ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

第100回全国高校野球選手権大会終わる…

2018-08-21 20:21:50 | スポーツ
夏の甲子園、第100回全国高校野球選手権大会は、史上初めて大阪桐蔭の2度目の春夏連覇で幕を閉じた。

その対戦相手となった金足農は、第1回で決勝に進んだ秋田中学以来の秋田県代表の決勝進出を果たした。
判官贔屓の日本人たちは、この公立校を応援した人たちがたくさんいた。
しかし、決勝は、能力の高い選手たちがいかんなく力を発揮した大阪桐蔭が、2本の本塁打をはじめとする猛打で13-2で圧勝した。

金足農は、好投手吉田を擁して、決勝までミラクルな勝ち上がりをした。
強豪の横浜相手に逆転3ランで勝つ。
準々決勝の近江戦では、9回に2ランスクイズで逆転サヨナラ勝ちした。
素晴らしい逆転勝ちは、吉田の好投なくしては語れない。
今日の決勝も、前半はよかったが、チャンスを逃した後の失点で、一気に流れを失った感じがした。
大差になってしまったのが残念であった。

甲子園では、時々イケメン投手が勝ち進む。
ところが、決勝までは行くが準優勝で終わることが多いのだ。
三沢の太田、東邦の坂本、早実の荒木らは、その代表的な存在だ。
勝ったのは駒大苫小牧と延長の末再試合となって優勝を果たした斎藤佑樹くらいかもしれない。

太田の名前が出てきたが、今日の決勝の前の始球式は、50・51回大会に出場し、51回大会では延長・再試合を戦った三沢・太田と松山商・井上の懐かしい2人だった。
延長18回で引き分けになったこの試合が行われている時、私は中学1年生。
母の母、つまり祖母が亡くなった年の新盆に、いわき市に行き、帰る列車の中で他の客がつけていたラジオ放送で、手に汗握る展開を聞いていた覚えがある。
あの時も、東北に初めて優勝旗が渡るか、と放送されていたのだった。

それから50年もたとうとするのに、相変わらず優勝旗は白河の関を越えていない。
津軽海峡は越えてしまったけれども…。
果たして100回目の大会で…とつい期待してしまったが、やはり大会前から優勝候補の筆頭と言われていた大阪桐蔭は強かった。

憎まれ役?となった形の大阪桐蔭だったが、ほとんどが笑顔だった中で、主将だけは号泣していた。
昨年夏の敗戦を引きずり、優勝だけを目指してチームをまとめるのは本当に大変であっただろう。
その涙に、本当によくやった、と思った。
野球で高校日本一になる。
言うのは簡単だが、実現するのはどれだけ難しいことか。
それは、7県ある東北勢が春夏合わせても未だ優勝できていないことからもわかる。

金足農が34年ぶりの準決勝、と話題になったとき、その34年前の準々決勝の相手は新潟南だった。
新潟県は、新潟南の活躍でその年初めてベスト8だったのだ。
その後、新潟明訓が1度、日本文理が2度そこに進出しているが、新潟県の優勝はもちろんまだない。
今大会新潟県代表の中越は、出場3大会連続サヨナラ負けと、全国でも見劣りしないレベルまできてはいるが、勝ち進むというところまではきていない。
まだまだこれからだ。

様々な思いにつつまれながら、結局は、優勝候補筆頭の大阪桐蔭の優勝で第100回の記念大会は終わった。

甲子園夏の大会が終わると、急速に秋の近づきを感じる。
日が沈むのが少し早くなってきたと感じている。
コメント
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