先日、俳優の下條アトムさんが1月29日に死去していたという訃報が流れた。
なくなった時に初めて知ったのだが、「アトム」は、手塚治虫の「鉄腕アトム」付けた芸名だと思っていたのだが、実は本名だったと知った。
俳優だった両親の命名だったという。
生まれたのが終戦の翌年の1946年。
GHQの占領下にあったから、父が「将来は日本でもアメリカ同様“名前・苗字”の順に読むようになるだろう」と考え、「A」から始まる名前をつけたということだ。
「アトム」は原子力の意味。日本は原爆の被害にあったが、原子力は本来戦争ではなく平和のために使われるはずだ…という願いも込められているという。
その下条アトムの名前を初めて知ったのは、高校の同級生からだった。
高校3年の冬、同級生のN男が、やたらに、「森本レオ~、下条アトム~」とつぶやいたり落書きしたりしていた。
それはどうやら、当時(1974年11~12月)NHKで放送されていた夜の銀河テレビ小説「黄色い涙」が、彼の心の琴線に触れたかららしい。
「黄色い涙」は、永島慎二原作のマンガ「若者たち」をもとにした全20話のドラマだった。
偶然知り合った夢を抱く若者たちが、狭いアパートの一室で共同生活をする。行きつけの喫茶店や食堂の人々の日常とともに若者の夢と現実が織りなす、青春の歓びと苦味がたっぷりつまった群像劇。
…と、紹介されている。
原作マンガを描いた永島慎二の作品はどれも、N男に限らず多感な高校生だった私にも、すごく響くものがあった。
若者の心が感じる孤独をマンガで描けたのは、彼ならではのものであった。
今でも、彼の描いた絵や作品を見ると、当時の感覚がよみがえってくる。
残念ながら、永島氏は、今から20年も前に亡くなってしまったのだが…。
その縁があったのか、下条アトムさんが1975年に「春秋暑寒」というシングルレコードを出したとき、そのレコードジャケットのイラストは、永島慎二氏によって描かれていた。
この曲を知ったのは、私の弟がこのシングルレコードを購入して聴いていたからだった。
この曲の作詞は、下条アトムさん本人によるものだった。(作曲は、さいとうあきひこ氏)
田舎の縁側 睦月には 何をか語らん 我一人
遥かな学舎 如月は 戻らぬ想い出 我一人
行くあて知らぬ 彌生には 何処へ歩まん 我一人
想いは淡き 卯月には 流れる河原の 我一人
見知らぬ貴女に 皐月には 愛を探した 我一人
貴女が窓辺の 水無月は 心に雨だれ 我一人
めざめて苦しき 文月に 何処へ船出の 我一人
海を抱きし 葉月には 浮かぶ波間の 我一人
つかれた都会の長月に 遠き鄙歌 我一人
かすかな調べは 神無月 生きる足音 我一人
生きる証を 霜月に 求め求めて 我一人
一年過ぎし 三冬月 何をか答えん 我一人
生まれる運命は人の世の 消えゆく運命も人の世も
永遠にめぐりてめぐりめく 永遠にめぐりてめぐりめく
12か月を、旧暦の呼び名で表して、それぞれの月に関わるエピソードを短く1行で描いて歌っている。
そして、それぞれの月の最後は「我一人」だ。
孤独感を味わう若者にとって、このフレーズは響いた。
下条アトムさん、といえば、こうして私にはこの「春秋暑寒」の曲が一番の思い出になっているのである。
YOUTUBEで、この曲を見つけることができた。
レコードからの音源のようだが、気になった方は、ぜひお聴きください。
最後に、下条アトムさんの冥福を祈ります。
合掌。