kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

龍馬点38

2010-11-11 16:20:39 | 旅行

「長崎・出島」 へ行こうと中島川の石橋群からずっと川沿いに歩いていきました。

昔、教科書で「出島」 の名は見てはいても、いったいどういうものなのか、

殆ど知りません。 勉強してなかったんですねえ~(=_=)

そして、今回は「龍馬」 と関わりのある「龍馬点」 を探しに来ています。

龍馬は、出島と関わったことがあるのだろうか?

あったなら、それはどういうものだったのだろうか?

     

現代の中島川沿いはバスや車など交通量の多い通りです。

川沿いにグーンと右にカーブすると、間もなく「出島」 が見えてきました。

        

Img_0426

Img_0485_2

    

橋を渡ります。

     

Img_0427

橋のたもとに、「史跡 出島和蘭商館跡」 の石碑 がありました。

「出島」 は低い白壁の塀に囲まれていました。

     

鎖国時代、約200年間 西洋に開かれた唯一の窓口、それが「出島」でした。

しかし、鎖国が解かれ必要がなくなると、明治以降、出島付近の埋め立てが進み、

明治37年(1904)、出島はその姿を消してしまいました。

    

今、その歴史的価値を再認識され、復元整備事業が進められ、

平成12年、「ヘトル部屋」を始めとする5棟が完成し、その後も着々と復元が

進められています。

    

江戸時代に生きていたとしても、中に入ることなど出来なかった「出島」

今、その姿を見ることが出来るようになったことは、素晴らしいことと思います。

そして、中には色々な建物がありました。

       

 ①「旧出島神学校」    

         

Img_0430_2

     

「旧出島神学校」 は明治11年(1878)に建てられた現存する、

わが国最古のキリスト教(プロテスタント)の神学校。

水色の爽やかさを感じる建物でした。今は中に、「企画展示室」「売店」「料金所」

があります。

Img_0429

「龍馬伝」 の旗がたなびく横を、たくさんの観光客が通り過ぎます

平日なのにサラリーマンらしき人の訪れているのを、ここでも、亀山社中でも

よく見かけたのは意外でした。 龍馬人気の賜物?

      

      

Img_0446

      

 ②「表門」 この門の向うは中島川で区切られ、今マンションの見える対岸は

「江戸町」 と呼ばれていました。

江戸時代には、対岸の江戸町側から「表門橋」 を渡ると、この表門があり、

ここに詰めている「探番(さぐりばん)」 が出入りする人を改めていました。

元々の表門の位置は、中島川の中央付近だったそうです。

上の写真の川の真ん中辺りまで、出島がデジマした、いや、出てました (^_^;)

川の変流工事で、元あった場所が削られてしまったのだそうです。

表門は再現されていますが、表門橋は今は、ありませんでした。

    

       

Img_0443

      

 「旧石倉」  この前の立札にはこういう風に記されていました。

         

Img_0444_2

        

この間の「龍馬伝」 でも、龍馬はライフル銃を一千三百挺を買い入れて、

船で土佐に届けていました。その商談は出島で、銃の保管もここの石倉だった

可能性が高いと記されています。

龍馬が出島を訪れたとしても、なんの不思議もないですものね。

    

他にも、色々な建物がありました。 後程…。

      

コメント