ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

コブのない駱駝(きたやまおさむ)を読む

2016-12-29 22:55:39 | 読む

「戦争を知らない子供たち」の作詞者であり、同名の著書もある北山修氏。
「戦争が終わって 僕らは生まれた」という歌い出しの通りであった北山氏も、もう70歳を越えている。
氏がメンバーだった、ザ・フォーククルセダーズが歌った、「オラは死んじまっただ」の歌い出しで始まる「帰ってきたヨッパライ」は、日本で史上初めてのミリオンセラーとなった。
約280万枚の大ヒットを記録している。
その歌は、本来解散記念で作ったはずのレコードだった。
それが大ヒットしたのでグループを再結成してプロになったが、1年で解散。
その後、氏は医大に復学し、その後精神科医となった。
かたわらで作詞家等としても活躍しながら、北海道やロンドンで医師としての修業をしたり、医院を開業した後には、九州大学で教えたりもした。
7年前には、ザ・フォーククルセダーズの盟友加藤和彦氏を失っている。
(2人で歌った「あの素晴らしい愛をもう一度」は本当に名曲である。)
現在は、精神科医として「北山修」、作詞家や物書きとして「きたやまおさむ」と名乗っている。
新刊「コブのない駱駝」(きたやまおさむ;岩波書店)は、そんな氏の自伝である。

興味深かったのは、ただの思い出話を語るのではなく、精神科医として、精神分析の視点から自らの人生を語っているところである。
分析的に語られる氏の人生を知り、彼の語る1つ1つが納得できる言葉として私の中に入ってくるものだった。
「ピエロとして生きる」とか「女性的であること」などは、その時代特有のあるいは青年期特有のものとして、自分も味わったことだなあ、と共感したりした。
そして、氏がザ・フォーククルセダーズを1年で解散したのも、空しさを感じたからだったという。そして、次のようなことを言っている。

もともと人の心には、どこかに空間、あるいは空洞があるのだと思う。その空間を埋めることができた時、人は満足が得られるものなのだろうけど、空しさを覚えたとき、人はこの心のスペースをなかなか埋めることができないでいるのではないか。あるいは埋められない穴ぼこが露出して、人は空しさを感じるのかもしれない。

氏は、自身が感じた巨大な空しさに向き合うためにも、精神医学の道を選ばざるを得なかったのだと思う、と語っている。

旅に出ても、探し物をしても、確実な答えは見つからない。でも、一つの答えを人は求める。仮にその答えが見つかったとしても、すぐまた別の問題が現れ、答えは消え、空しさが訪れる。それが人生。
どれほど意味がないと思った空虚でも、意味が見つかり有意味となるかもしれない。そうして気がつけば、空虚は部分であり、全部ではなくなる。

…このような言葉が綴られた、氏の文章は、本当に自分の中にスーッと入ってくるものだった。

まもなくの還暦を迎える。
ここ数年、高校の同級生たちが何人かバタバタと人生を終えていることや、自分の仕事に関しても定年退職が近づていることなどを考えると、人生について考えることも時々ある。
そして、まだまだ悩むこともあるのだ。
自分の人生の意味なども考えたりするし、空しさに支配されることも数多くあったりする。
だが、「あれか、これか」迷いがないのがよいという価値観を脱して、「あれも、これも」というのも自分だということを認めて生きていくことでもよいのではないか。
そういうことを、氏は、この本で私に教えてくれたように思っている。
数年前から、「迷わずに生きたい」という気持ちから、「迷いながら生きるのが自分」と思うようになってきていた私だが、この本によってまたさらに少しふっ切れたような気がしている。

私にとって、久々にいちいちうなずける、読後感のよい一冊だった。
コメント
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