NHK大河「龍馬伝」 2月7日放送では、
龍馬と、長州藩の桂小五郎(谷原章介)が「ペリーの黒船」 を見て大変驚き、
龍馬さんは、『黒船に刀など役に立ちません。
なんのために剣術の修行しちゅうか、もう分からんがです!』
また、桂さんなんか、『毎夜毎夜黒船が夢に出てきて、一睡もできん』
と、眼の下に隈まで作って悩み苦しんでいるストーリーでしたね。(^^♪
さて、その龍馬のお友達の?、桂小五郎 ですが、
京都市中京区河原町通御池上がった所の京都ホテルオークラの
河原町通側。
「桂小五郎の像」 近年、建てられた等身大の像です。
ここは、長州藩邸跡です。
※長州藩邸は高瀬川一之舟入(いちのふないり)近くから
この京都ホテルオークラの辺りまでということは?かなり広域だったようです。
(※高瀬川一之舟入については、次にご紹介したいと思います。)
桂小五郎は、後の木戸孝允(きどたかよし)(或いは、きどこういん)
明治維新を成し遂げ、近代日本の基礎を築いた人で、
「版籍奉還」や「廃藩置県」など一連の改革に当たりました。
高瀬川沿いの木屋町二条下がった所に、「桂小五郎寓居跡の碑」があります。
「幾松」 という料亭のかどに、石碑がありました。
「桂小五郎 幾松寓居跡」 と書いてあります。
料亭と同じ名前の名妓「幾松」
維新後、結婚し名前を、「木戸松子」 としました。
先日、霊山のお墓に行った時、一番高い所に、他の志士たちのよりも
二人のお墓は、とても立派でした。( 龍馬点② )
ところでこの幾松ですが、もう一年半ほど前になりますが、
にじの家さんのブログ仲間にちんちら斎藤さん という方がいらっしゃいます。
この方が京都旅行の昼食でたしかここへ行かれたはずです。
その時、何か手違いで、応対が悪く京都の印象がとても悪かったと
ブログに書かれていたように思います。
有名で高級なお店なのに…、
さて、今は? こんな事はその時だけのことだったと、祈ります。
話がそれました。
龍馬は、天保六年生まれ、一方、桂は天保四年生まれの二つ違い、
亡くなったのは、龍馬慶応三年、桂が明治十年、
龍馬が暗殺された後更に十年、命永らえたのですね。
桂小五郎は「逃げの小五郎」という異名を持っていたといいます。
もしも、龍馬もこんな生き方をしていたなら…、
「おりょう、わたしは あがな生き方で よかったがやろか…?」