妙心寺の、雲水(禅宗の修行僧)
どこへ行っておられたのか、夕方お寺の外から帰ってこられた姿を
見かけることが出来ました
子供の頃、寒の入りになるとこの出で立ち(ほぼ)で歩いてこられたものです
数人まとまって来られますが程よい距離をおいて
頭にはあじろ傘をかぶって
足もとは、足袋は履いてない、裸足だった様に思います
『お~~~~~え、お~~~~~え』
という声に聞こえていたのですが、どうやらほんとは
『ほーーーーー(法)ほーーーーー(法)』
らしいです
自分の家の前を通られるのを見計らって、小銭を持って待ちます
そして、アイコンタクト
立ち止まって下さると、お互いにおじぎを
お坊さんは、首に下げた頭陀袋を両手でうやうやしく
お盆代わりのように、お布施(小銭です)を受け止められます
その目の前に広げられた頭陀袋は藍色の袋に白抜きで
「妙心寺…」
と書いてあったと思います
この袋ですがお坊さんは「看板袋」と呼ばれているそうです
お坊さんと向き合っている時はドキドキするのであまり詳しく覚えてないのですが
少し、お経を唱えられ、再びおじぎをして立ち去れます
最近は、雲水の成りすましがあるらしいですが
見分け方は
頭陀袋にはお寺の名前が入っている
入ってない場合は「僧林同盟」から出ている証明書を持っていること
雲水自ら、各家の玄関に立ち止まり托鉢することはない
また、通りにじっと立って托鉢することもない
数人で行に出る
という点だそうです
法堂(重要文化財)
明暦2年(1656)建造で重要な儀式の行われるところです
天井には狩野探幽の「雲龍図」があります
今まで見た雲龍図の中で一番大きかったです
妙心寺鐘(黄鐘調鐘)が納められています
もう吊り下げず台の上に置いてあり、鐘の音は録音されたものを
流していました
黄鐘調鐘 (妙心寺鐘) (国宝)
文武天皇2年(698)
今は、この鐘楼にはなく、隣の法堂に納められています
この鐘は、徒然草にある 「およそ鐘のこえは黄鐘調なるべし…
浄金剛院の鐘の声また黄鐘調」 の鐘でして、
もとは浄金剛院にあったものです
仏殿
三門
浴室(明智風呂) (重要文化財)
天正15年(1587) 密宗和尚が明智光秀の菩提を弔うため創建しました
浴槽(蒸し風呂)、洗い場、休息室、竃室があります
北総門から南総門へ抜けようとしてますが広くてなかなか着きませんでした。
またお坊さんの会いました
今度は修行中ではなく、何かの行事があったような
土塀に白線が五本入っていますが、門跡寺院だという印です
南総門
京都の花園にいた頃はよく見た門です
妙心寺の北側と南側ではかなり離れていて、私は
北総門は見慣れてないのです
拝観するのも初めてでした
まだまだ知らないお寺がいっぱいです
妙心寺近辺に、
こんなおうちを見ました
そう言えば、この辺りの地名は「花園」 でした