明治生まれのおやじは「菜根譚」を愛読書にしておりました。鹿児島から長崎高商(長崎大学経済学部の前身)に学び、若き時分から雇われ経営者として南九州の会社で働きました。
work hardをモットーとする明治時代最後の人でしたが、病を得て50歳で他界しました。朝早くから夜遅い帰宅なので姿を見ない日も多数でした。夜中に消防車のサイレンを聞くと夜具のまま家を飛び出して、自分の工場でないかを確かめておりました。
ある日、「ボクは死ぬ時は畳の家で死にたい」と言いましたら俺はそうは考えない。死ぬ時、場所はどこでもいいと考えているとの返事でした。明治人の誇りと昭和20年の焼け野が原から立ち上がった大人の気概でした。
『幸福は求めても得られるものでない。機嫌よく暮らして福を招くもととするほかない。
災いは避けられない。他人を害する心を無くして、わざわいに遠ざかる法とするほかない。』菜根譚
この本の成立は1602年、つまり徳川家康の関ヶ原の会戦の頃の中国明の時代です。