ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

クモの糸

2010-08-31 07:16:02 | Weblog
蜘蛛の糸と言えば芥川龍之介の短編小説が有名だが、最近私はクモの糸の強さに関心がある。
あの細い糸で虫を捕らえる不思議さは目を見張らせる。
どうゆう物質で、どのような構造になっているのだろう。
写真の葉っぱはもう何日も一本のクモの糸に釣り下がって風に揺れている。
人間が地球上のものの頂点に立っているように思っているけれど自然は人知を超えた物や現象で溢れている。

鯛麺

2010-08-30 07:43:13 | Weblog




先日貰って冷凍していた鯛?を焼いて煮てそうめんに添えて昼食のお膳にのった。
焼いてから煮たのは鱗が固くて剥がれなかったかららしい。
私は食べる人、奥様はコック長とお客の二役だ。
いつも自分の料理に感心している。
それにしても速い、うまいは彼女の技だ。

民主党の党首選

2010-08-29 21:54:44 | Weblog
テレビで民主党の党首選のニュースを見るたびに思うのだが、彼らはこの国のことを
真剣に考えているのだろうか、と。
鳩山前首相の言動を見るにつけその思いが募る。
どうしてここで小沢支持を表明したのだろうか。
首相を辞めればもう選挙には出ない、と言っていたのに撤回して、民主党のキーマンを
演じ、その支持の理由に、自分を総理大臣にしてくれた恩義がある、という。
政治とは国をいかに導いていくかが政治家の仕事であって個人の恩義を果たすことでは
ない。
それよりも何よりも、鳩山首相と小沢幹事長のコンビの時に何も出来なかったのに今更
小沢一郎内閣を無理矢理つくっても、分裂しかねないような党内事情の中で、挙党態勢
を作り出すのは難しだろう。
何故このように簡単な分かりきったことが理解出来ないのでしょうか。
そして菅総理大臣が前幹事長に会えないことは我々から見ると、彼らは自分たちの遺
恨試合を国の政治に持ち込んでいるとしか思えない。
今はもう崩れてしまった、古い自民党が生き返ってきたような民主党の現況は国民を裏
切っている。
自民から民主に折角流れが変わったこの変革期を逆戻りさせてはいけない。
与党も野党も国民にとっていいことは積極的に話し合って実りのある政治を行なってほ
しい。
今は40才代の若い力を結集して古い体質を破壊し改革する時だ。
民主党の1年生議員よ、君たちを選んだのは有権者であって小沢一郎ではありません。
次の選挙で再選されるかどうかは、選挙民の選択にかかっているのです。
小沢一郎のマジックや豪腕で選挙に勝つことは出来ません。

東京スカイツリー

2010-08-25 23:09:50 | Weblog
ハトバスツアーで二大タワー巡りをした。
国会議事堂、ホテルのバイキングランチ、東京タワー、浅草寺、
スカイツリー工事現場など8時間のコースだった。
東京は何処へ行ってもひとひと人の波で田舎者は本当に疲れた。
スカイツリーの建設現場へは一度行ってみたかったが見学時間は15分。
先日のNHK特集の方が断然よかった。
それでも歴史の現場に立った気分は味わえた。
また完成したら展望台へ上ってみようと思っている。

シーラだ

2010-08-22 23:14:03 | Weblog
向いのご主人が沢山の魚を釣ってきた。
奥さんから電話があって、「シーラ食べる?」「あの長い魚?いるいる」
決まりである。
シーラは55センチもあった。
貰ってきて切れない包丁で奥さんは悪戦苦闘。
私はとてもじゃないが、魚のぬるっとした感触が気持ち悪くて触れない。
食べるのはだいすきなのに。
奥さん本当にすみません。

広島の原爆記念日

2010-08-06 11:47:03 | Weblog
8月6日は広島の原爆記念日。
今年はオバマ米国大統領の原爆削減演説などの効果で世界的規模で核の廃絶の機運が高まってきた。
そして国連の事務総長や米国大使、英仏の政府代表など多くの国の人々が式典に出席した。
一瞬にして命を落とした人々や放射能の後遺症に悩まされた人の数は27万にものぼる。
恐怖以外の何ものでもない。
いくら戦時中とはいえなんの前触れもなく頭の上から降ってきた一発の爆弾で14万人もの人が瞬きをする間もなく命を奪われたことは許しがたい暴虐だったと思う。
いくら米国が弁明しても許されるものではない。
今更過去を蒸し返しても仕方がないけれど、戦争には正義などあり得ない。
核軍縮と並行して紛争の解決が大切だ。
いつまでも軍事力で押さえつけていても平和は達成出来ない。
一番は当事者間の話し合いが必要だ。
アフガンにしてもイラクにしてもイスラエルとヒズボラにしても話し合う場を各国が醸成することが求められる。
どちらか一方に肩入れして軍事力で威圧しても駄目だ。

昨日80才なる叔父が来て8月5日の私の町の焼夷弾爆撃の様子を涙ながらに語ってくれた。
町中から田舎へ逃げる道すがら焼けた死体や救いを求める悲痛な声の中を顔を真っ黒にして走り続けた体験だった。
叔母は翌日職場の様子を見に出かけて途中川べりの松の木にもたれた焼けただれた人に声を掛けられ、どうすればいいのか分からぬまま急いで通り過ぎた、と話して大きく息をして、あの光景は65年経った今でも鮮明に蘇ってくる、と声をふるわせた。
終戦10日前に何故私たちの小さな町まで爆撃する必要があったのだろうか。
広島や長崎の原爆にしても実際は落とさなくても日本の降伏は明らかだったはずだ。
おそらくは膨大なお金と科学者の努力の結晶である兵器の威力を検証してみたかった、と言うことだったに違いない。

広島と長崎での破壊力を見ればアメリカの軍事力に脅威を抱く北朝鮮やイランが開発を進める気持ちは理解出来る。
しかしその行為を認める訳にはいかない。

一人一人は平和を求めているはずなのに、どうして世界平和が実現出来ないのだろう。