第21回 「ぬしの名は」
舞台は「気賀」へと移りましたね。
先日、「気賀」にも行ってまいりました。
「おんな城主直虎」 このドラマゆかりの地がほとんど、
天竜浜名湖鉄道の「気賀駅」の四方八方にある事を知りました。
2017年5月、気賀の町は奥浜名湖の北側や、浜名湖に注ぐ「都田(ミヤコダ)川」に沿って
拡がっていました。
都田川~みをつくし橋
(この橋の近くに、大河ドラマ館がありました)
この川も戦国時代には、戦の舞台となっていて、
「堀川城址」があるのですが、徳川家康の遠州侵略を防ごうと、
気賀の人達が最後までここで戦ったと伝わります。
みをつくし橋(赤い橋)より右が下流で、浜名湖舘山寺温泉へ
左が上流で鳶ノ巣山を源として、「川名川」や「井伊谷川」が合流し、都田川となります。
気賀・みをつくし直虎桟橋
遊覧船は、ここより浜名湖に向かい舘山寺温泉に至ります。
直虎ちゃんのイラストが♪
「みをつくし橋」はサイクリングロードの一部です。
細江町の町章の「みをつくし」が、輝いてます。
「みをつくし」 とは 「澪標」 そして「水脈(ミヲ)つ串」
港に近い川や湖などの水深のある部分を示すため、
この杭を並べて立て、船を安全な深い水路へ導きました。
そう言えば、水の都大阪もこのマークだったのでは?
「身を尽くし」と掛けて、万葉集などでも詠われました。
みをつくし心尽して思へかもここにももとな夢(イメ)にし見ゆる
作者不詳
遠近引佐細江のみをつくし我を頼めてあさましものを
(とほつあふみいなさほそえのみをつくしあれをたのめてあさましものを)
作者未詳
浜松市の引佐(いなさ)、細江、この辺りの地名です。
ほんとに気賀は話題に事欠かないんです。
「気賀関所」 「気賀宿」もあります。
当然、「おんな城主直虎」 大河ドラマ館も。
私はJR浜松駅から、こんな1Dayパスを利用して気賀に来て、それから
直虎ゆかりの所をスタスタと、あるいはトボトボと歩いたり、鉄道を使ったり
気賀への途中、 とても気になったものがありました。
バスから景色を見ていますと何度も、「姫街道」 の標識がありました。
「本坂(ホンザカ)街道」 が元々の名前のようですが…
古い街道の松並木の名残りらしい松が、途切れながらも続きました。
その幹は大変太く、程よく、くねっていて趣のあるものでした。
あ~、昔の街道の雰囲気あるな~、と本物みた事もないくせに(^_^;)
1時間バスに揺られてようやく気賀に着きました。
この「本坂街道」、先史時代から本坂峠を越える浜名湖北側の道として存在してました。
中世には地震などで浜名湖の南側が通れなくて、代用として利用が増えたり、
近世には「東海道」が浜名湖の南側を通り栄えたので
姫街道(本坂街道)は廃れたりと、浮き沈みが激しかったみたいですね。
結局、東海道のサブ的な役割を担ってきたのですね。
今で言う、「バイパス」ですか?
この浜名湖ですが、元々淡水湖だったのですが、明応大地震により遠州灘の橋本が決壊して
海と繋がり、汽水湖となったのです。
それにより、水産物が豊かになりました。
浜名湖の北側にある天竜浜名湖鉄道「気賀駅」
天竜浜名湖線、プラットホーム
駅舎と共に国の登録有形文化財です。
フェンスもなく、危ないけれどいい感じです。
あ、でも、線路内でなくて、踏切りの外にちゃんと出てから撮りましたよ、
ほんとなんですから~
井伊直虎ブームで、駅舎も「赤備え」です♪
隣のラーメン屋さんも、ポストも…
この 気賀駅から
大河ドラマ館→気賀関所→→龍潭寺→井伊谷宮→井伊共保出生の井戸→→
妙雲寺→渭伊(イイ)神社→天白磐座(イワクラ)遺跡→→浜松市地域遺産センター
→→天竜浜名湖鉄道・金指駅→遠州鉄道・西鹿島駅→JR浜松駅
こんな段取りで周りました。
ずい分のらくらした出だしですが、これからひとつひとつ思い出しながら
辿りたいと思います、どうぞよろしくお願いいたします。