kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

井伊谷のパワースポット、巨岩遺跡

2017-12-08 15:48:08 | おんな城主直虎

 

 

初夏の頃、ひとり旅で浜松に行ったのは、

ドラマおんな城主直虎の舞台となる所を見たかったからです 

 

龍潭寺から歩いてほぼ30分、ここは井伊谷にある「渭伊神社」

井伊家の氏神として信仰されました

 

 

ここの裏手の小高い丘に「天白磐座遺跡」 (てんぱくいわくらいせき)があります

 

古代より神聖なパワースポットとして崇められてきた所です

 

 

古墳時代から平安時代中期まで、

この巨岩を神として祭祀が行われていました

 

 天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせき)

  

 

シーンと静まり返った巨岩の丘はほんとに、霊気を感じてもおかしくない所でした

でも、私には何も降りて来なかった…

 

おとわ、鶴丸、亀之丞と呼ばれていた頃、

三人はよく連れ立って遊んでいましたがそんな時、

大きな岩場が出て来ていましたね

ここかな?

 

また、最近のドラマの回でも、井伊谷のそばに巨岩が見受けられます

井伊谷は、巨岩が多かったのかもしれませんね

 

タモリさんに聞いてみたい♪

 

宗良親王(むねよし・むねなが)の墓から井伊谷宮へも行きました

 

 

龍潭寺のお墓から少し歩いたところに宗良親王のお墓があります

 

この方は、南北朝時代の後醍醐天皇の皇子で、

歌人としても知られた南朝方の武将

井伊氏に迎えられ戦いましたが、北朝方に敗れています

一度は衰退しましたが、井伊直平の代に勢力を盛り返しました

 

井伊直平・なおひら」 この方おとわのおじじさまですよね

前田吟さん演ずるところのおとわの曽祖父ですね

 

おじじさま、優れた方だったのですね、

井伊家の隠れ里、川名を思い出します

川名では、おとわにも色々なことが起こりました

 

宗良親王の墓は京都の方を向いています 

この宗良親王を祭神として祀るのが、お墓の横に鎮座する

井伊谷宮です

明治5年(1872) 最後の彦根藩主、井伊直憲(なおのり)が

明治天皇の勅命を受け造営しました

この辺りはすべて、龍潭寺の敷地です

 

井伊谷宮

 

井伊谷宮・本殿

 

井伊社:井伊道政とその子、髙顕(たかあき)を祀る

 

井の国 水みくじ

ひいてみるなんて、めったにないことです、私には

水につけますと、文字が浮かぶ、に魅かれました(^_^;)

 

末吉?分かりにく~(ーー゛)

 何が出たかと読めば、更にわかりにくい

 

 

叶うのかあ~い、叶わへんのかあ~い

 

自力なのね…

 

この辺りは木々が生い茂り、おとわ、鶴、亀ちゃん達には恰好の遊び場だったでしょうね

 

そんな幼なじみにひとり残されたおとわ、

竜宮小僧になって支えてあげようと思った人すでになく、

これからの良き相談相手、碁の相手も、

心のよりどころだったろうに…

かしらの、龍雲丸も離れて行った…寂しいね

 

今日放送だったあさイチ、政次処刑の場面を見てまた

でした

最終回がおもいやられる…

 

 

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井伊家始祖ゆかりの井戸(浜松)

2017-12-08 12:54:44 | おんな城主直虎

 

 

浜松市気賀で見学した、ドラマ館 ↕

 

井伊の井戸のある森に佇む小野政次

 

大河ドラマおんな城主直虎、

言うまでもなく 「井伊家」 のお話ですが、

この井伊という名前はいつごろからあったのかと思いました

 

 

さあ、日本人のおなまえッ!とでも

 

 先ずは単漢字の持つ意味を、

 

渭(い):ゆく、流れゆく。 渭水という名前の川が中国にある(黄河の支流)

京都の賀茂川も渭水の別名あり

 

井: 井戸のこと、人の集まるところ


伊: 杖を持ち、神を呼び寄せる人、すなわち聖職者を意味する

ゆえに、

☆ 水のある所にリーダーがいて、人々が集まってきた

というようなことになりますか

 

そして、井伊家ですが、

 

奈良時代  713年(和銅6) 

 

昔は「渭郷」という名前で出ています(^^♪

それを「渭伊郷」と改めたそうです

渭伊を→井伊と書く様になりました

 

この頃から井伊の名が歴史に刻まれているようです 

 

平安時代  1010(寛弘5)

 

井伊氏祖共保公が、八幡宮の御手洗井の中より出生した

と、あります

この伝説の赤ちゃんが井伊共保公で、井伊家の元祖登場です


1032(万寿9)


井伊共保、井伊谷城を築城 遠江を治める


今、井伊谷城跡は城山公園として整備されているそうですが…


今年の春、浜松市地域遺産センターの方が、”上まで登るの、きついかな~”

とおっしゃったので、時間も押してるし、登るのをやめました

今思うに、無理してでも登っといたらよかったわ~

でもほんとに急勾配の山道みたいです


この地域遺産センターの後方の山の頂に、「井伊谷城跡」があるのだと思います



1093(寛治7)

井伊共保、84歳で没、八幡山地蔵寺(今の龍潭寺)に葬る



井伊の井戸から生まれた、或いは井戸の側で泣いていた赤ん坊

そんな伝説の残る、その井戸の今の姿は、

 


 

龍潭寺前の車道を渡り、細い脇道を入ると田畑がばあっと広がっていました

この田畑の真ん中に井戸は有りました


立派な白壁の塀、門構え

二本の松の木


門の奥のこんもりした木は井伊家の家紋にもある 「橘」


古りた石の囲いが過ぎた時間を物語っているようで…



まだ水は涸れてはいないような

一部新しく補修されていますが、底の方は昔の石垣のままか…


 

現在は静岡県浜松市北区引佐(イナサ)町井伊谷、

ここの皆さんに、代々大切に守られてきたのがよく分かります


井伊共保出生の井戸

ふりかえれば、なにか迷うことあれば、


ご先祖様はここから~?


迷っている、ではなく酩酊ですか、南渓和尚(^_^;)


直虎は、何度もここに来て亡くなった者のために観音経をあげてましたね

うっぷん晴らしも多かったけど

あ、般若湯も飲んでた…



 

この右の橘の木、直親の象徴でしたね

政次はたしか、直親に何かを報告していました

なんでしたっけ?

直虎が気賀の城主になったことかな?

この時は珍しく、笑顔でした♪

 

万千代、万福は、あなたの教えをしかと携え、

井伊をつないでいってくれてますよ、政次さん

  


皆、手を合わせ拝んだり、何やらブツブツとつぶやいたり、

大声で怒鳴ったり、それぞれの心のよりどころになっていましたね


そして、最近では



万千代も身なりを整え殊勝な顔して、いつでしたっけ?

一万石を殿より賜った時でしたか

ま、あとでおとわと口げんかしてましたけどね


その後、二万石を賜るという知らせが、井伊谷、龍潭寺にも届きました


織田信長とも対峙した万千代、万福

大きな刺激を受けたことと思います 

戦国の世を生き抜くすべの、またひとつの形を見たことでしょう

 

今に伝わる歴史に、はっきりと印されている

徳川四天王のひとり、井伊直政となっていきます

 

直虎は、ある時は前に出て、万千代を促し、

またある時は、そっと傍から見つめる

いずれ、子供は親を越えて行きます

関われる時も、あとわずか…

 

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」


果して、どんな風に、どこまで描かれるのか、

想像が付きません、だからこそとても興味深いです♪

 

あと、10日と17日の、2回

 

楽しみに待ちます

 

追伸:井伊谷の井戸には井伊直弼の和歌を刻んだ歌碑がありました

浜松へ来た折に詠んだ歌だとか

 

 

王き以徒る岩井の水能そこ清しくもり那き世乃影そ見えつゝ

(わきいつるいわいのみずのそこきよしくもりなきよのかげそみえつつ)

(間違っていたらごめんなさい)

 

この頃は徳川の世の安泰が続いていたのでしょうね

 

 

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