kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

直虎が、竜宮小僧になる時 十一

2017-04-11 18:39:33 | おんな城主直虎

 

 

 城主であった井伊直親なきあと、次郎法師は直虎と名を改め城主となったが、

 

無理難題が山積み。

 

取り敢えずのところ鎮めたものの、とても大きな問題は残ったようですね。

 

直虎はどんなことに対し、どう動いたでしょうか。

 

 

一つ、 瀬戸村の甚兵衛さんを筆頭に村人達からの陳情

借金を棒引きにする「徳政令」を出してほしい。

(賃借、売買の契約の破棄を命ずる法令)

理由は

戦に何度も駆り出されて男手がなくなり、土地が荒れ放題になったため

年貢も払えず借金も嵩んでいる。

 

なるほどと思いました。

いつの時代の戦争もそういったことが起きていたのですね、きっと。

 

二つ、 中野直之、奥山六左衛門らは直虎が城主となったことに未だ合点がいかない。

理由は

女子である、しかも、

10歳の時からお寺で暮らして、世間のことに疎い。

 直虎は、帝王学?城主として知っておくべきことを調べ始めたようですね。

そんな直虎に南渓和尚が渡したのが、

 

「仮名目録」

「仮名目録」ってどんなもの?

これは、今川氏が制定した分国法。

主に、家臣統制のための条文で家臣の

財産相続、被官関係、けんか、お金の貸し借り、土地の境界訴訟

 

軸となるのが、「室町幕府の権力を背景とせず、自力で領国を支配する」

 


その、仮名目録について直虎は

揉め事の話はわかるが、「借米」「借銭」の話は分からないと言っていました。

 

これが直虎のウイークポイントか!

 

三つ、 今川氏が、このまま黙っている訳ない。

鶴、すなわち小野政次は何を考えているのやら、

直虎が城主に決まった時も、従順なことを言ってましたが、

逆に不安ですよね。

井伊家の情報が今川氏に伝わってしまってるのは、きっとこの人の…

 

瀬戸村の人達は、「徳政令」への直虎の返事を待たず、

今川氏に直訴してしまいましたが、これも、

小野政次の入れ知恵、なのだ!

 

鶴ちゃんはもう、おとわとは昔のような幼なじみではないのでしょうか

鶴ちゃんにはまだ、おとわへの気持ちは残ってると思うのですが…

 

井伊家は今川氏にかなり敵対してるけど、よく考えれば(カンガエナクテモ)

服属の立場ですから、色々まずいな。

 

今川氏の寿桂尼(今川氏真の母)、この御方が手強い!

今川氏の真の実力者、おんな城主ですよね。

睨まれると怖

 

直虎は、南渓和尚に城主になった今の気持ちを言いました。

ハイッ!ここからポイントですよ、テストに出ますヨ…出ませんね(^_^;)

 

『これまで力の無いことを悔やんでいたが、今は力を持つことがとても怖い』

 

南渓和尚は、領主とは筆一本で自分の思うように力を振るうことが出来る。

そして、結果次第で良しとされるし悪しきともされる。

 

『自分の信じたものを明かりとして進んでいくしかない』

 

「自灯明・じとうみょう」

 

またもや禅語ですね。

”人に依存せず自分自身をよりどころとして生きよ”

お釈迦様が入滅する直前に弟子のアーナンダへの最期の教えで、

「自己観察をして自分と向き合い、真理に近づく様な生き方をせよ」

 

南渓和尚はいつもええこと言うなあ~

 

あ、そうそう、直虎が徳政令を許そうと文書を書き始めた時、

亀が一匹、のろのろやって来て書いているのを邪魔しましたが、

あの亀って、南渓和尚が傑山に命じたのではないかと…

 

それとも、

 

竜宮小僧なのか、亀之丞の化身なのか!

なんてこと考えながら、ドラマを楽しんでいます♪

 

 

それにしても、痛快だったのは

政次が井伊家を乗っ取ろうとしていると感じ、瀬戸村と祝田村を

龍潭寺に寄進した形をとったこと。

「守護不入・しゅごふにゅう」

 

いささかお寺は、無法地帯のようなところもある?

が、

直虎が利用したことはあながち悪いことではない? 

和尚が言ってました♪

「力を駆使した時、結果がよければ正解とされ、よくなければ不正解とされる」

 

結果オーライ

 

ですか。

 

それから、禅語がもうひとつありましたね。

 

「清風払明月 明月払清風」

せいふうめいげつをはらい めいげつせいふうをはらう

 

主と客は相対関係 という事と 悟りの世界の清らかさ

が込められている…ムズカシ???

 

私には、まだ修行が足りないとだけ分かりました。

 

さて、新しい登場人物が、瀬戸方久(せとほうきゅう)


ムロツヨシさんが演じられてますね。

おとわの時代、直虎は会ってるんですよね。

その時は、鬚も髪もぼうぼう、真っ黒けの顔をして藁の中からニョキッと顔を出しました。

盗賊だったはずですが、今は豪族ですよ!

すごい!

あの時、お金を儲けるため、おとわを井伊に連れて行きましたね。

普通の盗賊なら、おとわの持ってた高価な品物を持ち去るだけだろうけど、

それ以上にお金の入る策を考え出しました。

実業家の 「才能あり!」 デスネ♪

なんか、いい人か悪い人かよく分かりませんが、

南渓和尚の理論でいくなら、

 

結果オーライ

 

井伊谷のために、ひと踏ん張りしてほしいです。

 

ではまた。

 

 

今日は、ドラマの写真がないので、浜松名物「うなぎパイ」を。タベタイナ

 

 

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さらに句材を探しながら

2017-04-08 23:40:50 | 俳句・和歌

 

芭蕉さんの句碑を拝ませていただき、さらに俳句の材料を求め…

 

 

ここは、「濠川・ほりかわ」

 豊臣秀吉が築いた伏見桃山城の外濠だった所です。

 

三十石船や十石船が伏見港から大坂を繫ぎ物資が運ばれました。

また、角倉了以が造った高瀬川には高瀬舟が行き交い、京都から伏見へ水運が伸びました。

 

 

溯って平安時代、

伏見は貴族の別荘地でした。

 

中世、武家の台頭しようとする動乱の時、

保元の乱、承久の乱、を経て後鳥羽院を最後に院政が幕を閉じます。

 

 安土桃山時代、 

 豊臣秀吉はその晩年に伏見城を築城しました。

伏見は関西の中継地にあたり,さらに交通の要衝でした。

築城に先立ち、建築資材を運ぶため伏見港を開きます。

淀城や聚楽第を破棄して伏見は一大拠点となりました。

 

伏見は 豊臣秀吉により城下町として発展し、


江戸時代へと 

 

徳川幕府が寛永元年(1624年)に伏見奉行所を設置

寺田屋にいた坂本龍馬を襲ったのはこの奉行所の手勢だとか。

 

鳥羽伏見の戦い

伏見奉行所を拠点に、旧幕府軍

御香宮神社には、新政府軍

 

両軍による、伏見口の戦いがありました。

 

 

まさにここが激戦地だったのです。

奉行所は炎上して旧幕府軍は逃げています。

 

 

 そんな歴史なんかなかったように、のどかな濠川でした 

 

 

                   

  思いも寄らぬ、桜の満開に句会仲間は俳句のことも忘れ、(^_^;)

 

     花を満喫です    

          

               

 

        

十石船が行きます。

定員は10人ほど、ひとり一石…?

                        

                      

                 

 

    

                                         

                      

       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

複雑な「伏見であい橋」

なんて、恋とか愛とか想像しますが、残念です。

お出会いになるのは、濠川と宇治川だとか。

でも、

天ケ瀬ダムの放流計画のせいで、宇治川の川の底が下げられて

流れが逆になってしまいました。

それで、以前「合流点」だったものが、今は「分岐点」だそうです。

 

それなら、「別れ橋」…

 

それは寂しいですよね。

 

であい橋のままでよかった♪

 

ここで、メンバーがもうひとり合流しました。

正に、であい橋

 

 

 

角倉了以水利紀功碑

 

慶長十六年(1611)、京都中心部の二条より鴨川の水を引き

伏見に達する高瀬川を造り,京都伏見間の水運を開通させた。

この碑は高瀬川を開いた了以の功績を顕彰するために運漕業者有志が建立。


 

 

 

濠川の両岸に雪柳が、満開です♪ 山吹も♪

先程、ここと同じ雰囲気の場所がありましたね。(松本酒造の辺り)

 

であい橋を離れ、川沿いに月桂冠や黄桜の酒蔵のある方へ。

 

 

 

 

 頭、すれすれ

 

 

 

 

龍馬とお龍、愛の旅路の像

 

日本で初めて新婚旅行に行ったおふたりですからね。

 

この先、寺田屋も行きました。

 

 

 

 

刀痕はいづこ寺田屋寒柱    野風呂(のぶろ)

 

意味深…

 

鈴鹿野風呂は明治20年京都生まれの俳人だそうです。

 

「金魚」という名前の椿がそばに植えられていました。

大ぶりで下を向いていて、花びらが何となく金魚に見えるような…

 

 

 

 午前中の予定を、クリア出来ました。

黄桜カッパカントリーでランチタイムです

 

ひとやすみ致します 

 

 

 

 

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句材を探して伏見の町を

2017-04-07 16:27:46 | 俳句・和歌

 


4月5日は句会の仲間で京都伏見に行きました。

句材は探しても、俳句は披露しないということで。


とどのつまりが、お花見でした(^_^;)

 

 

何てったって、行き先は伏見で、行くのは呑ん兵衛たち

俳句を考える気はないようで…

 

近鉄京都駅を9:06発車

桃山御陵前で降りまして、大手筋商店街をブラブラ歩きました。

 

秀吉が伏見城を構え、江戸時代には伏見奉行所や銀座、各藩邸ありと、

栄えた町だったのですね~

 

早速、

 

 

「伏見銀座跡」の石碑が。

その場所は今、銀行が建っていました。ナルホドネ!

 

大手筋を歩いていると、露地の奥にお寺があり、紫もくれんが見頃でした。

 

 

 

 

 梅でしょうか? 

 

 

 

椿、月の輪、かな?

 

またしばらく歩くと、商店街のアーケードがなくなり車道になりました。

 

 

川がいくつもありそうです。

名前が分からなくなってしまって

 

名前…?

川沿いには、山吹、雪柳、桜が、もう少しで満開

 

 

のちに寺田屋事件と言われる騒動で、坂本龍馬が逃げ込み避難していた材木小屋跡

の石碑がありました。

 

 

この時、お龍さんが不穏な気配を感じ、

お風呂に入っていたところを裸同然で飛び出し龍馬に危険を告げ

なんとか逃がしたという有名なエピソードがありますが…

俳句仲間の一人が疑問があると言います。イッタイナニ?

 

『お龍さんは、こんな所を裸同然でどこまで走ったんやろか???』 

そこですか!

 

 

また、川が見えて来ました。

その、堤防沿いに、

 


松本酒造(日の出盛・桃の滴がお馴染の銘柄)

 

 

 川の名前は新高瀬川(東高瀬川)


 

土手に人が見えますが、土筆摘みのご家族 

 

両岸には菜の花がいっぱい咲くらしいのですが、まだでした。ザンネン

 

お母さんと子供さんが、土筆をたくさん摘んでおられて、

俳句仲間は、土筆を羨ましがっていました。

 

ひょっとして土手に下りて摘もうとなるのか?

いいえ、先を急ぐことになりました。

 

お酒の小売店で量り売りをしてくれるとかでそこに入りました。

お店の中の壁に水道の蛇口みたいなのが設置してあり、

お酒が出て来るのです。

 

店の裏に大きな酒造会社があり、そこのお酒ということで、地下を水道管みたいなもので、

お酒が流れて来るのかと思いきや、お店据え付けのタンクに入れてもらうのだとか。

確かに、蛇口の付いてる壁の向こうに大きなタンクがありました。

 

仲間6人中の4人が、小瓶を買ってたかな?

始まったばかりの散策なので、私はおみやげはもっとあとで買おうと思いました。

 

次に行ったのは、西岸寺

 

 

桜がほぼ満開でした。

 

お堂の横に、松尾芭蕉の句碑があります。

 

 

蕉翁塚 

 

我衣にふしみの桃の雫せよ

(わがきぬにふしみのもものしずくせよ)

 

 


”伏見西岸寺、任口上人にあふて”  

と野ざらし紀行の前書きにある  

貞享2年(1685)、芭蕉さんが大切に思っている任口上人と再会できて、

大変喜んでいる事を詠まれた。

 

という様な事が説明板に書かれていました。

 

昔、伏見は桃で有名だったそうですが、私は一度も

「伏見の桃」というのを食べた事がありません。

が、 

” 「伏見の桃」は、江戸時代、伏見城の跡地に桃の木が植えられたことから、

伏見が、「桃山」と呼ばれるほどの桃の名所となったことに因んでいる。

「桃」は、芭蕉が訪ねた時期から言って「花」。

「桃の雫」の意は、

「上人が、桃の花の雫のように垂られる有難い教えの一つ一つ」。

この時、上人、八十歳。本句は、上人への挨拶吟であると同時に励ましの吟 

 

という説明文も、ネット内に見ました。

食の桃 ではなく 愛でる桃 の方だったみたいです。

すみません、食欲ばかりで

 


 あ、「桃の滴」というお酒の銘柄もありましたね。

 

ちょっと長くなりましたので、また後日アップします。

 

 

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まあ~鰯が。

2017-04-03 12:31:19 | 食・レシピ

 

 

 

 

そうなんです。

店頭に並んでいた時は、この真いわしは緑色の背中だったんです。

とても、綺麗だったんです、まるでエメラルドみたいに。

 

それを、買い物袋に入れて、その上に野菜をのせて帰ってきたら、

ごらんの通り、いつものグレイに変わってしまいました(@_@。

 

お魚屋さん、あの美しかった緑色は、どこに行ったのでしょう…

 

魚へんに弱いと書いて、 「鰯」

 

スーパーから家への移動中の、温度、摩擦などに耐えられなかったん?

可哀そうなことしました。

 

きっと、端から端まで、綺麗に食べ尽くさせて頂きますからね。

許してね…

 

 真いわし 3匹 ¥198(税抜)

 

 

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これやからスポーツは、

2017-04-02 13:03:37 | スポーツ

 

 

4月1日の夕日です




昼間の甲子園、史上初めてという大阪対大阪の試合、

ほんとに見ごたえのある決勝戦でした。

ホームラン、たくさん出ましたね!


夕焼けを見ていると、穏やかな一日だったなあ~と

 

ところが!


フィギュアスケートがLIVE中継されているので見始めますと、

なんと、羽生選手はショートが5位でこれからフリーですって!

 

さあ、このまま終わるのか!

はたまた、どこまで挽回するのか!

 

羽生選手が演技を始めると、ジャンプの都度、

飛ぶか?着地は?

ハラハラドキドキでした。


結果、大逆転の優勝。

 

すごいですね~

 

高校野球と言い、スケートと言い、すごい人達です。


重ねに重ねた練習から来る自信、平常心がなせる技なのか。


それとも不思議な力が押してくれるのでしょうか。


凡人いや、才能なしの私には何とも申し上げられませんが、でも、


これやから、スポーツは面白い


 

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俳句の会に行きました

2017-04-01 00:39:34 | 俳句・和歌

 

 

3月の俳句の会、水曜日に行ってきました。

 

 

皆さん、艶めかしい句が多い

兼題は「春の夢」

私の?

残念ながら、ふつー


この回のはいずれまた。

 

 

さて、いつもの提出すれば必ず出して頂ける句は… 

 

曲水やはらりと返る小袿(こうちき)の袖

 

(以前、京都市の南部にある「城南宮」で見たのを思い出して詠みました)

 

新年会幹事幹事と声が飛ぶ

 

(「声の飛ぶ」 にしようかと思ったり) 

 

櫓へと人の流れに節分会

 

* * * * * * 

 

4月になりました。

今日はエイプリルフールですけど、本当のことを言います。

4月は、たくさん提出しなければならなくて、一日一句は詠もう!

と、思うのですが、なかなか…

とりあえず、ノートに思いついた俳句、或いは単語や出来事を

メモしています。

 

先生が、句会で私たちに勧められた大会が、3つあります。

全部出すとなると、1句、2句、3句、4句……ああ~~((+_+))

とりあえず、全大会に出そうと思っています。

出さなかったら…シガツバカ

 

 

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