NHKラジオ「歌と歴史でたどる万葉集」(鉄野東大教授)を聞き、今から1300年前の夫婦死別の悲しみ、衝撃に打たれております。
天皇家の親衛隊を誇る名族大伴家の長・中納言・大伴旅人(おおとものたびと)は64歳の晩年、当時西の果て大宰府へ妻を帯同して赴任しました。ほとんどの長が奈良の都から移動せず、部下を赴任させていたのに旅人は妻を伴い瀬戸内海を船で赴任。これはどうも大伴排除の藤原一族の陰謀によるようです。不在に乗じて最高権力者であった長屋王をクーデターで謀殺しています。
大宰府でほどなく妻は病死しました。奈良中央政界からの左遷と妻の喪失、弟の死、自分の病気などの不幸が旅人をおのが苦しみを和歌に託す詩人にしたようです。
部下に越前の守で和漢の最高の知識人、山上憶良(やまのうえおくら)との出会いが救いでした。
「世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり」 大宰の帥(そち)大伴卿
「妹が見し楝(おうち)の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干(ひ)なくに」 憶良が旅人のために作った歌