ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

勝負になりません

2006-12-31 00:22:07 | Weblog
このガラス掃除器具を498円で買った。矢張り中国製だった。使ってみると大変便利で網戸も窓ガラスも見違えるように綺麗になって明るくなった。私としては年の暮れの掃除に使うのだから1500円ぐらいでも何の躊躇もなく買うとだろうと思ったが余りの安さに驚いて製品の出来具合いをつい手に取ってみた。そしてこの値段なら一度使って駄目になっても損はないと確認した。そして考えさせられた。日本でつくると一体幾らで出来るのだろうか。もし1500円で売るのなら7〜800円ぐらいで出来ればいいのかなと思うのだがいかがだろう。中国では200円ぐらいで出来ているのだろうか。いやもっと安い150円ぐらいかも知れない。一回使えればもとがとれるとと思ったが、三回も五回も使える代物だった。中国製は使い捨てといった考えを捨てる時代が来つつあるのかも知れません。かって日本製品が粗悪な物まねだといわれた時代を乗り越えたように中国製品もその道を段々と通過しているのかも知れません。日本人としては複雑な気持ですが同じもので価額競争をするのではなくて何か違った一歩進んだものをつくり出していかなければ、労働集約型の産業ではとても太刀打ち出来ません。
私の街の地場産業のタオルを例にあげれば価額競争に曝されて本当に厳しい時代をむかえています。まさに存続の危機に直面しています。敵地へ乗り込んで頑張っているところもありますが、100年も150年もかけて積み上げてきたノウハウなどを技術移転してしまった今となってはもう後戻り出来ない状況で、果たして何時まで頑張る事ができるかにその命運がかかっています。もし廃業すると設備一切を中国に残さなければなりません。全てを失うのです。中国は今も共産党一党支配の国なのです。                           

それにしても経済って難しい。理論や予測のみでははかれない。とにかく目の前をよく見据えて現状の数歩先を目指して歩むしかないのでしょう。

矢張り身内に甘い!公務員

2006-12-28 16:33:14 | Weblog
官舎2512戸に違反居住、職員転勤後も家族が使用(読売新聞) - goo ニュース
いつもながら公務員はいい。国民の目に触れないところでは法律を自分流に解釈してうまい具合に理屈をつけている。高齢者が国保料を払おうと生活を切り詰めて寒い冬に震えながら耐えていているにも拘らず、思いやりのない厳しい対応をしているのを見るにつけても矛盾を感じないではいられない。余力のある公務員がぬくぬくといい目をして、身寄りのいない高齢者をないがしろにするなんて、政治は何をしているのか。2512戸の違反居住の費用があれば恐らく一万人ぐらいのお年寄りを安心させてあげられるのではないだろうか。

私の知り合いの元高級官僚はかって”官は過たず”といった事がある。それを聞いた私と私の友人は”お前、それはどうゆうことだ”と詰問し、頭に血がのぼったのをおぼえている。そしてその時公務員の本質を見たような気がした。国を背負っていくべき人たちがおごっている、と思った。国民や国をよくしよういう自負心ではなく官尊民卑の慢心があった。国を思い確り仕事をしていると思っていたから悲しかった。

耳が聴こえな~い

2006-12-26 17:44:00 | Weblog
母の四十九日法要の前日にちょっと体調を崩して熱をだし、朝起きると右の耳が殆ど聴こえなくなっていた。左右の耳の聴力がアンバランスになって右耳が取り残されたようで頭の中が対角線状に切断されて左右別々になって、捩じれたような違和感があって気分がすぐれなかった。僧侶の読経も十分に聴こえず、配られたお経も目で追っていても中々ついて行けなかった。左の耳を塞いで右耳の聞こえ案配を試すと静けさが広がって、たった一人の世界のように思えた。いつもは朗々と響く読経に包まれて亡き人と通じあえたような感覚にさせてくれるのに、耳の不具合で終止落ち着かなかった。お墓で再び読経を聴いたが声が飛んでしまって矢張り良く解らなかった。

障害を体験してハンディのある人の大変さが始めて分かった。片方の耳でも大変なのだから半身不随の人などは想像できない程大変だろう。

治療を受けて少しはよくなってきたけれど飛行機には乗らないようにといわれた。どうも鼓膜が圧力によって何か変化するらしい。一度はイタリアに行って見たいのに・・・まあその内によくなるだろう。しかしもう66才だから時間が・・・・?

ほんま(本間)かいな?

2006-12-22 15:24:05 | Weblog
ほんまに可笑しな話じゃありませんか。税の在り方を議論し、進むべき方向を取りまとめる偉い方が、私たち凡人がこれはしてはいけないことだ、と思うようなことを至極当たり前のことと思ってるなんて。偉くなると世間の常識なんて分らなくなるのかなあ。恐らく偉い人の非常識にどっぷりつかってしまうのだろう。しかし高みにいれば下から大勢の人が何時も注視していることを自覚していないといけない。そういった姿勢は先ず初めにありきだ。今回の本間さんの事も公と私を峻別していれば問題は起こらなかったはずだ。離婚調停中なのだからお金を惜しまず自分で借りたアパートなりマンションにプライベートで愛人と住んでいれば世間も口をはさむ筋合いのものではなかったはずだが。
それにしても公に甘い国の在り方は何時になれば改められるのだろう。
民間相場の家賃が何十万円もするマンションへ七万や八万で入れるなんて。
そして一方では高齢者が医療費を払えず途方にくれている。
一体政治は何をしているのだ。安倍さんリーダーシップを発揮してくださいよ。 


大丈夫なの?日本国

2006-12-19 18:39:41 | Weblog
月曜日の朝刊に六枚もパチンコやさんの広告チラシが入っていた。最近競争が激しいのか毎週のように入っている。人口20万足らずの街に10店もある。お昼から車が沢山とまっている。不思議でならない。一体全体どのような仕事の人が真っ昼間からちんじゃらやっているのだろう。パチンコも最初は子供の遊びで、五円貰ってよく遊びに行った記憶がある。誰が何時大人の遊びにしたのだろう。今では完全なギャンブルになってしまっているのに警察も政治家も文化人もマスコミも全然騒がない。本当に腑に落ちない。直接玉とお金は景品として交換はしないけれど、価値のない品物と交換して、場所を変えてお金で買い戻すうまいシステムをつくっている。これは誰が見ても直接お金を賭けているギャンブルと同じだと思うけれどこのカモフラージュが堂々と社会を闊歩できるのは何故なのだろう。警察官僚の業界への天下り?政治献金?
まあ凡人にははかり知れない大きな何かがあるのだろう。不思議不思議。

煙りも立ちすくんでいる寒さかな

2006-12-19 09:55:19 | Weblog
高台にある私の寝室からは天気がいいと北側の窓からはるか彼方の来島海峡を跨ぐしまなみ海道の橋が一望出来る。今日は寒い。部屋の窓ガラスが曇って外の景色ががぼんやりとしている。それでもよく晴れているから凍った空気を通して橋も見える。人指し指でガラスの曇りを一直線に切り裂くと向いのコロニアルの屋根が真白くなっていた。おお寒。西の窓に目をやると小山の向こうにある煙突の煙りが凍える空気を少しずつ暖めて空への道を探すように、あたかも寒さに立ちすくんでいるかのように立ち上っている。少しじっと見ていないと動きが分らない。
今日は風がないから日溜まりでは暖かくなりそうだ。元気を出していこう。

カモメよ どうしたの

2006-12-17 15:41:06 | Weblog
空は雲に被われていたけれど時折雲間から日射しが少しこぼれたので意を決しって歩きに出た。団地のメイン通りを下って川土手に出て県道の下をくぐって橋へ出た。下を覗くと一羽のカモメが冷たい流れの中で首を左右に振りながら周りを警戒しているようだった。一体どうしたのだろう。カモメは何時も群で生活しているはずなのにたった一羽でいるなんて。みんなとはぐれてしまったのだろうか。それとも群を飛び出して孤高を楽しんでいるのだろうか。昔読んだ”カモメのジョナサン”という小説を思い出した。カモメが人間と同じようにものを考えたり思ったりすることはないと分かっていてもカモメに自分の思いを投影して色々考えると面白い。とりとめもない思いに耽りながら三十分程歩いて浜に出た。そこでは春の甲子園に出場予定の高校の野球部員が砂浜を走って足腰を鍛えていた。今までにも時折彼らの砂浜ランニングを見かけたことがあった。いくら鍛えていても砂浜を走るのは本当にきつそうだ。自分も偶に海岸線の端しから端までを素足になって運動靴を持って砂浜を歩いてみるけれど、歩いているときは足裏が砂に直に触れて気持ちいいのだが後で疲れが出ることがある。きっと普段使われていない部分が砂の動きに合わせて対応しているからだろう。
急に空が暗くなってぱらぱらと雨が落ちてきた。踵を返すと一目散に大股で歩き始めていた。しかし帰り着くと防寒のジャンバーは滴らんばかりに濡れていた。それでも下まで浸透しなかったので風邪をひく事もあるまい。

去る者は日々に疎し

2006-12-16 21:07:22 | Weblog
去る者は日々に疎し、と云われるけれど逝った人は日々心を占めて来る。今年は姉をおくり、そして母をおくった。寂しくなった。昨日は里帰りしていた妹と母のお墓、姉のお墓、妹の嫁ぎ先のお墓にお参りした。行く先々で在りし日を思った。日頃は不信心な私でも墓前に立つとホッとする安らぎを覚えるのは不思議である。そこには何かはかり知れないものがきっとあるでしょう。帰り際に義兄の家に寄って姉の仏前に線香をあげていると、義兄が「今日は有り難う。月命日で丁度半年経った」といった。当事者には一日一日が厳しい日々なのでしょう。私は月命日を忘れていた。少し後ろめたかった。夫婦とは紆余曲折はあっても時間をかけて血よりも強い結びつきを作って行くものなのだと知らされた・・・それにしても子供がいないのも寂しいらしい。

国民健康保険

2006-12-14 18:43:20 | Weblog
先日NHKの番組で保険料が高くなって払えなくなった人の状況をルポしている番組を見た。その様子に愕然とした。政治は何をしているのだろう。お金がないから保険料を上げる。そのような事しか出来ないのなら政治家は必要ない。誰にでも出来る事だ。不足分が2300億円になると云っていた。国が民間企業のような改革を本腰をいれて実行すれば2300億ぐらいのお金は立ち所にできるはずだし、道路など不急のものを押さえればいいのではないのか。その上で消費税を上げなければどうする事も出来ないのであれば政府は勇気を持って国民を説得してあげればいい。命に関わるこは何をおいても先ずすべきだ。料金が払えないからと云って保険証を取り上げ、10割負担にするなんて全く理解に苦しむ。お前達は死ね、と云うに等しい。独り住まいの老人にすれば不安で空恐ろしい事だろう。惨いと思う。厚生労働省の保険担当の人が、国民健康保険は保険料を払っていない人には対応していません、と法律論を吐いていた。国民の命の面倒も見れない国なんて本当の国と言えるのだろうか。確かに理屈ではそうかも知れないけれど国民を守ってこそ国家ではないのか。政治家は権力闘争が仕事ではない。国の末端まで出掛け実情を見て、その解決に力を注ぐべきだ。財界や力のあるものの意向にそった政治は真の政治ではない。先ず弱者を守ってその後で力のあるものの面倒を見るべきだ。彼等は自力で世界に対抗していけるのだ。生活保護を受ければ悩む事も無くなるのかも知れないが、それもせず何とか乗り切って行こうとしている老人を見捨てないで欲しい。

安倍内閣の云う美しい国とは何だろう。国民が安心して一生をおくれる国ではないのか。

ウィニー裁判に思う

2006-12-13 15:07:03 | Weblog
「新技術の開発、どうして罪に」ウィニー判決受け被告(朝日新聞) - goo ニュース
この判決は間違っているのではないでしょうか。ウィニーを不正に無断で使用する人たちの罪だと思う。例えば包丁を作ったとして、凶器を作った人を罪には問えない。誰かがそれを使って人を殺めても包丁の製作者に罪は問えない。包丁を使って人を殺めた者に罪がある。それと同じではないのか。ただ音楽や映画や色々な保護されなければならない大切な情報が流出して大きな社会問題になっていしまっているからソフトの製作者が悪者に仕立て上げられてしまったのではないでしょうか。開発者がソフトを使ってお金を稼いだり悪い事をしたのであれば罪になると思うけれど、そうでないのであれば判決は誤りではないのでしょうか。ただ彼の新技術が引き起こすであろう問題点を知りながら防護対策なしでネットにのせたのであれば判決とは別の意味で責められても仕方がないでしょう。

ネットは便利で面白いけれど、何でもありで恐ろしい気もする。しかし魅力も一杯ある。