ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

イノシシはグルメだ

2006-04-30 10:36:38 | Weblog
都会の人が聞くと、「なんと悠長な、そんな気の長い話が今の日本にあるのかい?」と呆れてしまうような、田舎のお酒の会があった。その会合は年二回開かれ、五年間に十回行なわれる。世間では頼母子講と云われているものだろうと思いますが、私たちの地方では無尽と呼ばれて、十人程度の人で構成され、お金の必要な人が落として(掛け金の総額より少ない額でとって、差額分を皆に還元する。)使うことが出来ます。何か金利をとって、お金を貸し借りしているようで、法律に触れるように思いますが、この地方独特の文化と云うか習慣と云うか・・として、地域限定で許されているらしいです。昔はお金の必要な方が入札の金額を競って、三割ぐらい低くなり、100万が満額なのに70万で取る人がいたりしたそうです。しかし今は掛け金も少なく、落とす人もなく、アミダで順番を決めたりしています。それでも月に1回は親しい仲間が集まって、一杯飲みながら楽しい時間を過ごす習慣は引き継がれています。

前口上が長くなりましたが、その田舎の会合で、老人達が話すには、「例年はタケノコを近所の人が、次々と持ってきてくれて、自分ところだけでは食べ切れなかったのに、今年は本当にお目にかかれなかった。昨日始めて貰った。」すると、もう一人のかたが「そうそう、今年はイノシシが、芽を出しかけた、土から顔を出すか出さないかの柔らかい、刺身にできるところを殆ど食べてしまっているんだ。」牙で掘って食べるらしい。そして固くなったものはもう食べないらしい。「野生の生き物は人間以上に季節を肌で知っていているんだよ。本来はイノシシが食べていたものをわれわれが横取りしていたのだから、仕方ないよなあ。おあいこだよ。」
田舎の人は矢張りいい。どこかおおらかだ。

それにしても、深くもない小さい山里にイノシシがいて、民家の直ぐ傍まで出て来るなんて、驚きです。瀬戸内の小さな島にも沢山イノシシがいるそうです。これもまた驚きです。もう今以上開発が進まないことを願いたい。

野菜づくりは難しい

2006-04-27 21:36:04 | Weblog
少し遅く植えた玉葱がようやく大きく太ってきた。そして近所の奥さんに貰った絹さやも花から実になってきた。どちらも周りの畑のものとくらべると育ちがゆっくりで、今年は駄目かなと思っていたのだが、寒さが過ぎるとぐんぐんと勢いをまして、遜色なくなつた。玉葱はどちらかといえば私の方が玉太りがいいぐらいになってきた。そして今日が始めての収穫で、夕食の材料になりました。

それにしても雑草の生命力には驚かされる。抜いても抜いても直ぐ芽をだし、少し油断をすると、作物が隠れる程に育ってしまう。不精ものには野菜づくりは出来そうもない。お百姓さんに雑草の処置を尋ねると、生えると直ぐ抜くのだ、と云われました。それは、全くその通りでしょうが、それが難しい。

今日田舎へ行って、道の駅でキャベツを買った。2玉が100円でした。手間を考えるととても合点がいきません。どうしてこれが100円なの?まあ感謝して、食べよう!

JR事故から1年・安全は取り戻せたか?

2006-04-24 17:06:14 | Weblog
福知山線事故からはやくも1年が経った。事故に遭われた方々や遺族の方々には辛い長い1年だったことでしょう。そしてこれからもこの悲惨な事故の悲しみと憤りを抱えて生きて行かなければなりません。悲痛の一語に尽きます。

JRはこの1年安全対策に真剣に取り組んで、安全対策を講じることが出来たのでしょうか。いや、ATS等の外見状の対策は出来たかに見えるけれども、肝心の事故を絶対起こさないという全社を網羅した安全対応には至っていなと思う。

新聞やテレビの報道を見ていると、何かぎこちなく、本当に対策が出来たとはいい難い。今朝のテレビのニュースで、ATSのデータの設定ミスの個所が数十ケ所もあったと報道されていた。そのミスの原因が各部署間の連係が上手くいっていなかったということだった。我々素人が考えても、ある地点にATSの設置が必要な場合、先ず何が必要かは一目瞭然だ。その地点の全ての必要データを集めることではないのか。
そのデータが沢山の部署で別々に管理されていて、上手く集まらないなんて全くナンセンスだ。経営陣は必要な情報が、必要な部署に、適時に集まる組織を早く、完全に作り上げなければなりません。1年も経って、言い訳をしていてはいけません。列車は休むことなく多くの人を運んでいるのですから。
正しい指令を出せないATSはかえって事故を引き起こす。運転士はそれを安全の拠り所にしているはずだから。
先ず後方の安全管理が万全で、そして運転士が細心の安全運転で列車を走らせてはじめて、私達は安心して列車に乗ることが出来るのだ。

そして、過密ダイヤをもう少し余裕のあるものにして、安全優先で運行してもらいたい。

二度とこのような事故は起こしてはならない。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

砂浜に枕のゴミが・・

2006-04-20 20:05:15 | Weblog
  きれいな砂浜が続く瀬戸内海の海岸です。
  打ち上げられたゴミがちょっと気になりますがそれを
  片付ければ、夏は最高の海水浴場です。
  だが最近は海水浴に訪れる人も少なくなっています。
  売店もない、あるのは砂浜と海といったところに人は
  来ないようです。何か寂しい気になります。
  
  砂浜に寝そべって雲の動きをじっと見ていると周りのものが
  消え去って、ひとり空に浮いて漂っているような感覚になる。
  遠い青春時代には夢や不安を胸に抱きながら、ただ空を見上げて
  いたものだ。一度味わってみませんか。心が落着きますよ。
  
  かっては埋め立て反対の裁判闘争が長く続きました。
  しかし海岸は半分ほど埋め立てられて大きな工場や
  中国や韓国からのコンテナヤードになってガ−ランド
  クレーンがそびえています。

  埋め立てられた自然は再び返ってきません。
  私達の子供の頃によく遊んだ海岸は何百メートルも埋め立てられたが、
  時代に流され既に廃虚になりつつあるところも出ている。

  経済は非常に大切ですが、ゆとりのある生活が出来なければ人生の意味がい。

宮殿?ここはどこの国?

2006-04-19 09:51:59 | Weblog
この国は何国でしょうか?
「ええとヨーロッパの・・あの、あの国じゃない?」
「いえ、間違いです。ここは日本国、瀬戸内海の・・というところです。」

食品メーカーの建物です。
建物の建築工事名には“○○宮殿”と書かれていました。
一体何に使われるのでしょうか?
まさか、社長さんが“王様の宮殿生活”をされることはないと思いますが。
それにしても大きな立派な建物です。

しかし、ヨーロッパの本物の重厚な石造りのお城にはかないません。

現代ではお金で何でも出来ちゃうように思われますが、昔の権力者のパワー
はお金では置き換えられない凄さがあったのでしょう。

生命力

2006-04-17 20:50:53 | Weblog
        植物の旺盛な生命力にはいつも驚かされる。
  切られて何年も経った桜の木の切り株から芽吹いた枝から花が咲いていた。
  深い地中の根の中にかすかな命が密かに宿っていたのだろうか。不思議だ。
  再び根に活力が戻ってきて、大きく育って行くことはないのだろうけれど。

花の命は短くて・・

2006-04-16 21:43:09 | Weblog
    
     咲き始めのほんのりと赤くなって、今にも咲かんとする桜。
     満開の桜。
     散り始め、葉っぱの数と花の数が逆転し、緑が勝ってきた葉桜。
     どの桜も日本人の心に響く。
     DNAに組み込まれた何かがあるのだろう。

     10日余りの春を満喫させてもらった。

     私の散歩道も桜のアーチから桜の絨毯に変わってしまった。

春はあけぼのよりもさくらかな?

2006-04-11 16:57:38 | Weblog
春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。清少納言の枕草子の書き出しを声を出して読んでみると大和の国の言葉の響きといい、イメージといい本当に素晴らしい。
しかし今はもうあけぼのに心を奪われる余裕などない。情報に溺れ、時間に追い掛けられて、みんな脇目もふらずひたすら走っている。それでも、春は桜に誘われて、束の間の和んだ時間を過ごして欲しい。お花見に出かけよう!

時にはテレビも見ずに早寝して、日の出前に起き出してやうやうしろくなりゆく空を眺めて見よう!

桜をくぐって春遍路

2006-04-10 19:30:38 | Weblog
四国八十八ケ所 五十九番札所国分寺の巡拝の風景です。所在地は愛媛県今治市です。このまちには五十四番から五十九番までの六ヶ寺があります。

そして八十八ケ所には入っていませんが、開創西暦701年の千三百年を数える光林寺と云うお寺があり、そこには弘法大師の幼少期の、国宝級と云われるような“稚児大師像”の掛軸があります。かってNHKの弘法大師展にも出品されて話題になりました。
さらにこのお寺は南朝の長慶天皇の御潜幸の御寺と云われております。

それぞれの土地にはいろいろな歴史がありますが、国分寺の辺りには物語が一杯あります。

思いを古に巡らす時、徒歩が移動手段であった人々の活動の場の大きさに驚嘆させられます。

金網から桜の枝が・・

2006-04-07 20:51:33 | Weblog
桜の花のない季節にはあまり気にならなかった桜の枝が、今日は“えっ!何で!”と大いに私の目を引いた。野球グラウンドの周囲を取り巻く金網から大きな枝が道路側に伸びて今を盛りの桜を一杯に咲かせている。おそらくずっと以前の小さな枝の時に金網の一マスをくぐって、時と共に大きく育ったのでしょう。同じ場所で一生を終える植物ならではの生きて行く術なのでしょう。

私の頼りなげに歩く様子を毎日見て笑っているかも知れません。語り合えれば面白いのだが。