ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

市民劇場で“セメタリー倶楽部”を観劇

2008-01-31 11:55:42 | Weblog
市民劇場の観劇会にいった。
いつもは階段席からの観劇だったから視線はどちらかといえば見下ろす感じだった。
今回の席は舞台前の水平のフロアーのパイプ椅子で、座ると目の高さが丁度舞台の床の位置で、少し見上げる感じになった。

照明が消えてオープニングの幕開きを待っていたが一向に緞帳が上がらない、一体どうしたの・・とタイミングの悪さへのいらつきが喉元へきたと思った時舞台脇にスポットが当って純白のスーツに身を包んだ長身の背に羽を戴いた少女の天使立っていた。
幕が上がる前に劇は始まっていたのだった。
それにしても天使のスタイルのいいのには驚いた。
顔と背丈の割合はどう見ても八頭身以上に思えた。
髪型と長身を強調したズボンのスタイルにあったのかも知れないけれど見たこともない宝塚スタイルはこうなのだろうと想像した。

幕が上がると先ず丘みつ子が登場し、次に新藤恵美、そして汀 夏子の順に登場し、最後に小野寺 昭の登場だった。
四人の内の三人は芸能人音痴でもよく知っていたのでどのような役をするのか興味があった。
それぞれが熱演し新藤恵美のコミックな演技はキャスチングとはいえ本当にはまっていた。

三人の未亡人と妻亡くした一人の男の話だけれど、夫婦が一人になってしまってからの心理状態を実にうまく描かれていたように思った。

市民劇場で舞台を観るまでは余り劇には興味が湧かなかった。
劇には何か誇張されたような、何かもの足らないような、そして現実に馴染まないような気がして違和感さえ持っていた。
ところが一度観劇してからというもの、どのような劇でも楽しくて、面白い。

古希近くになったもには取り残されるよりは先に逝って、彼岸から此岸の様子を見ている方が幸せだろう、など取り留めもない思いがあった。

石油25円の値下げか、つなぎ法案か、どちら?

2008-01-30 16:16:40 | Weblog
民主党が「道路利権VS国民生活」を掲げて自民党と闘争をしている。
果たしてこのような簡単なことなのだろうか。
我が家では十二月にガソリンを60ℓ使っていた。
現在157円/ℓだから60×157円=9420円だった。
そこで25円安くなると60×25円で1500円家計にプラスになるけれど、この1500円が本当に確りと必要な道路を作るお金に使われるのならば我慢出来ない額ではないし、歩行者の安全を考えた歩道の改修や新設の為に使われたりするのならば、1500円の負担も我慢できる。
しかし、そのお金が無駄な使われ方をするのであれば絶対反対だ。

政治家が本当に国民のことを考えるのであれば、国民が長い間認めてきた財源を放り出すのではなくて、道路ばかりでなく環境や福祉や教育等に配分し直す知恵絞った方がいいのではないだろうか。
油の消費はあらゆるものに負荷をかけているのだから、使用目的を増やしても国民のコンセンサスを得られる筈だ。

ニ大政党が対立するばかりで国民の為に意見を集約出来ないなんておかしい。
子供の喧嘩でもあるまいし、破れてもいい服を着て体で阻止をしようなんて大人気ない。
そのようなことをしても国民はしらけているのが分からないのだろうか。

国民を唸らせる演説でもして堂々と議論すべきだ。

私のようなぽんくらには国会議員や国会のことはよく分からないけれど国会議員はもっと勉強して、公務員に対してリーダーシップを発揮することと情報を早キャッチして問題が起きる前に対応するべきだ。
肝炎問題にしても社会保険庁の問題にしても早期に対処出来たのではと思う。


太陽の日差し

2008-01-27 14:41:09 | Weblog
あたたかい四国でも数日前には雪が積もった。
本当に寒い日が続いていたが今日は久しぶりに太陽が顔を出した。
日差しに誘われて行きつけのスーパーまで歩いた。
歩くにつれて体が熱くなってきた。
速度を上げると汗が出てきそうになって手袋を外し、ジャンバーの
チャックを開放して寒風で体を冷やし始めた。
それでもあたたまった体は一向に平常に戻らなかった。
身体は本当に熱発生器だ。

北風も太陽にはかなわななかったのだが、太陽が顔を隠すと突然
北風が体から熱を奪い去った。


寒い日は温泉につかるように日だまりで太陽の温かさに包まれて
いるのが一番だが・・・じっとしているのもちょっと考えちゃう

寿命と死

2008-01-26 18:04:33 | Weblog
昔と違って医療が進んで寿命が驚く程のびてきた。
それでも命は幾らお金を出しても買えないものだ。
お金持ちや偉い人の訃報を見たり聞いたりして、
亡くなった年を見ると意外に若い人が多い。
十分な治療を受けられる環境や状態にあっても寿命
はどうすることも出来ないと云うことに違いない。
少し先延ばしすることは可能だろうけれど完全な治
癒に持って行くことは現代の医術を持ってしても、
古の皇帝が求めた不老長寿の薬草を手に入れるまで
には至っていない、と云うことなのだろう。

両親とも九十才をこえる長生きをしたから、みんなに
「あんたは百才まで大丈夫」と云われるけれど寿命を
当てることは誰にも出来ない。

中学生の頃には四十才ぐらいまで生きればいいのでは
ないかと考えていた。
高校時代には夭逝した人の本を読んで死に憧れを抱いた
りもした。
だが家庭を持ち過労死寸前のようなハードワークを連日
続ける生活をしていて、ハッと気が付くと四十五才に
なっていた。
もう少し続けていれば恐らく過労死していた。
するとそこまでが私の寿命だった筈だ。
しかし仕事を変えて人生のリセットが出来た。
確かに寿命は親から受け継ぐDNAが大きく影響する
のだろうが生活環境の占める割合も非常に大きい。

それにしても、いつも思うのだが、人の身体の組織と
云うのか器官と云うのか分からないけれどは本当に
凄いの一語につきる。
生きていることが不思議でならない。
つい最近読んだ本に書いていたのだが、身体も細分化
して行けば最終的には分子になる、と云っていた。
どうして涙を流し、声を出して笑い、人を愛するのか
分子では到底できることではない。

ああもう止めよう。
古希が近くなると自分は泰然と死を迎えることが出来る
のか、などとよく考える。
後一ヵ月とか三ヵ月と宣告された人が笑顔で家族と語り
合っているのを見たりすると、どうしてあのような表情
でいられるのか尋ねてみたくなる。
恐らく人生を生き切った、という自負心からなのだろう。

悔いのない毎日を送らなければ、と思うけれど、
これは本当に難しい。

春はそこまで

2008-01-18 00:49:12 | Weblog

12日の土曜日お天気に誘われてウォーキングに出た。
春の足音が私の踏む土から伝わってくるような気がした。
菜の花が咲き始めていたのには驚いた。
ツバキは方々で咲いているけれどなかなか美しい姿のもの
には会えない。
それでもたくさん咲いているものの中に本当に一輪だけ
咲いたばかりの花に出会えた。

そして脇屋義助公の廟のぼってみた。
遠い昔自国を遠く離れた伊予の国で病死した彼の思いは
一体どのようなものだったのだろうか、などとりとめも
ないことに頭を巡らしながらキツイ坂道を上った。

民主党小沢党首の“反論”は正しいのだろうか

2008-01-16 20:35:19 | Weblog
小沢民主党党首が国会の本会議を欠席して批判されていることへ「府知事選の応援に行くと前から約束していた。選挙の約束は一番違えてはいけないことだ。あの本会議は数合わせでの本会議でしかなかった。結果は目に見えていた。党首としての優先順位を決めた。どうして批判があるのかよく分からない。」と反論している産経の記事をネットで見た。

私には彼の云っていることは正論とは思えない。
国会議員の役目を分っていないのではないのか。
かれも党首である前に一国会議員なのだ。
国会議員は国を動かす法律を作るのが国民から付託された役割なのだ。
「知事選の応援に前から約束していた。選挙の約束は一番違えてはいけい・・・」

一番大切な仕事は国会に出席して、自分の一票を投ずることで、それが最優先されるべきなのだ。
国会議員が国会をないがしろにしていいはずがない。

民主党に政権が変わってみてもいいと思うこともあるけれど、今日のような小沢党首の発言を党員が厳しく批判もせず、やり過ごすのであれば、安心出来ない。

お正月・お雑煮・マグロ

2008-01-04 19:33:37 | Weblog

お正月は我が家にとっては一大イベントだ。
普段は二人で生活しているのに一挙に5倍の人数になる。
何よりも大変なのは食事の世話だ。

三十日には買出しに出掛けた。
家内がメモに従って次々と品物をカゴに入れて行く、そして
孫の好みを思い出しながら品定めをして、手にとっては戻し
又違ったものを取って・・・ああお供は本当にイライラ・・
大きなエコバッグに入り切らない程買い込んだ。
持ち上げようとすると身体が重さに引っぱられて曲がってしまった。
ヤットコさで持って車のところまで行きかねた。
お荷物運びがいないと女独りではちょっと無理。

お雑煮の具材は既に前もって調達済。
しかし毎年瀬戸貝を買うのに苦労していたが、今年はいつものお魚やさんで
入手出来ず、違ったお店を探して、二日待ってヤット手に入れた。
そしてアナゴもいいのを寄せてくれた。貴重品だ。
大人はみんなこのお雑煮を楽しみにしているのだから、これがないと母から受け継いだお雑煮が出来ない。
あとは奥方の腕次第だ。

元旦のお雑煮を食べて始めて新しい年が明けたきがした。
美味しかった。

家内は息子の嫁に毎年色々説明はしているけれど、自分が作って食べさすだけだから、
果たして受け継いでくれるかどうかは分からない。
他所にいるから材料を揃えることから難しいに違いない。
妹のところへもこちらから瀬戸貝は送らないと無いらしいのだ。
親の世代には普通にあったものが、無くなっている。
食文化が変わってしまった、と云えばそれまでだが、なにか淋しい気持になる。

そうそう今年のお正月は大きなマグロを貰った。
刺身で食べ、ソテーして食べ、それでもまだ残ってしまった。

ああやっとみんなを送りだして、お正月が来た。
ゆっくりお風呂へ入って・・飲めないお酒でも二人で楽しもう・・