久しぶりに、TV視聴率ランキング(関西地区)を、
<5月24日~30日>
1位: 「龍馬伝」 ~龍という女~ 21.1%
2位: 秘密のケンミンショー 20.7%
3位: 報道ステーション(26日) 20.2%
<5月31日~6月6日>
1位: 報道ステーション(2日) 24.3%
…
6位: 「龍馬伝」 ~池田屋に走れ~ 18.6%
<6月7日~13日>
1位: 「龍馬伝」 ~愛の蛍~ 21.9%
2位: 行列のできる法律相談所 21.8%
3位: 臨場 20.2%
<6月14日~20日>
1位: サッカーW杯 日本xオランダ 43.5%
2位: サッカーW杯 日本xカメルーン 41.8%
3位: 「龍馬伝」 ~寺田屋の母~ 22.0%
サッカー、凄いですね!
とある、国民的行事と言われるものより、上ですよね、たしか。
さて、「龍馬伝」 ですが、お昼に再放送を見ていましたが、
なんでこんなに次から次へと困難に見舞われるの!
と思ってしまいました。
龍馬さんが可哀そうで…(T_T)
…
とまあ、ドラマとはいえ、そんな気分になってしまいました。
でも、こんなことを先日聞きました。
福山雅治さんからです。
当然ですが、直接聞いた訳ではないんですよ。
例の如く、TV番組から仕入れた話です (^_^;)
福山雅治さんいわく。
『 興味がある人物は、龍馬より (岩崎弥太郎) です。
どん底から這い上がっていった人だし、龍馬は、言っても (ぼん) ですからね。
若い時、江戸に行けたのも家が裕福だったから…、 』
だいたい、こんな風な話でした。意外な言葉でした。が、
…その通りではあるのですが。
それでも、こんなにも大きく歴史に名を刻んだ人には、
どれほどの苦労努力があったことだろうか、…と思います。
それにしても福山雅治さんの演じる 「龍馬」 は、どこか可愛らしさがありますね。
…
はい、話は変わって…
” 焼けて口開く 蛤御門 ”
京都にはこんなフレーズがあること、他でも知られているのでしょうか ?
時は江戸時代、宝永五年(1708) 京の町は大火にみまわれました。
禁裏(御所)、公家の家、町民の家々など京の町の中心は、ことごとく焼けました。
その後、御所は修復され外回りの築地に新しい門が三つ増え新在家口の門は
”大火のあとで開いた” ということから 「焼けて口開く蛤御門」 と言われるように
なったのです。
そして、元治元年(1864)七月
「蛤御門の変(禁門の変)」 で約三千の兵力で上京した長州軍は
この辺りで御所を守る薩摩・会津など幕府軍と激戦するも敗北に終わりました。
樹齢三百年の清水谷家(しみずだにけ)の椋(むく)
これは京都御所の中でこの辺りは清水谷家という公家の屋敷跡であり、
この大きなムクの木は 「清水谷家の椋(むく)」 と呼ばれています。
禁門の変の時、長州藩士で遊撃隊の総督であった来島又兵衛(きじままたべえ)が
この木の付近で討ち死にしたといわれています。
この木も、蛤御門の変の舞台となったのでした。
蛤御門のあとも、幕府は手を緩めることなく、西郷隆盛を参謀とする
長州征討軍を出立させたのでした。
このあとはドラマもまだのことですし、いずれまた…。