旧グラバー住宅です。
台所: 床に使われているのは、「こんにゃく煉瓦」 と言います。
普通の煉瓦より薄く、こんにゃくの形をしていますが、
縦に並べているので、とても頑丈だそうです。
ここに入った時、温かい雰囲気を感じました。
ああ、こんな台所でごはんを作ったりして過ごしてみたいなあ~。
修学旅行生らしき男の子が、興味深げに覗いていますが、
この中はと言いますと…、
グラバー氏は大浦慶とも仕事上関わりがありました。
お茶の貿易をしていました。
この釜で、お茶を煎っていたこともあるそうです。
300歳の蘇鉄 :
グラバー邸の庭にあるこの蘇鉄は、グラバー邸が建てられた当時、
薩摩藩主、島津侯から贈られたもので樹齢300有余年、国内最大級のものです。
斜面市街地移送機器・ラックスカーRC2200 :
グラバー邸の近くにありました。
やはり急な坂道での物の搬送には、苦労がありますよね。
さて、この館のご主人さま、「トーマス・ブレーク・グラバー」
スコットランドに生まれ、20歳で上海に渡り、イギリス商社に勤めました。
21歳で、長崎開港と同時に渡来し「グラバー商会」を設立しました。
当初は、お茶、生糸、海産物、後には艦船、武器を扱い、
諸藩に販売、龍馬や桂小五郎をはじめ、幕末の志士達とも深く関わりました。
また、薩長藩士の渡欧(密航)を斡旋するなど、明治維新にかけての
政治的なことにも関与してきました。
後年は、三菱の相談役として活躍しました。
グラバー邸の中は、観光客でいっぱいでした。
写真撮影も遠慮がちになりましたが、グラバーの妻、「ツルさん」の
お部屋のクリーム色の天井に、隠し部屋の小さな入り口がありました。
グラバーは法を犯してまで、薩長藩士を守ったので、
必要な部屋だったのでしょうね。 グラバーは後に、
「自分は徳川幕府にとって、最大の反逆人だった…」 と回想しています。
何回目だったか、「龍馬伝」では、龍馬とグラバー(ティム・ウェラード)、
大浦慶(余貴美子)、小曾根乾堂(本田博太郎)が中国風な部屋で
マージャンに興じているシーンが心に残ります。
龍馬ゆかりのスポットからスポットへと線で結び、歩き、撮りました。
線上のカメラマン…? (^_^;)
「グラバー園」も、歩いてきました。
前に書いた、「旧三菱第2ドックハウス」 もこの中にありました。
グラバー園の入り口に来て、驚いたのは、こんな山の中にエスカレーターが!
いちばん、高い所にある「旧三菱第2ドックハウス」 の近くまで、運んでくれました。
ほんと、これが無かったら大変でした。なにしろ、この高さです!
「旧ウォーカー住宅」 ↑ です。
英国の船長で、三菱系列及び日本郵船に勤務したロバート・ネール・ウォーカーの、
次男、ロバート・ウォーカー・ジュニアが大正時代から亡くなるまで住んでいました。
この家は、明治の中期に大浦天主堂の隣に建てられたもので、
屋根から突き出た庇など、細部に日本趣味が繁栄されています。
また、ロバート・ネール・ウォーカーの兄、ウィルソンは郵便汽船三菱の
監督船長に抜擢されています。
その後、横浜でグラバー氏と共に「ジャパン・ブルワリ・カンパニー
(キリン麦酒の前身)」 を設立しました。
ウォーカー一族は、日本の海運業などの発展に大変貢献したのですね。
「旧自由亭」です↑。我国初めての西洋料理店の三度目の屋号が「自由亭」 です。
初めは「良林亭」
始めたのは、「草野丈吉」 です。
出島オランダ商館内で「草野丈吉」 は西洋料理を見習い、オランダ軍艦の
コックとなり技術を習得しました。
かつては、亀山社中の近くに店を開いたこともあり、
ひょっとしたら、新しいものの好きな龍馬のこと、
自由亭で、西洋料理に舌鼓を打ったかもしれませんね。