第32回 復活の火
直虎の書いた一通の手紙は、傑山により徳川家康の手元に届いた
” *井伊はまだ取り潰されていない
*虎松の首と偽り、どこの誰とも分からない幼子の首を差し出した
*今川の直轄になると見せかけ、徳川が攻めて来たら徳川に城を明け渡す
*その後、徳川方として井伊は挙兵し関口の首をあげ、徳川に差し出し、
徳川のもとで再興し、蘇る ”
この様な計画をしている直虎に、家康は興味を持ち、
一度会いたいとまで言ってくれた、
そんな返事を持って傑山は龍潭寺に帰って来た
しばらく連絡の取れていなかった直虎と政次
久しぶりに碁盤をはさみ、話し合う
もう井伊が今川にも振り回されず、復活できると、
安堵の気持ちも久しぶりに味わっていただろう
直虎は政次に井伊の城主に留まってもかまわぬ、と言うと
政次は、直虎のような城主は日の本のどこにもいない、
殿を降りる道など、もはや許されませぬ、と
暗い部屋からぬれ縁に碁盤を移し、ふたりは穏やかに月を見る
『もうじき陽の光のもとで、打てるようになるのう』
戦乱の中、束の間の安らぎの時間が流れていた
きっと、このまま、井伊は徳川のもとで蘇るのだろう
と思いきや、近藤康用(ヤスモチ)が家康に告げた言葉に事態は変わった
あの、近藤~です!
井伊の山から木が盗まれた時、同じく近藤の山の木も盗まれた
そんなことがありましたよね
犯人は龍雲丸でしたが…
そんなこんなで、近藤は井伊に恨みを抱いたままだったのですね
話を戻します
徳川と折り合いがついていると信じ、
城門の向こうから迎え出ようとした政次に矢が!
近藤、菅沼、鈴木、(後の井伊谷三人衆)
によって、政次は罠にはめられた
『但馬、罠じゃ、門を閉めよ!』
政次は、上手く逃げることが出来るのか?
今まで、耐えて耐えて、嫌われ者を演じてきた政次だが、
それもこれも、井伊のため、如いては直虎のため
きっと、すべて直虎のためだったと思う
ここで、どうしても避けて通れない史実とされている政次の最期を書きます
” 城主だった直虎を失脚させて井伊谷城を専横した政次は
、その34日後に徳川家康の軍勢に攻め込まれると山中に逃亡し、捕えられて
処刑されたという
今、お墓は井伊谷川にかかる北岡橋付近にあり、ここは当時の
蟹淵刑場にあたる ”
確かに、龍潭寺には政次のお墓はありませんでした
弟の小野玄蕃のお墓はあったのですよ
間もなく、ドラマから政次はいなくなる…
これは、受け入れがたいですがほんとみたい
そんな~~
でも、政次悪者説に異論を唱える学者さんもおられるとのこと
井伊谷を専横は出来なかったと思われるとか、その他にも
徳川氏などの大義名分のため、政次を悪者にしたて
「井伊谷伝記」はかかれている、というもの
どうせなら、そちらを信じたいですね
ですからやっぱり、
おんな城主直虎のシナリオを見つめて行きたいと思います
永禄11年12月13日、
井伊谷の目付の三人を水先案内に徳川が井伊谷城に来たのと同じくして
奇しくも、今川館は武田に攻められ、焼け落ちました