紅白歌合戦のプログラムが進んでいる。
こうして、2016年もあと3時間余りで終わる。
神棚をきれいにしながら、1年が過ぎることの早さを思う。
仏壇は、盆や秋の彼岸にきれいにしたばかりだと思っていたら、もうそれから3か月もたっている。
来年は年男となるわけだが、その前の年男の時よりも、さらにもう1つ前の年男の時の方が、印象に残っている。
その時は、36歳。
受け持っていた子どもたちが、12歳になる時。
そして、当時の勤務先の校長が60歳になる時だった。
校長60歳、私36歳、子どもたち12歳。
その時思ったのだ。
自分は、60歳で退職を迎える人と、これから大人になる子どもたちとのちょうど中間になるのだ、と。
まだそれまで24年もあるのだ、と。
あの時はそう思ったのに、あっという間にその24年がたってしまった。
今、あの時子どもだった人が大人になり、父や母になっている。
そして、子どもとやはり干支が同じ、親となっている。
私が60歳、子どもたちが36歳、その子どもが12歳。
あっという間のふた回りの年数経過。
これからの1年1年はさらに早く過ぎそうだ。
生きている時間を大切にしたいものだ。
今日は、まず1年無事に生きられたことに感謝。
では、よいお年を。
こうして、2016年もあと3時間余りで終わる。
神棚をきれいにしながら、1年が過ぎることの早さを思う。
仏壇は、盆や秋の彼岸にきれいにしたばかりだと思っていたら、もうそれから3か月もたっている。
来年は年男となるわけだが、その前の年男の時よりも、さらにもう1つ前の年男の時の方が、印象に残っている。
その時は、36歳。
受け持っていた子どもたちが、12歳になる時。
そして、当時の勤務先の校長が60歳になる時だった。
校長60歳、私36歳、子どもたち12歳。
その時思ったのだ。
自分は、60歳で退職を迎える人と、これから大人になる子どもたちとのちょうど中間になるのだ、と。
まだそれまで24年もあるのだ、と。
あの時はそう思ったのに、あっという間にその24年がたってしまった。
今、あの時子どもだった人が大人になり、父や母になっている。
そして、子どもとやはり干支が同じ、親となっている。
私が60歳、子どもたちが36歳、その子どもが12歳。
あっという間のふた回りの年数経過。
これからの1年1年はさらに早く過ぎそうだ。
生きている時間を大切にしたいものだ。
今日は、まず1年無事に生きられたことに感謝。
では、よいお年を。