kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

三十三間堂 2

2016-03-07 15:33:47 | 京都

 

3月3日に行った、三十三間堂の 「春桃会・もものほうえ」

 

 

 

 

ここは、初春の通し矢で有名な所…

と、コメント頂きました、ありがとうございます

 

この門をくぐり、左に行きますと

 

 

 

ここが、行われるところです

 

通し矢

昔は本堂の廊下、全長約122m、廊下の幅約2.4m

その空間を射通してました


現在は成人を祝う 「大的大会・おおまとだいかい」 として行われていますが

三十三間堂の廊下ではなく西側の庭で行われており、

弓道の遠的競技と同じ60mで実施されています。

 

ルールは制限時間2分で2本を射て、2本とも的に当たれば予選通過、

決勝は外した者が脱落していき、最後まで的中した選手が優勝となる。


女性が着物に袴姿で矢を射る光景を見ると、

ああ、私も通し矢してみたいなあ~と思います


参加資格が、弓道初段以上で、新成人


はい!アウト!

初めっから分かってますけど…

 

 

 

境内には、いろんな花が咲いていました

 

悲しいかな、名前が分からないのですが…

どなたか、教えて頂ければ幸いです

 

 

これは立札がありました 「河津桜」

 

椿、

と大雑把には分かるのですが…

 

こういう花なのか、枯れてきてるのか?

 

 

通し矢場に入る門の横にあったのですが、

大きな木でした

やっぱり桜の仲間でしょうか?

 

 

 

紅梅

 

 

白梅

 

 

しまそだちさんの所で見た金縷梅(まんさく)に似てるけど、こんな枯葉は

なかったですよね?

 

 

ボケの花?

 

 

馬酔木?

 

餅花(笑)

 

春でした

 

 

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真田丸船賃六文波枕 七

2016-03-07 11:49:06 | 真田丸

 

真田丸

 

生き残るためなら相手を欺き、味方をも欺く…

 

そんな真田昌幸(草刈正雄)は、もうサバイバルだけではなかった

 

だれの傘下にも入らない

 

元武田の家臣であった国衆たちを束ね独立した国の大名になろうと

 

考え始めた

 

 

そりゃ、北条、上杉、徳川という大大名と同等のように渡り、

 

悔しい思いを何度もした昌幸ですから

 

当然かもしれません

 

先を見越した調略が功を奏して、信濃から北条と上杉を追い帰し、家康から

 

諏訪、甲斐、沼田を真田の領地とする約束を取り付けたのですが、

 

相手も黙ってはいませんでした

 

北条が徳川と手を組むという大どんでん返し策に打って出たので

 

信濃と上野を返す羽目になり、昌幸の考えは大誤算となってしまったのです

 

そんな中でも

 

” 人の命を損なわず勝つ ” 

 

そんな父の考えの深さに、二人の息子はまた父を尊敬するようになった

 

といういい事もありました

 

 

 

ここで、ちょっと先走りになるのですが、この先、

 

「 大坂の陣 」が起こり、真田は豊臣側として戦いますが、

 

そのことの起こりが、あの

 

『 国家安康 』 の文字

 

豊臣秀吉が京都に建立し、秀頼が再建した京都の方広寺の大釣鐘ですが

 

そこに刻まれた鐘銘の中の、この四文字小さな小さな四文字

 

これをを徳川方は

 

「国家安康」は「家康」を真っ二つにしている

 

と、云わばいちゃもんですよね~

 

関ヶ原の合戦で天下をとったものの、豊臣の力はまだまだ

衰えてはいなかったので、何とか根絶やしにしようと

徳川方の仕組んだ策略だったのです

 

とこれは皆さん熟知の歴史のひとくだりですが

 

先日、方広寺に行ってきました

 

 「 君臣豊楽 」 「 国家安康 」

 これがね~

 

私だったら、 

「家康さんが身を砕いてまで国の安穏を叶えて下さった…」

と、

 

そう甘くはないと、はい

 

 

 

 天井は極彩色の格天井で、

(撮ったままでは、天女がひっくり返るので、写真をひっくり返しました)

 

ここで、編集させていただきます

コメントに上の写真が逆で違和感があると頂きました。

上に書いた通り、天女が撮ったままではひっくり返るので

わざと写真を逆に回し載せてみました

それでは、

この下に、ありのままの~♪

写真の向きで載せてみます

で、お好きな方をご覧頂けたら幸いです

 

コメント頂きまして、ありがとうございました。

今後もまた、何かありましたら宜しくお願い致します。

 

 ↓ これが写真を撮った時のままの向きです。


この方が心地いいですか?

 

 82.7トンの釣鐘、撞木も、大きかったです

 

 

 鐘楼

 

 南大門

 

 この門は三十三間堂の南端にあります

この左側に、土塀が続いてるのですが、

「太閤塀」 と呼ばれています

昔はここから今の国立博物館を超えさらに今の方広寺の境内までという、

大変壮大なお寺でした。

 

三十三間堂の東側の道路

 

道路のどんつきの白い屋根が京都国立博物館で、それも含め

その向こう側の方広寺までが昔の境内でした

 

家康は当時、三十三間堂も抱え込んだ広大なお寺を造っていた事が分かりました

 

境内の周りの石垣、相当大きな石を積み上げています

 

 

随分飛んでしまいましたが、真田丸、来週は第十回「妙手」

 

真田はどんな、妙手を打って出るのか

 

大誤算の後ですから

 

是非とも、倍返しで

 

 

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