第31回 虎松の首
政次は刃を直虎の首にあてて、俺を信じろ、おとわ…
そう言われ、直虎は信じましたが、
それは徳政令を受け入れ、井伊がお取りつぶしになることでした
ひとまず井伊の隠し里に虎松はじめ、皆を逃がします
ところが、政次が、虎松の首を改めに来るようにと、まさか!
その柩に入った虎松の首と称するものは、厚化粧で、
一体誰の首なのか分からない状態でした
その事をまず、関口の家来が指摘しますと、
政次は、虎松は疱瘡にかかっていたので、かようにするのが礼儀かと、と
関口に言います
それを聞いた直虎と、南渓和尚は、事の顛末を察したのでしょう
政次の真実を見てとったのでしょう
直虎は、首に頬を寄せ抱きしめ、お経を上げはじめました
それに続き、南渓和尚も
虎松が、助かった
それだけではなかったと思います
どこの誰ともわからない幼い子の命が失われたのです
その子にとっては浮かぶ瀬もないこと
政次も耐えられないほど、苦しんだことと思います
短刀で幼子の命を奪った時、
さすがに政次の家来も驚いたが、政次は、
『関口殿もいなくなり、名実共に井伊が小野のものとなる、悲願じゃ』
『 地獄へは俺が行く 』
政次の顔を伝っていったのは、雨なのか、涙なのか
こうまでしてでも政次は井伊を守り、直虎を守りたかったのですね
しかし、どれほど辛かったことか
こんな政次に温かく接してくれたのが、年端もいかない、なつの長男の小野亥之助
『かけがえのない友を、かたじけのうございます』
龍潭寺で、共に学ぶ間柄ですものね
二人とも、父の顔も知らず育った者同士ですものね
虎松の首のことで事実を聞かされ、叔父政次の本心を理解した亥之助
この場面、じ~んときました
さて、
直虎が徳政令を出すことを同意した証しの書状を書く場面がありました
それには、直虎の「花押」が入っています
直虎の花押の入った書状は、ただひとつ、だそうです
ということは、
井伊直虎・関口氏経連署状
永禄11年(1568)11月9日付 蜂前神社文書
これは5月に行った「浜松地域遺産センター」に展示されていたものです
実際は、蜂前神社が所蔵するもので、これは?
本物かどうか、確認できなかったのですが
美しく力強い文字ですね、かっこいいですね花押って♪
本来、花押は男性しか使わなかったと言いますから、
一通しかないのも、うなずけます
以前徳政令を出されてから、二年目、結局出さねばならなかったのですね…
さて、これからが、大きな策略を実行する時ですね
真田丸の時も策略だらけでした。
生きるか死ぬかしかない戦国の世を渡るには、
策略でも、調略でも、謀略でも、進むしかない
今、城を追われたおんな城主直虎は、如何に石を進めるのか
龍潭寺で碁を打ちながら政次と策を練る事も出来ず…
ただ、虎松を大将とし、大将が生きることで井伊谷の皆が
生きる力をつけることが出来る、
それを信じて、直虎は虎松を守り育てることに命をかけるしかない
竜宮小僧は、出て来てくれるのか?
今夜のお話は、如何に
ではまた