ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

CT初体験と嗅覚の蘇生

2007-09-13 16:32:03 | Weblog
ある日朝起きると突然左耳が聴こえなくなっていた。
前日二十八度余りの熱が出たけれど軽い風邪か疲れだろうとあまり気にもかけていなかったから本当に驚いた。
目も耳もどちらか一方を塞いでも、見えるし、聴こえもするから片方でもあまり違和感はないだろうと思っていたが、いざ左耳が聴こえなくなってみるととても気持が悪くてたまらない。早速耳鼻咽喉科で診療を受けると鼓膜の内外の気圧のバランスが狂っている、と診断され空気を吹き込むような治療をしてくれた。
しかし直ぐ元の木阿弥だった。

友の勧めで転院すると直ぐに「切開します。」といわれその場で処置。
四五日で全快。だがここから原因究明が始まって、原因は鼻にあると指摘された。
鼻耳咽はつながっていて鼻の疾患から耳、咽に悪い影響が出て、耳が悪くなり、咽が痛んで咳が出る、といわれた。

花粉症が原因かも知れないのだが嗅覚が消えてしまっていた。
嗅覚は触覚、視覚、聴覚、味覚と違って障害があってもまあまあ我慢ができた。
嗅覚を司る細胞が死んでしまった、と思っていた。
ところがこの治療をはじめて二週間経った朝歯磨きの匂いが鼻腔から頭に抜けた。
嗅覚が戻って来たのだ。

治療の進み具合とこれからのために「レントゲンでは見えない奥をCTで調べてみます」と云われビックリした。
鼻のCTなんて聞いたことがなかったし、全くの初体験だった。
テレビや話では聞いていたけど自分が受けるとなると、興味もあるけれど一寸不安があった。
それにしても高価な機器のCTが耳鼻咽喉科にあるの、と思ったが、何処そこの病院へ検査に云って下さい、と云わないのだから、この病院にあるのだろう、と指定された日の早朝に行くとまだ受付も開いていなかった。
診察券を受け箱に入れて二十分ほどすると先生が現れてレントゲン室へ案内された。
そこには細長いベットとトンネル状の機器が置かれていた。
指示されるままに仰向けになって四角いヘルメットになったような枕に頭を入れて、手足をベルトで固定された。
先生がスイッチを入れるとベットが動いて(?)顔が機器の真下になった。
上を見るとセンサーか何かの小さな突起物が二つあった。
そして先生が顔の上に手をかざすとオレンジ色の光が見えた。
それがすむと機器がじっとしていて下さい、と声を出した。
それが終わると今度はうつ伏せになって同じことを繰り返した。
私は前の壁面に埋込まれたコンセントの差し込みプレートをじっと見て動かないようにしていた。
全部で十分あまりだった。
待合所で待っていると診察時間になると一番に呼ばれた。
診察台に座ると耳と咽を調べて、鼻のCT写真の説明になった。
写真は三枚あった。鼻を中心に顔の断面が黒とグレーで見えた。
説明では鼻腔の縁がグレーでまだ少し治療が必要だと云われた。
手術は今のところしなくてもいいそうだ。

花粉症が出始めた時に確り治療をしておけばよかった、と悔やまれた。
だが、病院へは来たくない。

それにしても今回はよい医師に巡り会えて良かった。

大和ミュージアム

2007-09-09 12:19:10 | Weblog
以前から行ってみたかった呉の大和ミュージアムへ松山からスーパージェットで行った。
一時間の船旅だった。
しまなみ海道を渡り、車で行くのもいいが、船の博物館への道は矢張り海路だ。
途中平清盛が切り拓いた狭い音頭の瀬戸を減速して通過すると間もなく艦船が停泊し他所では味わえない軍港の雰囲気のある呉港だった。
下船すると目の前に大和ミュージアムの建物が大きく立ちはだかるように建っていて左手後方には鉄のくじら館が見えた。
本当に船を下りると目的地だった。

一緒に下船した人はあまりいなかったけれどミュージアムに入ると、館内は人で溢れていて驚かされた。
殆どの人が車で来ているのだ。四国からわざわざ船で出かけるなんて、全くの少数派なのにその時まで全然気付いていなかった。
それにしてもこの人気ぶりには一寸唖然とさせられた。
きっとヒットした映画の影響だろうと思うけれど色々な年代の人がいた。

若者は戦艦大和の何に感動するのだろうか、尋ねてみたい気がした。

戦争体験ギリギリの昭和十五年生まれにとっては戦争の悲惨な思い出と同時に何か郷愁のようなものも感じられて複雑な気持だった。

戦争はいけないけれど戦争が生み出した技術の凄さにも感銘を受けた。

人間魚雷をみて、身震いした。
これを操縦して敵艦に体当たりして爆死したのかと思うとしばし動けなかった。

終戦間際に人間魚雷の訓練を受けていた恩師が、「もう少し戦争が長引いていれば、ここでお前達に漢文を教えてはいなかった。」と話していたのを昨日のことのように思い出していた。
五十年も前のことなのに声も表情も憶えていた。
先生が体験を話された時の言外の心情が高校生の心に響いたのだと思う。
戦争の惨さが伝わって来たのだろう。

大和ミュージアムは一見の価値がある。何かを教えてくれる。