千代の古道(ちよのふるみち)
”嵯峨の山 みゆき絶えにし芹川の 千代の古道跡はありけり”
在原行平(後撰集)
「千代の古道」 は平安時代から親しまれている古道で、
京のやんごとなき方々が都から、この道を通り嵯峨院(大覚寺)に
通ったようです。(右京区の常盤、鳴滝辺りから広沢の池の東南に通じる道)
佐野藤右衛門さんの所もこの辺りにあるのですが、私はここから
広沢の池に向かいました。(歩いても5分程度です)
広沢の池は平安時代中期、遍照寺造営の時、同時に造られた庭池で
月見の名所として知られています。
当時、池を囲むようにお寺の大伽藍が並んでいましたが、
今はここより南に小さなお寺が残っているだけです。
また、毎年12月には数日かけて池の水を抜き、養殖していた鯉やその他の
お魚を飲食業の方や一般の方に販売されます。
一度、私も買ってみたいな。
それから古い話ですが私の通った高校には、広いグラウンドがありませんでした。
それで、遠く離れたこの広沢の池の南の方にグラウンドが設けてあり
運動会やクラブの合宿の時にはここに来たのです。
学校がバスを用意してくれる時もありますが、そうでないときは、
嵐電(京福電車)を四条大宮から車折(くるまざき)神社まで乗り、後は歩くのです。
結構歩いたなあ~(@_@。
北へ歩くのですが、当時、辺りは田んぼや畑が広がり途中に一軒、
たばこやお菓子などを売る小さなお店がありそれが
とてもうれしかったのを覚えています。
そう言えば、そばには小さな橋が架かる川があった様な気がします。
今は、この辺りも住宅地になって、たくさん家が建っています。
この日も、グラウンドからは、野球部の練習する声が聞こえていました。
いつの間にか、グラウンドはぐるっとフェンスで囲まれてしまって…。
この、菜の花畑の向うにあります。
ここから学生の時と同じように、南に向かって帰って行きました。