私たちは、自分が不幸になるようなことは、なんとしても避けたいと考えます。人は幸福の夢だけを思い描いて生きているともいえます。しかし、現実はそうはいきません。甘い夢があっけなく砕かれることのほうが多いのです。
しかし、だからといって初めから「夢なんかかなうものではない」とあきらめてしまうのでは、生きていく喜びもありません。
明日はどうなるか分からないからこそ、夢を描くことができるわけです。また、明日のことは分からないという不安から、「しっかり努力して、明日に備えなければ」という励みも生まれます。逆に、明日のことがみんな分かってしまっていたら、生きる意欲のわかない、おもしろ味のない人生になるのではないでしょうか。
「生きるとは、不安定を生きることだ。不安定でない人生はない」と言いきる人もいます。
お釈迦さまも、まず「人生は苦である」としっかり認識することの大切さを説かれました。苦を見すえ、その原因を明らかにし、それを克服して真の喜びを見つけていく。それが人生だともいえましょう。信仰もそこから始まるのです。
庭野日敬著『開祖随感』より