kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

蒲団(布団)

2017-02-25 00:55:18 | 歴史

 

 

蒲団着て寝たる姿や東山   服部嵐雪

 

京都は三方を山で囲まれ、特に東山三十六峰はなだらかな山並みです。

 

一番北にある一番高い「比叡山」から南へと続きます。

 

その比叡山を寝ている人の頭と見立て詠まれた俳句は、子供の心にも訴えてきました。

 

子供の頃、有名だったと思います。

 

嵐雪は、江戸時代の人

 

淡路の武家の出で、芭蕉はお弟子さんである嵐雪を、高く評価していたそうです。

 

あ、実は「蒲団(布団)」の事なんですけどね。

 

昨年私は、蒲団(布団)が冬の季語だとは知りませんでした。

 

それで、季重なりの句を詠んでしまいました。

 

カメムシや布団干したる今日の悔い

 

この句詠んだのも、悔い。

 

 

さてこの蒲団は?  ↓

座蒲団が直虎さんの部屋にも置いてありました。

 

この原料は?

 

 蒲団の起源があって、 

 

「蒲団(ふとん)」とは、かつてはガマ(蒲)の葉で編んでつくった座禅用の丸い敷物。


鎌倉時代に中国から、禅宗と一緒に伝えられました。


座布団から始まっているのですね。


私たちがイメージするようないわゆる柔らかい綿入りのふとんが


庶民一般に普及し始めたのは昭和以降。

 

それまでは、綿布団はごく一部の富裕層しか買えない高級品でした。 

 

 

「むしろの画像」の画像検索結果

莚(むしろ)

 

かつては、むしろを掛けたり、小屋に積んだ藁(わら)にもぐって寝たそうです。

 

そう言えば、何回か前の「おんな城主直虎」の中で、

 

ムロツヨシさん演じる、村人?が、藁を積んだ中に入り込んで寝ていた、あれですね♪

 

 綿の原料はと言うと、

 

 初めて日本に木綿の種子がもたらされたのは、延暦18年(799)の頃、

 

平安時代の初めですね。


しかし最初の栽培はうまくいきませんでした。


ついで栽培の行われたのは室町末期の戦国時代。

 

栽培に成功し、京都へ持ち込まれます。


戦国時代に木綿の栽培が成功して、日本の各地に拡がりました。

 

しかし、日常使いとしてよりも戦のための物でした。


武具や陣幕、旗の他に、火縄銃の火縄の材料として重要とされていたのです。  

 

そんなこんなで、昭和時代以降にようやく、ふとんは庶民にまで普及し始めました。

 

エッ、そんなに最近? と思いませんか?

 

  

思えば、祖母や母は綿を打ち直し、また蒲団に仕立て直していた事が有りました。

 

綿は高級なものだったのですね。

 

「蒲団」 が冬の季語だという事、ガッテンガッテン!

 

冬以外は、貴重品の布団は使わなかったのかもしれませんね。

 

今は、羽毛布団の消費もドンドン伸びているのではないかと?

 

鳥さん、酉年なのに、ごめんなさい…

 

大切に使わないと。

 

 

コメント (4)