☆TV視聴率ランキング ( 1月25日~31日 )
NHK大河「龍馬伝」 は 今回残念ながら一位ではなく二位(24.0%)
4回連続一位とはいきませんでした。
その一位を奪った番組は 「秘密のケンミンショー」(24.2%) でした。
0.1%の差 (*_*;
さて、我が粟粒のような 「龍馬点⑧」
今日はまた河原町界隈や、木屋町、高瀬川沿いに戻らせて頂きます。
「池田屋騒動の跡」 の碑
京都市中京区三条通木屋町西入る北側
元治元年(1864)六月 三条小橋の旅籠池田屋に集まった長州藩士らが
新撰組の襲撃を受け、多数の死傷者と逮捕者を出した
幕末史に残る大事件です。
事件の発端は、当時倒幕派に場所を提供していた
商人枡屋喜右衛門(古高俊太郎)が新撰組に逮捕されたことから、
古高俊太郎を奪還しようと池田屋で会合をもったからでした。
池田屋事件をきっかけに、翌七月、蛤御門の変(禁門の変)が
起きました。
現在は、石碑が残るだけですが、その跡地には、
今、写真の様な居酒屋さんが、出来ていました。その名も「池田屋」 (^_^;)
そう言えば、近江屋騒動跡地付近には、「龍馬」というお店もありました。
ひょっとしたら、山口(長州)や高知(土佐)出身のサラリーマン志士達が
今夜も「維新」 を熱く語っているかも知れません。
2月2日、大阪梅田 「HEP FIVE」 8階 「HEP HALL」に
個展 「忌野清志郎の世界」 を見てきました。
チケットと入場記念に頂いた
バッジです。
すべて、ご本人の絵画です。
これから下はファンクラブ誌の表紙の写真です。
場外に展示してありました。 ↓
パンフレットです。 ↓
パンフレットです。 ↓
グッズ売り場で買ったファイルです。ご本人の絵です。↓
真っ赤な観覧車のあるビルで有名ですが、ビル内から
写しました。
乗りたかったけど、誰も乗ってないのであきらめました。(T_T) ↓
沢山の絵がありました。(場内撮影禁止でした)
絵本も出しておられたので、その原画があり、
絵本を持っている職場の同僚いわく、
『原画は迫力がある!』
いつも着ておられたあのカラフルな衣装を彷彿とさせる
カラフルな絵が多かったです。
あ、その衣装も何点か展示してありました。
ブーツもありましたが、ピンクや黄色のショートブーツに、
可愛いアップリケをしたもので、自作で世界にこれひとつだけ、
というものなんでしょうね。
また、娘さんが2人おられ、何枚か幼い頃の娘さんを描いたものがありました。
自転車のツーリングが好きだったとの事です。
愛用の自転車とヘルメットもありました。
そこに展示してあった自転車は、一度無くなったことがあり、
TVのニュースで大々的に報じられ、その次の日に戻った…。
というエピソードがあったものです。
サドルの下にはお守りが3つ程ぶらさげてありました。
所々キズのついた自転車とヘルメットを見て、
何とも言えない気分になりました。
大きな画面で、ライブのビデオが流されていました。
いすに座って5~6曲聞けました。
展示されていた衣装を着てのもありました。
お葬式にも参列した大ファンの同僚ですが、感無量だったようです…。
とても見ごたえのある素晴らしい個展でした。
この間、お雑煮で祝ったお正月は、もう遠くに行ってしまって、
今日は、早や「節分」 なんですね。
お魚コーナーには、「いわし」 がズラーッと並んでいます。
色々書いてありました。
大羽イワシ、金時イワシ、一塩イワシ、うるめ丸干し、めざし…、
「うるめ丸干し」 を一串買いました。サッとあぶって食べよう…、おいしそう~(^^♪
お菓子コーナーには、節分の豆のほか、色んな豆菓子が並んでいます。
「小袋入り・節分豆」 を買いました。袋ごと撒こう。
お寿司屋さんには、「恵方・巻き寿司」 がてんこ盛りです。スゴイッ\(◎o◎)/!
でも…?、恵方巻きをかぶりつく風習は昔から無くて、
なので、これは食べないんですよね。
節分の豆、袋入りは便利です。
豆まきのあと、スムーズに回収できます。(*^^)v
番外、「おにパン」 可愛いので買ってしまいました。(^_^;)
頭に黒ゴマ、つのがアーモンド、目は黒豆、鼻は金時豆、牙?は白豆、
中のあんは粒あんでした。ひとつ食べました。
あとひとつは、明日の楽しみになるか…?
今日の夜食か…?
もう明日は、立春。
♪ 春は名のみの 風の寒さよ…、
「早春賦」 ピッタリの歌です。
あと一曲、これもこの時期口ずさんでしまいます。
http://www.youtube.com/watch?v=_5snqF8M4c8
松山千春 「春の足音」 ↑
♪ 春の足音 ♪
頬をなぜた 冷たい風
それほどさびしいわけじゃないけど
若くないな… そんなことを
つぶやくなんて とてもおかしい
通りすぎた 想い出たちに
笑われぬよう 身がまえて
衿を立てた その指先で
白い雪が 舞い散る
足を止めて 手をさしのべ
落ちては溶けゆく雪を見つめ
ついてないな… そんなことを
つぶやくなんて とても悲しい
もどることは 出来ないことと
わかっていても つい振りかえる
知らず知らず 歩いた道を
白い雪が かき消す
ふり続け ふり続け
何もかも 埋めつくせ
誰ひとり 気付いちゃいない
短かい 春の足音
小学生だったか中学生だったか、「松山千春・歌詞集」 だけを見て、
メロディも顔も知らず、千春ファンになった方がありました。
ブログで知りました。
ご無沙汰しました。
今日は、龍馬の寓居跡を、
河原町三条下る辺りから少し東の「酢屋・すや」 は東側を流れる高瀬川によって運ばれた材木を商う材木屋でした。
慶応三年(1867) 海援隊の京都の屯所をここの二階に置き、
自らの宿舎ともしていました。
当時、高瀬川の川沿いには各藩の藩邸が立ち並び、各藩との折衝や
各地との連絡にも便利だったので、この「酢屋」 を宿舎としたのでした。
酢屋の主人、酢屋嘉兵衛は龍馬の活動に大変理解を示し、
援助に力を注いでいたそうです。
この頃、身に危険の迫っていた龍馬は住まいを何度か変えていましたが、
酢屋は最後の住まいとなったのでした。
現在二階はギャラリーとし、龍馬関連の資料も展示されています。
一階は、木で出来た小物や、置物や食器などを販売するお店になっています。
今は、お雛様がとても小さいのやら、変わった形のやらと、色々並んでいました。
そう言えば、間もなく雛祭りなんですね~
なお、材木商は京都市中京区千本三条辺りにて、営んでおられます。
「酢屋」では毎年11月15日に、「龍馬追悼展」 が行われて
いつもは見れない龍馬ゆかりの品々が展示されるそうです。
ここは、島津製作所が昭和50年(1975)に創業100年を迎えたのを記念し、開設されました。
建物は、島津の創業当時、住居、研究所として使われていた建物です。
そして、ここ「木屋町二条」 は創業の地であるとともに、京都府が明治の初め
産業諸施設を設立した近代科学発祥の地でもあります。
館内には、創業以来製造してきた理化学器械・X線装置・事業関連資料など
600点が展示されていました。
記憶継出器 : 記憶力を調べる。左のレバーを押して出てくる数字を
どれだけ記憶出来るかを調べる。就職試験、職業訓練などに使用。
国産最古の顕微鏡
マルチウス・マツドルフ氏絵 : 左眼で見た図形と右眼で見た図形を
並べたもの。立体に見える原理を示している。
ストロボ・スコープ : おどろき盤と呼び、映画の原理を示すもので、
円盤を回し外のすき間からのぞくと絵が動いて見える。
モールス氏電信機
足踏み式旋盤
パイプオルガン 電卵
記念館の屋根の上、写真を見た時、
「UFOが飛んでる。近代科学発祥地やからか?」
と思ったのですが、大きくしてよ~く見ましたら…、
電線に付いてる部品の様なものでした。 ザンネン((+_+))
館内には、外観からは想像できない位の展示品の数々がありました。