ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

無常。 人も建物も…

2024-08-14 18:00:50 | 生き方

盆の時期を迎え、墓参り。

1年過ぎるのが早い。

以前は、墓の前で手を合わせ、亡くなった親族への思いを寄せていたものだった。

しかし、それだけでなく、近ごろは自分らも遠からずここに近づくのかな、という気持ちになってしまう。

その前に立ち寄った菩提寺の13回忌の貼り紙を見ると、かつて世話になった、地域の名士の方の名前があった。

17回忌には、私より若いのに亡くなった親戚の名前もあった。

たしか、このブログを初めてそんなに経たない頃に、その死に驚いたことがあった。

 

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あれから、16年もたつのか…。

私の生まれ故郷の彼らが亡くなってから、そんなに経ってしまったのか…。

人の命の炎はやがて燃え尽きる。

そう分かっていても、なんだか虚しさがこみ上げてくる。

 

そんな思いでいたら、すでに廃校となっていたわが母校の小学校も、まもなく解体されるのだという。

立ち寄ってみたら、解体工事の看板が設置されていた。

校舎はカビや汚れでうすぎたなくなっていた。

 

思えば、この建物は、私が小学校5年生のときだから、1968年に新築されたものだった。

それから今では、半世紀以上が経ってしまった。

すでに、少子化等の事情から、2002年に閉校となってしまった。

それ以来建物はずっと残されていたのだが、いよいよ解体の運びとなってしまった。

この校舎の向かって手前右側には、体育館と呼ぶには狭すぎる運動場があった。

手前の校庭スペースには、最下位を走るばかりのつらい運動会の記憶が残っている。

また、自分がいじめにあっていた、ひどくいやな記憶が残る小学校の建物だとはいえ、そこに私の小学校時代はあった。

いやな記憶ばかりでも、ここで少年時代を過ごしたから、今の私がある。

 

建物がなくなってしまうのは、やはりさびしい。

存在がなくなってしまうのは、人も建物も同じなのだな…。

永遠に不変なんてものは、ない。

 

「無常」。

そんな言葉を思い出していた、今年の盆である…。

 

 

コメント (2)
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