ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

故人からの出席通知(2343文字の話)

2015-10-26 17:42:47 | 小説
 七月の蒸し暑い日曜日の朝、新聞を読みながらコーヒーを飲んでいると「お父さん、今度のお盆は高校の同窓会へ行かせてもらいますから」と言って、妻が椀から汁をすすった。
首を少し曲げ、妻の方を見たが何時もの癖で声に出して言葉を返さなかった。
 新聞と一緒に持ち帰った封書を開けると同窓会出席のハガキと一通の手紙が入っていた。怪訝に思って広げて驚いた。

 この度は家内への同窓会の案内状ありがとうございました。
残念ながら妻はつい一ヶ月前に他界しました。子供たちも成人し、私も家内も定年してこれから第二の青春を楽しもうと話し合っている矢先のことでした。
 いつものようにテーブルに肘をついて新聞を拾い読みしている私に話しかけながら夕飯の支度の最中に突然「おとうさん」と声を発して蹲って、前に崩れ込み動かなくなってしまいました。
本当に一瞬の出来事で気が動転して、おろおろ震える声でひたすら耳元で名前を呼び続けても全く反応がありませんでした。頭が真っ白くなって、からだが凍り付いて茫然自失したまま床に跪いて、虚ろな時が過ぎると何とか自分を取り戻して救急車を呼び、病院へ連れていきましたが既に亡くなっていました。呆気ない最後でした。
 病気一つせず健康そのものでいたものですから、まさかこのようなことが起こるとは思ってもいませんでした。命の切なさをつぶさに思い知らされました。元気なときはお互い空気のように存在を殆ど意識もせずに過ごしておりましたが、亡くなってしみじみとその有難さを思い知りました。もう再び会えないと思うと本当に寂しい毎日です。そこへ同窓会の案内状が届き、思わず、家内が台所に立って夕飯を作っているような錯覚を覚えて、「おい、同窓会の案内状が届いているぞ」と声をかけようとして、相手のいないことに気付き、言い知れぬ淋しさがこみ上げてきました。案内状はそのままテーブルの上に放り投げました。
 少し時間が経つと、元気であればきっと出席するだろうと思えて、その晩は仏前に案内状をそっとおいて寝ました。
 
 彼女の声が聞こえた訳ではありませんが夜が明けると、おかしなことですが気持ちに変化が起きて、出席の返事を出そうと思えてきたのでした。
 この出席の返事をきっと不思議に思われるでしょうが、そうすることで彼女を身近に感じていたいのかも知れません。   
 男一人残された淋しさは暗闇で手探りしているようで、落着きません。妻の「お父さん不甲斐ないですよ」の声がいつも聞こえるようです。男は駄目です。お笑い下さい。
 出席の費用と写真代を振り込みますので集合写真を送って貰えればと思います。
 会費は彼女が出席したものとして扱って欲しいのです。皆さんの五十年後の姿を見せてやりたく思います。    
 ご手数をお掛けしますが心情をお汲みいただき宜しくお願いします。
            北斗高等学校十回生同窓会世話人様       
                       佐久間次郎
                    (妻旧姓大佛章子) 

 手紙を読み終えて暫しの間どこをみるとも無くぼんやりと瞬きもせず前の庭を見ていた。
 亡くなった方からまさか出席の返事がくるなんて思ってもいなかった。
ご主人が出されたのは分かるけれど手紙の内容からだけでは心情を理解しきれないものがあった。
 この手紙を出させた動機は何処にあるのだろうか。恐らく此れまで彼女の願いを拒んでいたことへの贖罪の心情から出たものかもしれない。しかしそのことを攻めることはできない。その頃は、互いに仕事に押しつぶされそうな大変な時で、彼女も同窓会に出るなんて言い出せず、頼んだとしても彼から気持のいい返事も返ってこないことを知っていたはずだ。
 いろいろ思い巡らすと彼の心境に同情せずにはいられなかった。立場を自分に変えると空恐ろしくて考えることすら出来なかった。 時折真っ暗な仏壇のある部屋に入って、目を確り大きく開けて見回しても何も見えない時に感じる、もし一人になったら、と思う孤独と言うか、つかまえどころのない不安な思いが現実になると、恐らく彼の心境の状態になるのだろうと、彼の思いが傷から滲みだす血のように私の心のひだを湿らした。
 二人がどのような人生を辿って来たかのかは皆目分からないけれど同世代の私と大差ないことは想像に難くなかった。
 真珠湾攻撃の前年に生まれ、戦中戦後の混乱期を生き延び、戦後日本の復興期を遅ればせながら支え続けた人生だったに違いない。
 私にしても、ひたすら毎日を走り続け、仕事、仕事で家族との楽しい夕食や旅行の思い出は頭に浮かんでこない。朝早く出かけ、帰宅は殆ど十二時を過ぎ、昨日、今日、明日と時間に急かされる日々の繰り返しで、仕事が最優先の生活だった。
 
 限りなく続くと思っていた仕事人生も時間と言う消しゴムが殆ど消し去ろうとしている。
 古希を迎え、子供が巣立ち、夫婦二人の生活になって、張りを失ったボウルのようにふにゃふにゃとした、とらえどころのない、緩やかな生活の中へ、突然舞い込んできた、妻に先立たれ一人取り残された夫からの亡き妻の同窓会出席の手紙は自分の来し方と残りの人生の有り様をしみじみと考えさせるきっかけになった。
 今は、若い頃あれ程憧れていた「自由な時間」の中で溺れてしまいそうなのだが、今度は時間を使う術が思い浮かばない。それでも高校時代好きだった英語の授業を思い出し、手始めに洋書の毛沢東伝を読み始めた。七百ページに及ぶ大作で読み終えるまでに六ヶ月も要した。時間はいくらでもある,と言っても私が乗り込んでいるタイムトレインは私の終着駅に否応なく急停車して、「ここがあなたの下車駅です」と臆することなくアナウンスするでしょう。
 新聞を見てもテレビを観ても本当に色々なことが日々起こっている。しかし自分の周りはどうだろう。昨日と今日の差異は殆ど感じられない。しかし人生は静かに時を刻んでいる。