「慶雲館」
と言っても、
ん?
かもしれませんが、
「長浜盆梅展」
というと、ああはいはい!
と納得して頂けるのではないでしょうか。
庭の中にある門
慶雲館は明治時代、天皇の行幸を受けて
長浜の豪商・浅見又蔵氏が私財を投じて建設した長浜にある迎賓館です。
『慶雲館』と命名したのは、時の内閣総理大臣伊藤博文です。
本館
お庭の手入れに余念のない係りの方
表の門
池泉回遊式庭園
大きな岩がいくつも据えられています。
昔は、この庭の向こうに琵琶湖が臨め、長浜港が近くにありましたが、
今は、埋立が進んで、見えなくなりました。
慶雲館の外塀の端の方に石碑が建っています。
大坂城の近くも、江戸城も、長浜城も周囲は埋め立てていったのですね。
庭に戻りまして、
手水鉢
とても大きなものでした。
こちらもとても大きいのですが、
ひとつは力士像、 明治時代後期の大横綱、
「常陸山谷右衛門」
このお相撲さんが活躍していた頃は角界の黄金期だったそうです。
常陸山は、教養人だったこともあり「角聖」と呼ばれました。
ここの主だった浅見又蔵さんが、好きなお相撲さんだったらしいですよ♪
もうひとつは 「松尾芭蕉」 の句碑です。
蓬莱にきかはや伊勢の初便り はせを
「はせを」 は芭蕉さんのことだそうです。
芭蕉のふりがな…?
明治後期に建てられたもので、高さ5m、重さ10t、日本最大とか。
こちらのお庭は巨岩が多いですね~!
本館は、明治ロマンとでも言うのでしょうか、洗練された部屋ばかり。
ちょっと変わった掛け軸
近寄りますと、
更に、
” そないに寿祢すと(そないにすねずと)
こちむか者ん勢(こちむかはんせ)
あしなはな志か(あじなはなしが)
有るわいな(あるわいな) ”
牧雲老衲戯写(ぼくうんろうのうぎしゃ)
とは、
塩澤大定
晩年は京都南禅寺の管長を務める
牧雲は号
老衲(ろうのう)は年を取った僧の自称
この掛け軸の歌、都々逸ですか?
” 逢うて別れて 別れて逢うて
末は野の風 秋の風
一期一会の 別れかな ” (井伊直弼)
たかさん…かな?
脱線しました
こんなに上等でも、大きい物でもなかったですけど、
同じタイプの階段の手すりが実家にありまして、
口答えばかりする私を父は、ここに括りつけました。
あとは、
どうなったか?
多分、すぐほどいてもらったのだと思います
おばあちゃんは、私の強い味方でしたから(*^^)v
慶雲館はとても静かで、趣がありました。
日本家屋はほんとにいいですね。
永く残りますように…