kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

龍馬点⑨

2010-02-08 17:37:55 | 京都

NHK大河「龍馬伝」 2月7日放送では、

龍馬と、長州藩の桂小五郎(谷原章介)が「ペリーの黒船」 を見て大変驚き、

龍馬さんは、『黒船に刀など役に立ちません。

なんのために剣術の修行しちゅうか、もう分からんがです!』 

      

    

また、桂さんなんか、『毎夜毎夜黒船が夢に出てきて、一睡もできん』

と、眼の下に隈まで作って悩み苦しんでいるストーリーでしたね。(^^♪

     

さて、その龍馬のお友達の?、桂小五郎 ですが、     

      

    

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京都市中京区河原町通御池上がった所の京都ホテルオークラの

河原町通側。

「桂小五郎の像」  近年、建てられた等身大の像です。

ここは、長州藩邸跡です。

   

※長州藩邸は高瀬川一之舟入(いちのふないり)近くから

この京都ホテルオークラの辺りまでということは?かなり広域だったようです。      

(※高瀬川一之舟入については、次にご紹介したいと思います。)

    

桂小五郎は、後の木戸孝允(きどたかよし)(或いは、きどこういん)

明治維新を成し遂げ、近代日本の基礎を築いた人で、

「版籍奉還」や「廃藩置県」など一連の改革に当たりました。

       

     

高瀬川沿いの木屋町二条下がった所に、「桂小五郎寓居跡の碑」があります。

         

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「幾松」 という料亭のかどに、石碑がありました。

       

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「桂小五郎 幾松寓居跡」 と書いてあります。

      

料亭と同じ名前の名妓「幾松」 

維新後、結婚し名前を、「木戸松子」 としました。

先日、霊山のお墓に行った時、一番高い所に、他の志士たちのよりも

二人のお墓は、とても立派でした。( 龍馬点② )

   

      

ところでこの幾松ですが、もう一年半ほど前になりますが、

にじの家さんのブログ仲間にちんちら斎藤さん という方がいらっしゃいます。

この方が京都旅行の昼食でたしかここへ行かれたはずです。

その時、何か手違いで、応対が悪く京都の印象がとても悪かったと

ブログに書かれていたように思います。

有名で高級なお店なのに…、

さて、今は? こんな事はその時だけのことだったと、祈ります。

       

    

話がそれました。

    

龍馬は、天保六年生まれ、一方、桂は天保四年生まれの二つ違い、

亡くなったのは、龍馬慶応三年、桂が明治十年、

龍馬が暗殺された後更に十年、命永らえたのですね。

      

桂小五郎は「逃げの小五郎」という異名を持っていたといいます。

もしも、龍馬もこんな生き方をしていたなら…、

     

     

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「おりょう、わたしは あがな生き方で よかったがやろか…?」

      

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粉雪

2010-02-08 00:15:12 | 四季折々に

             

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昨日のお昼に降りだした雪は、夜も降って、今朝はこんなに積もりました。

    

こんなに積もったのは、今年は初めてだったと思います。

      

出勤時間の余裕もないのに、写メ撮ってしまいました。(^_^;)

    

サラサラの雪だったので、つま先で、ちょっと蹴りますと、

    

パア~ッと、粉雪が舞い踊りました。

     

今日は、長靴で行ったので、雪の中歩くのも平気でしたよ。

     

誰も踏んでいない真新しい雪の上を歩いて、行きました。(^^♪

      

大雪で困っておられる方たちには、ごめんなさいです。m(__)m

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