四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

現代の秀歌(その2)

2012-10-10 05:31:02 | 歌の花束

○こんなにも可愛い顔で笑うんだ病室のぞけば父が手を振る   内波 志保

   娘を見てベッドのお父さんはどんなにか嬉しかったことでしょうか。

 

○ガラバゴス諸島の鰐となり果てて老人ホームの風呂に動かず   蛭本 博彦

   ワニのように動けない老は誰にでも来る。生老病死は避けられない。

 

○犀「ハナ」と同い年の九十歳汝に夫あり優しい角もつ   棚橋 久子

   優しい角もっていた夫を偲んでおられる。切なくもカラッと詠いました。

 

○疲れたとスーツが言っているような面接試験二十三回   平井 節子

   この就職氷河期にあきらめず、ノーベル賞の山中先生のように幾度も挑戦を。

 

○神流川(かんなかわ)に浮かぶ灯籠水底の小石をひかりの撫でつつゆけり   小林 淳子

   ご両親でしょうか、最後の「ゆけり」がさびしいですね。

 

横浜はジャズの町、伊勢佐木町の薄紅葉、木の実の下でバンドが演奏していました。すてきな時間をありがとう。

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現代の秀歌(その1)

2012-10-08 20:48:59 | 歌の花束

 朝日歌壇の選者4人が去年の年間秀歌各10首を選んでおられます。その40首から私の好きな10首を、僭越ながら選んでみました。激戦を勝ち抜かれ新聞に掲載されるだけでも凄い短歌なのに、更に絞られた最優秀の年間秀歌なのです。

私が好きな10首を分析すると、母に関する歌、老病の歌、政治社会に関する歌が各3首ずつ、魂祭の歌が1首となりました。


○独り居に母を残して帰る時いっしょうけんめい母は笑えり   滝 妙子

    最も心に響いた作品です。「いっしょうけんめい」の措辞に目が潤みます。親不孝でしたから。

○嬰児(みどりご)を初めてぎゅっと抱きしめるこの蠢(うごめ)きが胎動の正体   黒河内葉子

○胸の上生まれたばかりの息子抱く命の重み3224    小島 梢

    二首共におんなならでは歌えない、男は身体では分からない母性の尊い歌です。私たち男も

    母親の苦しみから命を頂きました。

○日本へ帰ったはずの沖縄をまだ沖縄を返していない   和田國基

    無慈悲な地上戦と米軍占領時代、更にその上戦後の日本を守る為の米軍基地の負担。

    私は精神的に沖縄県に負い目を感じております。

 

 

 

 

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河野裕子さんを悼む(最終回)

2012-07-07 19:19:38 | 歌の花束

永田和宏氏の歌

 『もうすぐ夏至だ。冬至の日はうれしい。これからどんどん明るくなるのだと思うと、まだ真冬だというのに心が明るむ。夏至は嫌だ。あとは明るい時間がどんどん短くなってゆくばかり。』

○一日が過ぎれば一日減つてゆく

              君との時間 もうすぐ夏至だ

河野裕子さんの歌

●この家に君との時間はどれぐらゐ

              残っていゐるか梁よ答へよ

永田和宏氏

 『まだあと十年ぐらいは二人一緒に、老いてゆく時間を楽しむはずだった。すべての大切なものは、失って初めて身にしみてわかるものだ。己に残された時間も然り。』

 ○あほやなあと笑ひのけぞりまた笑う

              あなたの椅子にあなたがゐない

 ○わたくしは死んではいけないわたくしが

              死ぬときあなたがほんたうに死ぬ

 『死者は、生存者の記憶の中にしか生きられない。だからもっとも河野裕子を知っているものとして、長く生きていたいと思う。それが彼女を生かしておく唯一の方法なのだと思う。』

  (愛別離苦を耐えられた科学者、永田先生の言葉が心を打つ・・・駿

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河野裕子さんを悼む(その3)

2012-07-02 13:25:12 | 歌の花束
 夫、永田和宏氏の歌
○待ち続け待ちくたびれて病みたりと
          悲しきことばはまっすぐに来る
 (こう言われたら夫としてはズーンとこたえますね・・・駿)

妻、河野裕子さん

●このひとをあんなに傷つけてしまつた日
          どの錠剤も白かつたのだけど

●終点まで乗りてゆかうかと君が言ふ
          ああいいよ他に誰も居ない

●『六年前に私が癌の手術をしてから、永田和宏の私に対する感じはずいぶん変わった。このひとは、いつ自分のそばから居なくなるかわからない、ということを結婚以来はじめて本気で案じ、そのことを深く考えるようになったのではないかと思う。』

●大泣きをしてゐるところへ帰りきて
          あなたは黙つて背を撫でくるる

●俺よりも先に死ぬな言ひながら
          疲れて眠れリ靴下はいたまま

 (「靴下はいたまま」があわれで悲しいですね。私もこうなると思う。 駿)
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河野裕子さんを悼む(その2)

2012-06-29 11:26:29 | 歌の花束
 現代歌人40年の夫婦相聞歌から私が選んだ闘病の短歌をどうぞ。愛別離苦(あいべつりく)は避けられない四苦八苦のひとつです。

夫 永田和宏氏
 ○白まばら紅まばらの梅林に
          ふたりの時の短きを言う

妻 河野裕子さん
 『私がしなくてはならないことは永田和宏という人を一日でも長生きさせること。私の仕事は全部放っておいても、永田が帰ってきたとき、お皿をあたためて少しでもおいしくと思って待っているのです。・・・・子供より永田和宏を大事にしてやってきた』

 (子供は付録だと私たち夫婦も同感です 駿)


妻 ●今ならまつすぐに言う夫ならば
          庇って欲しかった医学書閉ぢて


夫 ○平然と振る舞うほかはあらざるを
          その平然をひとは悲しむ
  ○君とおなじレベルで嘆くことだけは
          すまいと来たがそを悲しむか
  ○がんばっていたねなんて不意に言うから
         たまごごはんに落ちているなみだ

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河野裕子さんを悼む(その1)

2012-06-28 14:49:26 | 歌の花束
 現代女流歌人で人気の河野裕子さんは乳がんとの十年の闘病に力尽き64歳で逝かれました。お正月の宮中歌会始の選者で、美智子皇后もその早き死を悼んだ歌を発表されました。ご夫君は科学者で歌人永田和宏さんで、歌会始の選者、朝日歌壇の選もされている有名な現代歌人です。この歌人夫婦は40年間お互いに5百余の相聞歌を交わしていたそうで驚きます。愛妻を追慕して『たとへば君』と題して出版されました。ガン発見から訣別までの随筆や歌に感動し、考えさせられます。最も近い他人である夫婦でも、病人が出ると心には棘が出やすくなります。もし妻が癌に冒されたら私は心の襞まで分かり合える夫婦になれるだろうかと不安に思う。

 蒸留水と息子がわれを批判せしと
      うれしそうなり妻の口ぶり(永田和宏)
 「この家にあなたは住んでいない」と
      不意にしずかな声に言いたり
 意地のごとく息子とわれを比較する
      妻のこの頃好きとは言えぬ


 あの時の壊れたわたしを抱きしめて
    あなたは泣いた泣くより無くて(河野裕子)

 なんにしてもあなたを置いて死ぬわれにいかない
    と言う塵取りを持ちて(永田和宏)


裕子さんの「泣くより無くて」、和宏氏の「塵取りを持ちて」が切ない。
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桜の国のうた

2012-04-11 17:20:35 | 歌の花束
 桜の咲満ちている今、日本の国で歌われた詩をお届けいたします。縦縞模様の文化、縦書きの伝統文化なのに残念ながら横書きでスミマセン。

☆世の中に絶えて桜のなかりせば
        春の心はのどけからまし   在原業平

☆見渡せば柳桜をこきまぜて
        都ぞ春の錦なりける   素性法師

☆ひさかたの光のどけき春の日に
        しづ心なく花の散るらむ   紀友則

☆願はくは花のもとにて春死なむ
        そのきさらぎの望月のころ   西行

★花の雲鐘は上野か浅草か   芭蕉

☆しきしまのやまと心を人問わば
        朝日に匂ふ山桜花   本居宣長

☆清水へ祗園をよぎる桜月夜
        こよひ逢ふ人みなうつくしき   与謝野晶子

★したたかに水をうちたる夕ざくら   久保田万太郎

★チチポポと鼓打たうよ花月夜   松本たかし

★天辺に水ある如きさくらかな   萩原麦草

★風に落つ楊貴妃桜房のまま   杉田久子

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万葉集の離別の歌

2011-09-26 17:08:06 | 歌の花束
 過日尋ねた石川県輪島の千枚田が「国際農業遺産」として認定されたそうです。田んぼ所有の農家は高齢者が多く全国からのボランテァによって稲刈りが行われたそうです。
 さて、大伴家持が編纂した万葉集に徴兵され地の果ての九州へ連れてゆかれた関東農民の悲痛な離別の歌があります。外敵から国を守る壱岐対馬や九州の最前線へ送られたさきもりの歌でお国言葉の訛りで記録されています。勤務は3年間、何故か関東の農民から徴発されたのです。むごい徴兵です。ほとんど文字を知らない時代に、歌が読める学識があり太平洋戦争の学徒動員などが思い出される家族愛の歌です。国家の都合と個人の幸せとの食い違いは天と地ほどの落差があります。
 3.11により何が一番人生で大事なのかが私達に突きつけられています。


○防人に立ちし朝明のかな門出に手離れ惜しみ泣きし子らはも

○父母が頭掻き撫で幸くあれて言いし言葉ぜ忘れかねつる

○天地のいづれの神を祈らばかうつくし母にまた言とはむ

○韓衣裾に取り付き泣く子らを置きてぞ来ぬや母なしにして

○闇の夜の行く先知らず行く我れをいつ来まさむと問ひし子らはも

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おうちの花が咲きました

2011-05-28 05:29:39 | 歌の花束
 150年前鎖国を解いた文明開化のヨコハマは世界へ開いた日本の窓でした。ここ関内の弁天通りは世界の商才が集まるトッモードの異国の街でした。デズニーランドみたいです。日本で初めての為替銀行横浜正金銀行本店は歴史的遺産ビルで、現在神奈川県立歴史博物館となっています。
 この弁天通りの街路樹は私のふるさと鹿児島に多いおうち、センダンで、なつかしい薄紫の花盛りでした。晩夏から秋になると多くの木の実が揺れる木です。

『妹(いも)が見しおうちの花は散りぬべし
          我が泣く涙いまだ干(ひ)なくに』 万葉集
 山上億良(やまのうえのおくら)が妻を亡くした上司・大伴旅人(おおとものたびと)になって詠いました。ふたりとも九州太宰府に赴任していて、旅人は愛妻を失ったのでした。

『憶良らは今はまからむ子泣くらむ
          それその母も我を待つらむぞ』
 酒宴から逃げ出して家庭に戻りたい憶良はやさしいいですね。
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雪のヨコハマ

2011-02-12 07:51:29 | 歌の花束
 横浜は春の雪で薄化粧の朝です。南関東のここは西から北に山の屏風がはられ、海に面していますのでめったに雪が降ることはありません。建国記念日の昨日から軽ろやかな春の雪が絶え間なく降り、今朝の雪景色となりました。春の雪は吉兆だそうです。

「新(あらた)しき年の初めの初春の
        今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)」 
                  万葉集最後を飾る大伴家持のうた。

 「雪のうちに春はきにけり
        うぐひすの氷れる泪いまやとくらむ」
                 二条后(にじょうのきさき)

 「君がため春の野に出でて若菜つ
        むわが衣手に雪は降りつつ」 光孝天皇
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悲しいお月さん

2010-09-22 07:48:14 | 歌の花束
 21日の夕方、仲秋の名月がのぼりますと自分も空に浮き上がるような感じです。うりざね顔のお月さんから、近々お亡くなりになった方々がこの世を眺めているように思われます。身を切られる離別でのこされた人たちも見上げていることでしょう。
 先月惜しまれて死去された女流歌人、河野裕子さんを思い出します。夫君の永田和宏氏と共にお正月の宮中歌会始の選者をされたばかりで、64歳の早世でした。短歌の指導をされながら乳がんと10年闘われました。歌があればこそガンと闘うことが出来たと言われたそうです。彼女を失いわが青春が失われた感がいたします。彼女の4首に夫君の1首を。河野裕子さんさようなら。合掌

○大泣きをしてゐるところへ帰りきて
          あなたは黙つて背を撫でくるる
○一日に何度も笑ふ笑ひ声と
          笑い顔を君に残すため
○わたしには七十代の日はあらず
          在らぬ日を生きる君を悲しむ
○俺よりも先に死ぬなと言ひながら
          疲れて眠れり靴下はいたまま

●相槌を打つ声のなきこの家に
     気難しくも老いてゆくのか  永田和宏
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夏を短歌で

2010-08-17 18:39:50 | 歌の花束
 猛烈な残暑にかなしい水の事故が伝えられます。働けど働けど株式市場は円高で最安値、元気なのは甲子園のみですね。
されど敗戦の日々のご苦労を思い残暑を乗り越えて参りましょう。「朝日歌壇」から感動させる歌、私好みの作品をご紹介してみました。

*「小さくて死ぬのはいやだ」と云いし子の
    生きたあかしのガンダム残る  松坂市 大内美代子                          (逆縁の悲しみの極みに言葉もありません)

*母のない夏にも慣れて夫のない
      夏に慣れつつ朝顔を見る  町田市 谷 和子
    (のこされた悲しみと諦観をさらりと詠われました)

*夜のない街から島に移り住み
       藍の極みは星空と知る  沖縄県 和田静子
      (大胆な移住が贅沢な喜びをもたらしました)

*日の経てば傷つきしこと懐かしく
     傷つけしこと苦くのこれり  鳥取県 中村麗子
       (私も知らずに傷つけた罪をお詫びしたい)

*豊子さんお世話になってと夫いいぬ
     語尾は九月の空に消えたり  小山市 内山豊子
       (死が二人を別つまでの相思相愛に敬服)
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親不孝

2010-04-02 11:22:48 | 歌の花束
 ♪母親に心配させぬ言い方を
          今ならばせむ若かりしかな  横須賀市 丹羽利一

産経歌壇の作品で、親不孝な私は同じ悔いを持っていて身震いがします。歳を重ね死別してやっとわかる愚かな自分でした。先ず身近な親の恩に気づけないと、仏恩や自然の恵みや周りの人の支えなど蹴散らかして浅ましい野獣に変わらない生き方になるでしょう。
 「若かりしかな」に母への懺悔、悔やみの嘆きが出ています。
さも当然のごとくに西鹿児島駅から特急にのり進学で東京へ達つ日、プラットホームのショールの母を忘れません。無口なぶっきら棒の息子を見送り、涙をショールに隠していたのでしょう。無慈悲な息子をおゆるしください。 南無妙法蓮華経
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愛別の歌

2010-02-06 21:10:13 | 歌の花束
 結婚式ではよく「死がふたりを別つまで」と末永い二人の愛のきずなが祝福されます。新聞歌壇の作品から愛別離苦の切ない声をお聞きください。今気づいたのですが、掲載日が異なっていましたが同じ作者でした。
 「妻逝きて鴛(おし)を数ふる癖がつき
             偶数ならば心安らぐ」 野田市 安部 潤さん
 おしどり夫婦が突然独りぼっちになるという身を切られる修羅場に私は身ぶるいがしました。ひとり池辺に座り定まらない視線の姿が浮かびます。しかし、同じような悲劇が他人には無かれとのやさしさが滲んで諦観による立ち直りが兆しておられます。愛別離苦には日数(ひかず)のクスリしか利きません。

 「納骨に我がハンカチを敷きてやる
         かの日のやうにいつか並ばん」 野田市 安部 潤さん
 芝生やベンチに恋人のためにハンカチを敷いてあげる、あの日が戻ってきてほしいとの悲鳴であります。かの日のように君と並んで坐りたいという悲痛な声なのです。嗚呼
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2010年歌会始(うたかいはじめ)

2010-01-17 10:24:51 | 歌の花束
 皇居伝統の歌会始を聞きましたか。朗々と独特の節で披講されて、奥ゆかしい我が伝統文化に誇りを感じます。政治家の情けない体たらく放映にウンザリの皆様に、口直しのすがすがしさを感じ取り、日本人の感覚をお互い様確かめて頂けたら幸いです。

御製『木漏れ日の光を受けて落ち葉敷く小道の真中草青みたり』
美智子皇后陛下『君とゆく道の果たての遠白く夕暮れてなほ光あるらし』

 「道の果たて」、「夕暮れ」や「なほ光」に皇后陛下のご心境がにじむようです。
「光」が題詠です。入選作品から私の好みで五首をご鑑賞ください。

♪我が面(おも)は光に向きてゐるらしき近づきて息子(こ)はシャッターを押す
                               大阪 森脇洲子
   全盲の母を撮る息子さんと幸せを確かめておられる様子です。
♪前照灯の光のなかに雪の降り始発列車は我が合図待つ      北海道 西出欣司
   ポッポ屋の仕事に対する誇り、自信と寒さ厳しい中の白息が想像されます。
♪藍甕(あいがめ)に浸して絞るわたの糸光にかざすとき匂ひ立つ 福岡 松枝哲哉
   出来具合を確かめる緊張感、立ち上る匂いに臨場感が出ていますね。
♪雲間より光射しくる中空(なかぞら)へ百畳大凧揚がり鎮まる  京都 後藤正樹
   上空に鎮座するまでが大変、多数の支援者が走り拍手し合う景が眼前に。
♪燈台の光見ゆとの報告に一際高し了解の聲(こえ)       東京 古川信行
   戦地から命からがら帰国の船上、私達のために先人へ感謝するばかりです。
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