11月15日は坂本龍馬の命日。
京都河原町通三条から近い、「酢屋」 で「坂本龍馬追悼」 として、
酢屋の玄関先に祭壇が設けられていました。
かつて、龍馬や海援隊の面々の居た二階の部屋には、いつもの展示に加え、
「海援隊日記」 「異国船渡来記」 が展示されていました。
この二つは、昭和3年に酢屋が天井を修理しようとした時、
天井裏から見つかったそうです。
「海援隊日記」 は海援隊の人によって、龍馬の暗殺されたことや、
お葬式の様子、例えば、お葬式は神式で執り行うとかが記されています。
「異国船渡来記」 は、彦根藩の人に龍馬がもらったもので、
彦根藩が調査したことを書いたものの写しを貰ったようです。
内容は、久里浜に来た外国の軍艦や船員の数、様子が、図解と共に
記されています。
この「酢屋」 とは創業288年の材木屋で、龍馬をかくまった当主は六代目、
今は十代目で、龍馬や海援隊の居たことのあるこの店を残し、
後世まで受け継いでいくことを使命としているとのことでした。
龍馬は、ここから近い「近江屋」 で襲われましたが、
その三日前まで、ここ酢屋に居たことになります。
「近江屋」の跡 (河原町蛸薬師下る)の石碑のある所にも
花が手向けられていました。
また、悔しさが込み上げてきました…。
長崎・出島の中をゆっくり見学していましたら、日もだいぶ落ちて来ました。
すると、教会の鐘のような音色が突然鳴り始めました。
えっ?と思い腕時計を見ますと、ちょうど五時。
その音は、一つでなく、三種類くらいの鐘がなっている気がします。
あ々、長崎の鐘なんだ~と思いました。
(本当の意味で長崎の鐘とは、浦上天主堂の鐘を言うそうですね)
出島の中にも、カピタン部屋の横の、高いやぐらの上に、鐘が備えてあります。
写真でもぶら下がっている長いロープを引いて鳴らすようになっています。
この時、聞いた鐘の音はどこから聞こえたのか、分からず仕舞いでしたが…。
次第に暮れなずむ空と、教会の鐘の音。
なんとも異国情緒のある、長崎ならではのひとときでした
「長崎の鐘」 作詞 サトウハチロー
こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る
「長崎港図」 出島は扇形の人工島
◆出島の誕生
寛永13年(1636)江戸幕府はポルトガル人によるキリスト教布教を禁止するため、
人口島を築きそこにポルトガル人を収容しました。
この人工島が「出島」 です。
その後、「鎖国令」 によりポルトガル船の来航は禁止され、一時、
無人島となりましたが、寛永18年(1641)、「平戸のオランダ商館」 が、
出島に移転。それ以来、安政6年(1859)までの218年もの間、出島は
西洋に開かれたわが国唯一の窓口でした。
出島は、鎖国時代の貿易、文化の拠点、
世界を知り、日本を紹介する国際文化の舞台だったのです。
「※ カピタン部屋」
カピタン部屋は、「オランダ商館長」 の事務所であり、住居でもあります。
また、大名などが出島を訪れた時の接待の場としても使われました。
カピタン部屋の中は、正に「和蘭融合」 の世界、
中でも私が心を奪われたのがそれぞれの部屋に使われている、
様々な模様の「壁紙」です。
建物の骨組みは木造の日本建築の様ですが、そこにはめられた建具、
その色、そして、壁に張られた唐紙は、模様も大胆で、色彩も豊かです。
このカピタン部屋で、和・蘭の貿易等の交渉や友好の宴が繰り広げられて
いたのですね。
窓の外は…
長崎電気軌道の路面電車が走っていきます。
鎖国時代、出島が国際文化の舞台だった頃は、
窓の外には海が大きく広がり、沢山の異国の船が出入りしていました。
カピタンは遥か彼方を眺めながら、時には母国を思ったこともあったのでしょうね。
今、沖へと退いた出島辺りの海沿いは、複合商業施設「出島ワーフ」が出来ています。
(※カピタン: 元々はポルトガル語で、仲間の長の意味。日本は一番初めに
ポルトガルと南蛮貿易を開始したため西洋の商館長をカピタンと呼ぶように
なった。その後ポルトガルに代わりオランダが貿易の主役になったがカピタンと
いう呼び方は変えなかった。)
「長崎・出島」 へ行こうと中島川の石橋群からずっと川沿いに歩いていきました。
昔、教科書で「出島」 の名は見てはいても、いったいどういうものなのか、
殆ど知りません。 勉強してなかったんですねえ~(=_=)
そして、今回は「龍馬」 と関わりのある「龍馬点」 を探しに来ています。
龍馬は、出島と関わったことがあるのだろうか?
あったなら、それはどういうものだったのだろうか?
現代の中島川沿いはバスや車など交通量の多い通りです。
川沿いにグーンと右にカーブすると、間もなく「出島」 が見えてきました。
橋を渡ります。
橋のたもとに、「史跡 出島和蘭商館跡」 の石碑 がありました。
「出島」 は低い白壁の塀に囲まれていました。
鎖国時代、約200年間 西洋に開かれた唯一の窓口、それが「出島」でした。
しかし、鎖国が解かれ必要がなくなると、明治以降、出島付近の埋め立てが進み、
明治37年(1904)、出島はその姿を消してしまいました。
今、その歴史的価値を再認識され、復元整備事業が進められ、
平成12年、「ヘトル部屋」を始めとする5棟が完成し、その後も着々と復元が
進められています。
江戸時代に生きていたとしても、中に入ることなど出来なかった「出島」
今、その姿を見ることが出来るようになったことは、素晴らしいことと思います。
そして、中には色々な建物がありました。
①「旧出島神学校」
「旧出島神学校」 は明治11年(1878)に建てられた現存する、
わが国最古のキリスト教(プロテスタント)の神学校。
水色の爽やかさを感じる建物でした。今は中に、「企画展示室」「売店」「料金所」
があります。
「龍馬伝」 の旗がたなびく横を、たくさんの観光客が通り過ぎます
平日なのにサラリーマンらしき人の訪れているのを、ここでも、亀山社中でも
よく見かけたのは意外でした。 龍馬人気の賜物?
②「表門」 この門の向うは中島川で区切られ、今マンションの見える対岸は
「江戸町」 と呼ばれていました。
江戸時代には、対岸の江戸町側から「表門橋」 を渡ると、この表門があり、
ここに詰めている「探番(さぐりばん)」 が出入りする人を改めていました。
元々の表門の位置は、中島川の中央付近だったそうです。
上の写真の川の真ん中辺りまで、出島がデジマした、いや、出てました (^_^;)
川の変流工事で、元あった場所が削られてしまったのだそうです。
表門は再現されていますが、表門橋は今は、ありませんでした。
「旧石倉」 この前の立札にはこういう風に記されていました。
この間の「龍馬伝」 でも、龍馬はライフル銃を一千三百挺を買い入れて、
船で土佐に届けていました。その商談は出島で、銃の保管もここの石倉だった
可能性が高いと記されています。
龍馬が出島を訪れたとしても、なんの不思議もないですものね。
他にも、色々な建物がありました。 後程…。
太めのお菜箸ではありません。
めん棒です。
京都で、ほんの少し和太鼓の練習に行っていた時、
本物のバチを使うのはまだ早い!
と言って、用意して頂いた物です。
こちらに来てからは、もう練習には行ってなくて、
今やこのめん棒は、たまに太鼓代わりにクッションを叩く以外、
もうほとんど!私のダイエット・グッズと化しております。
体中に無駄に付いた皮下脂肪を、この棒でしごいておりました。
それが、今日のTV番組「ちちんぷいぷい」 を見ていましたら、
なんと!同じようなことが「めん棒マッサージ」 として紹介されていました。
我流で適当にやっていたような事が、健康、ダイエットに良いと紹介され、
よかったあ~ (^^♪
それでは、TVで紹介された方法を書いてみます。
① 痩せスイッチ: 足裏で棒を踏んで力を掛けながらコロコロ転がす。
② 胃のために: ひざの外側少し上をしごく。(食べすぎた時、痛い)
③ 大腸のために: おなか全体を棒を8の字に動かしてマッサージ、
その後、右股関節→上へ→おなかを左へ→下へ
(大腸の動きに沿っていることになる)
④ ウエストのくびれを作る: わき腹を上下にしごく(右わき腹が痛いのは肝臓が
弱っている、飲み過ぎ)
などでした。ちなみに、すべて棒は体に平行にあててします。
ほんの10分ほどしたのですが、汗が出てきました。
それと、このマッサージをしますと腕の運動にもなりますね。
TV見ながらでも出来る「ながら体操」で、私にピッタリです。
これからは、自信を持って、めん棒マッサージしま~す \(^o^)/
ふくらはぎ、ここイタタタタ~ッ (>_<)
おはようございます。
休日の朝、いいお天気ですが、すごい北風が吹いています。
ところで、「スポーツクラブ」 に通うようになって、1ヵ月半経ちました。
広島、長崎に行った週はお休みしたものの、
それ以外は週2くらいのペースで通っています。
プール、スタジオ、その日の気分で好きなプログラムに参加してます。
すべて、初めての体験。
一つ、最近の運動不足による体重増加を阻止、
二つ、長年の夢だったスイミングスクールに通いたい、
そういうことなのです (^_^;)
もう20年近く泳いでいません。
「泳ぎたい 泳ぎたい」
で、もう、水の中に居るだけで、 「しあわせ 」 な気分です。
「アクアウォーキング」 「アクアビクス」
スタジオでは「ボディ・パンプ」 「ZUNBA」 「ボディ・ヒーリング」
ハードなものあり、緩やかなものあり。
毎日が忙しくなりましたが、なんとか続けたいと思っています。
最近、息子の言葉に励まされました。
「やれることは、まだある !!」