第4金曜日はカットの日、ビックリする時間のスピード、アクセル踏みすぎ、と思うほど速く巡ってくる感じがするが、年を取ると生活の内容がシンプルになって時間の経過の回転数が上がったような気になるのかな〜、、、毎日織田が浜へ飽きずに行っている。カットの帰りは定番コースの菜麺で"あつあつチャンポン“を食べて満足した。
ウォーキングのルーティンコースは椰子の茂る砂浜と堤防と突堤までの1500mが海浜公園になっていて釣りには格好の海岸だ。サイクリングで有名になったしまなみ海道が遠望できる。毎日造船所間を行き来するタグボートのエンジンが響いている。小さなタグボートが大きな台船に巨大なブロックを積んで進んでいるのを見ると元気付けられる。
野坂昭如が直木賞をとった"火垂るの墓“を読んだ。図書館で書架を探しても見つからないのでコンピュータで検索すると地下書庫にあった。プリントアウトして受付へ渡すと数分でとって来てくれたが地下の書庫て、もしかして、本の墓か、、、と思った。が行って帰れるのだからそのようなことはない、と言っても終戦から75年も経ち、彼の生まれた1930年から90年も経過し、既に故人だから、墓場かも知れない。
80才になるので戦争体験を憶えている最後の世代だろう。この本を読んでいるとB29が空を覆い、噴き上あがる街の炎、爆弾の破裂音、食べ物の困窮、防空壕、疎開、、、朧げな消えかかった記憶が甦って、切れ目なく続く凄惨としか言いようのない文章に胸がつかえてたまらなかった。内容は別にして、読み始めてふと、樋口一葉の切れ目の無いたけくらべの文章と似ているように思って、不思議な感覚を覚えた。小説は殆ど読まないのに引き込まれてしまった。戦争は虚しい、でも世界中で起きている、、、?
殆ど毎日4時になると往復9キロのサイクリングに出る。海の色は天候に左右されて日々違っている。飽きることはない。今はアジが岸壁の隅に群がっているのか連日多勢の釣り人がビクを一杯になるほど釣り上げている。海は好きだが釣りはしない!
今年80才になる。終戦の年は5才でまだ学校へ行っていなかった。
朝のNHKのドラマで終戦頃の様子が映し出されると朧げではあるが自分も同じ体験をしていたのが蘇ってくる。図書館の新刊書コーナーで見つけた野坂昭如の終戦日記を読んだ後戦争童話集を読んだ。昭和二十年、八月十五日、の書き出しで始まる不思議な童話だ。戦争の悲惨な体験を童話で伝える想像力に脱帽です。続いて火垂るの墓を読んでいる。
野坂昭如の終戦日記を読んだ。昭和5年生まれで10才の年長だ。養父母を失い乳飲み子の妹を抱えていた。食べるものが無く痩せ衰えて死んだ妹を座棺に入れて枝を周りに入れて焼くと骨も残らず少しばかりの灰になっていた、と書かれていた。終戦時の政府、軍、皇室、学者、教育者、市井の人人、作家などの様子が書かれていた。野坂昭如は無頼派、、と思っていたが闇市派だったんだ、と知った。終戦当時5だったから自分も野坂さんほどではないが戦争体験の最後の世代だ。直木賞を受賞した"火垂るの墓“を借り出して来たので読むのが楽しみだ。
隣町の農協の野菜販売所、周ちゃん広場へ行った。物凄く沢山の人で溢れていた。朝取りの野菜ばかりがぎゅうぎゅう状態で並んでいた。そんな中人気の野菜は売り切れ状態になっていた。特産品の柿は溢れていた。この季節になると柿が好物だった母を思う。