さてさて、今週のTV視聴率ランキング(2月1日~7日)・関西地区、
NHK大河「龍馬伝」 は6位(21.8%)でした。
参考までに、
1位: 秘密のケンミンショー
2位: ボクシング「亀田大毅vsデンカオセーン」 電化汚染?(^_^;)
3位: ぐるナイ90分ゴチ女ボス暴走SP
3位: 映画 崖の上のポニョ
5位: クイズヘキサゴンⅡ
でした。
「秘密の…」と「崖の上のポニョ」 は私も見ました。
それにしても、8位までが(8位ふたつで9位無し)20%台と、TVを見てた人が、
多くなっているようです。
私の勝手な推測ですが、雪も降ったりして外出を控え家にいた人が多かった。
また、地デジ対応TVの購入者がこの時期急増しTVに興味が集中した。なにしろ、
エコポイント取得期間も差し迫っているし、冬季オリンピックは近づいてきたし、
この辺りが、視聴率アップの理由かなと思います。
以上、独断と偏見でした。m(__)m
本題へ
龍馬点⑩ 「高瀬川」 沿いです。
森鴎外の小説「高瀬舟」 の舞台の高瀬川、ここは、幕末の水運の要衝でした。
そのため各藩邸が立ち並んでいました。
それで、龍馬もこの辺りに「海援隊の京都屯所」、を置いたり、住みかとした訳です。
高瀬舟で、大坂~伏見~京へと、材木などが運ばれていました。
この高瀬川沿いの道を「木屋町」 と呼ぶのもそういった所以です。
龍馬の海援隊屯所兼住まいも「酢屋」 (龍馬点⑦にて)という材木屋でした。
この「酢屋」 という名前ですが、なぜ、材木問屋が「酢屋」なのか?
私も、これが不思議で「酢屋」を訪れ2階を見学した時、
展示物の説明をしてくれた女性に聞いたのですが、分からないとの事。
ザンネン(ーー;)
↑ 高瀬川に浮かぶ「高瀬舟」
江戸時代初期に角倉了以・素庵父子が開削した運河「高瀬川」の
水運の手段でしたが、大正9年(1920)廃止になり、300年の歴史を閉じたのです。
この「高瀬舟」 とは船底の平らな木造船で川や浅い海で曳き船などとして
使用されていたもので、これを角倉了以が今の岡山県吉井川で見て、
取り入れたそうです。
私は、高瀬川に浮かべたので「高瀬舟」 という名を付けたんだと
思っていたのですが、どうやら舟の名前が先だったような…?
運河「高瀬川」 はどこから水を引いたかと言いますと、鴨川の二条大橋付近を
その支流の「みそそぎ川」 という川が流れているのですがそこから引いて、
今の木屋町通のある所を南へ、途中鴨川と交差しながら、「伏見港」 までの
10Kmを流れて行きます。(下流…京都駅近くでは、何度か川の流れを移動させていますが)
この、始まりとなる所、「木屋町二条」 は 「島津製作所資料記念館」 の
ある所なんんです。
そしてそこは、↓ 「高瀬川一の舟入り跡」 です。
高瀬川から直角に水が引かれています。
手前高瀬川が右から左に流れていて、私は川越しに撮っています。
二条通から五条通の間の高瀬川に「舟入・ふないり」 という舟を停泊せる所を
設けていて、一の舟入から九の舟入まであったらしいです。
今は、一の舟入のみが残され、他のは埋めてしまわれました。
また、七条通の北辺りには、「内浜・うちはま」 というものを設け、
船の転回場としていました。
これも、もう埋めてしまわれています。
この高瀬川、江戸時代~明治初期の京の物流を支えた大動脈だった頃は
川幅も今よりもっと広く、水量も多かったといいます。と言っても、
深さは30Cm程度だったらしいのですが…、
高瀬川の水運業で富を得た角倉了以、
木屋町二条辺り、今は日本銀行京都支店になっていますが、
ここに、屋敷跡の石碑があります。
(嵯峨嵐山にある大堰川・おおいがわも水運業で関わっている角倉了以ですが、
またの機会に…)