だったけれど、心に響くものが一杯あった。引きこもりや登校拒否などないなかった。家の手伝いで欠席する子は沢山いたけれど。
今年は戦後61年目になる。光陰矢のごとし、というけれど現代は・・何にたとえればいいのだろう。目にも見えないスピードで過ぎ去っていく。ああ。

ちょっぴり昔を味わってみた。

洗濯ものではありません?はてな?

2006-02-06 17:28:30 | Weblog
         遠めにはイカにみえるかな?いやそんなことはないでしょう。
         矢張り大根でしょう。そうです切り干し大根を作っています。

         大抵は細かく切って、ざるやゴザの上に並べて寒風に曝して
         乾燥させて作るもです。
         昔は田舎のお百姓さんの家の庭先でよく見かけた風景でした。
         今は手間を掛けて作らなくてもスーパーに行けば手間代にも
         ならない程の安い値段で売られている。
         そして、専業農家のおかあさん方が少なくなってしまって、
         老齢化も進み、季節の風情も消えつつあります。

         そこで登場という訳ではありませんが、頂き物の新鮮な取れ
         とれの大根を大きく短冊状に切って、洗濯物のハンガーに吊る
         して冬の陽に干しています。
         風情こそありませんが、自分で作ったものを食べてみると本当
         に美味しいもです。
         干しながら、切り干し大根の煮物を想像するのも楽しみです。


冬の海

2006-02-05 12:05:26 | Weblog
本当に寒い立春の海の波打ち際を歩いた。小さな波が引いて出来た潮を含んだ細かい砂の上に新しい足跡を踏みつけながらさくさくと歩いた。足を踏み下ろすとザクット少し沈み込んで、靴の中で親指が砂に入って行くような感じがあって、その動きの後にはくっきりと靴底の後が残った。誰もいない浜辺のウォーキングは気持がいい。ずっと沖を見ると島陰をバックに大きな貨物船が等間隔に並んで潮の速い、難所の海峡部へと向かって進んでいた。大きな空港でよく見かける航空機が上空に整然と等間隔で浮かんでいる様子を思い出した。ここ瀬戸内海の海の難所来島海峡も海峡の直ぐ上の小高い山に海上交通センターがあって、絶えず船の航行の安全を、10メートル四方もあるような大きなボードで、目で見て分るように、海峡の情報を流しています。レーダーでの監視は勿論、通過の際の情報交信なども行なわれているものと思われます。大きな船の通過時間は予め分かっていて、インターネット上で見ることも出来ます。マニヤはそれを見て、来島海峡大橋の上に待機して写真を撮影しています。時には巨大船といわれる2〜300メートルもある船が、川のような狭い航路を通過して行きます。潮の流れれる、ごお〜という音が聞こえる、流れの速い瀬戸です。壮観な光景です。

この写真の海岸は瀬戸内海国立公園の中の唐子浜海岸です。白砂青松の素晴らしい海岸です。海岸の松林は1キロあまり続いて、その先には一千年を越える菅原道真公を祀った天満宮があります。そこには凄い数の松林と梅園があります。

寒い雪の舞う立春の梅園は無人で、木々は蕾を膨らませながらひたすら開花の日に備えているようでした。一輪、二輪花をつけたものもあって不思議でした。

節分は立春の前の日 知ってましたか

2006-02-03 20:20:56 | Weblog
二月三日は豆まきをして、年の数ほど豆を食べ、柊に鰯の頭刺して戸口に挿して悪いことが入って来ないようにする風習をずっと続けて来た。あまり考えたことも、いわれを詳しく調べたこともなかった。今日は家内が台所でせっせと何か準備をしているので、何のご馳走を作ってくれるのかな、と楽しみにしていると、テーブルの上で巻寿司を巻き始めた。最近はこの季節になると巻寿司を恵方に向かって食べるテレビコマーシャルが流されている。三人家族だから買ってくれば超簡単だと思うのに真剣に巻いていた。これは友達に、これは仏壇に、これはお婆ちゃんにと10本も作っていた。早速お昼に出来たてを食べる。中々の味である。お寿司屋さんの味に負けていない。そう云えば昨晩一生懸命に干瓢をほぐして、煮込んで、アナゴを焼いていた。準備万端整えていたのだ。フムフム、矢張り味は材料と手間と愛情?なのかな?

家内の友達がお昼過ぎにお巻寿司を持ってやって来た。「今朝 巻いたの食べる?」「えっ 内も巻いたのよ」「じゃあ 持って帰ろうか?」「いえ 頂戴 食べる食べる」「それじゃあ 内のも食べてみて」何かおかしなはち合わせ。

夕食に食べ比べ。家内曰く「どう 私の方が美味しいでしょう。」「う〜ん 旨い旨い」どちらかと云えば 家内に軍配。家庭円満です。

節分をインターネットで調べてみると、節分とは立春、立夏、立秋、立冬の前日のことだと書かれていた。節を分けるのだから季節の変わり目を表すのは合点が云ったが、どうして立春の前の日だけが残ったのか。それは各月の月末が晦日と呼ばれながら大きく変わる十二月だけが大晦日と云われて残ったように、季節が大きく変わる立春の節分だけが風習として残ったのでしょう。

それにしても、四季に恵まれた日本の風習と云うか文化は細やかで素晴らしい。
それを表す言葉や儀式はいつまでも残していきたいものです。