kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

直虎が竜宮小僧になる時四十八

2017-12-10 17:01:56 | おんな城主直虎

 

 第48回 信長、浜松来たいってよ

 

 

 

 

 

駿河をもらって、盛り上がってる宴会の最中、

お酒に弱そうな万千代は、我を失って大口叩いてましたが

 

信長、浜松来たいってよ!

 

そりゃあ皆、酔いもいっぺんに醒めたでしょうね

 

「我々はいささかの粗相もなく、織田様をおもてなしせねばならぬという事じゃ」

 

の、殿の言葉におもてなし大プロジェクトが始まりました

 

驚いたのは、川をせき止めるため、大男が川に入り込み関となった

六左も川に座り込んでいましたが、どれだけの人が要ったことか!

こんなこと出来たのでしょうかね~

 

道を広げもしました

 

宿舎とした富士本宮浅間大社は金銀で飾りつけ、

葡萄酒も、最高のお料理も用意され、

もっぱら椅子を使う信長のため、椅子も用意された

 

 

 

相撲の好きな信長のため、美丈夫が集められたという、

美丈夫とは、美しく立派な男

その中に中野直之も、おりました(*_*;

 

この祝の席には、信長曰く、

祝いの席にぴったりの男ではないか

そのぴったりは今川氏真、いますね、赤い装束で↑

 

 

戦国時代の天覧相撲

 

 

 

そなたの真心いたみいった、弟よ、これからも頼むぞ

 

そんな言葉を残して信長はご機嫌で帰ったし、米八千俵を賜った

と、ここまでは良かった

 

まずはやれやれと胸をなでおろすも束の間、

お礼に、安土へ家康と側近の者を招待したいとの知らせが入った

 

結局、浜松へ来たいと行った時から、徳川をなきものにする算段が

信長の頭の中に出来上がっていた、ということなのですね

 

万千代が言うように八千俵の米をもらっても、五千貫文の費用を使うようでは

さらに、この策略

 

家康は、考えました

そして、思い浮かんだのが瀬名の言葉

 

「出る時には出なければ、好機はつかめませぬ」

 

家康の心は決まり、皆に告げようとした時、

酒井忠次が、口火を切りましたね

 

本多忠勝も、榊原康政も、石川数正も、異論を唱えるものなどありません

 

殿の気持ちを忖度した、そんなものよりもっと熱い心でした

 

したる面々、命がけで安土城へ行くとひとつ返事で承諾です

 

 

この間に、もうひとつ、動き出した策略、

明智光秀は、

 

あの血も涙もない織田信長を殺す!

 

 

陰で、光秀は今川氏真を引き込んでいたとは

 

光秀の息子、自然君

小さな子にこんな努め、

訳もわからないままに、どれだけ心細く辛いことだったでしょうね

おとわの言葉に、緊張もほぐれ泣きだした、自然君

 

 

胸に飛び込んできた自然君におとわも、よう耐えたのうと

 

おとわは、覚悟を決めたことがありました

「これは定め、直親も虎松もよその寺に守ってもらった

こたびは私たちが」

と、井伊谷に迷い込んできたこの子を見守ったのでした

また、梅さんの観察力がすごかったですね、この子は相当な武士の子と読みました

 

この子の父、明智光秀の行く末は、もうドラマとはいえ変わらないでしょう

あの本能寺の出来事のあと、

この子はどうなるのか、

ただただ生きながらえてくれることを願うばかりです

 

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織田信長の肖像画

 

イエズス会宣教師ジョバンニ・ニコラオ画、それを写真に撮ったもの 

 

怖いと言えば怖い顔かな

 

この石碑は京都市中京区に立っています

現在本能寺のある寺町三条辺りから、ずっと西の方角です

もとは、ここに本能寺があり、本能寺の変が起きた所です

現在寺のある場所へは豊臣秀吉が移築しました 

 

この漢字で「能」ですが、

 

 

当時、何度も火災でお寺が焼けたもので、それは「能」の中に「ヒ」の文字が二つもあるのが

いけないんだ、火が去る様に、ということで変えたそうです

漢字字典に出て来ます?

今は、ほとんどの表示が「能」ですね

でもこのあまり見ない字の方が当時はポピュラーだったそうです

 

さて、今日の放送は、”本能寺が変”

 

確かにこのドラマ、何が起きるやもしれません

今まで知ってる本能寺の変とは、ちょっと変な具合になるかも

 

市川海老蔵さんの信長、いいですね♪

 

怖そうで、優しそうで、淋しそうで…

 

 

是非に非ず


 

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